[[index.html|古今著聞集]] 釈教第二
====== 51 永観律師は病者にて侍りけるが常のことぐさに病は是善知識なり・・・ ======
===== 校訂本文 =====
永観律師は病者にて侍りけるが、常のことぐさに、「病は是善知識なり。われ苦痛に依りて、菩提を探く求む」とぞのたまひける。
七宝塔を造りて、仏舎利二粒を安置して、「われ、順次に往生を遂ぐべくは((「は」は底本「候」。諸本により訂正。))、この舎利数を増し給ふべし」と誓ひて、後年に開きて見奉るに、四粒になり給ひにけり。随喜渇仰(ずいきかつがう)して、泣く泣く((「泣く泣く」は底本「位々」。諸本により訂正。))二粒を取り、本尊の阿弥陀仏の眉間にこめ奉りて、昼夜の瞻仰(せんがう)し奉られけり。また、みづから阿弥陀講式を作りて、十斎日ごとに修して、薫修(くんじゆ)久しくなりにけり。
最後の時、例の講を修しける間に、律師((「律師」は底本「師」なし。諸本により補う。))異香をかがれけり。他人はこれをかがず。瞑目の夜(よ)、頭北面西(ずほくめんさい)にて正念(しやうねん)に住して、念仏たゆむことなくて終りにけり。年は七十なり。
弟子阿闍梨覚叡が夢に、一精舎に衆僧並び座したるに、覚叡もその列にて仏像を瞻仰するに、よく見れば、この仏、先師の律師なり。一句授けていはく、「従我聞法往生極楽云々。(われより法を聞き極楽に往生す云々。)」。
===== 翻刻 =====
永観律師は病者にて侍けるか常のことくさに病は是
善知識也我依苦痛深求菩提とその給ける七宝
塔を造て仏舎利二粒を安置して我順次に往生を
遂へく候此舎利かすをまし給ふへしと誓て後年に開
てみたてまつるに四粒に成給にけり随喜渇仰して
位々二粒をとり本尊の阿弥陀仏の眉間にこめ奉りて
昼夜の瞻仰したてまつられけり又みつから阿弥陀講式を
造て十斎日ことに修して薫修久く成にけり最後/s46l
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/46
の時例の講を修しける間に律異香をかかれけり他
人はこれをかかす瞑目のよ頭北面西にて正念に住し
て念仏たゆむことなくて終にけり年七十也弟子
阿闍梨覚叡か夢に一精舎に衆僧ならひ座したるに
覚叡も其列にて仏像を瞻仰するによくみれは此仏
先師の律師なり一句授て云従我聞法往生極楽云々/s47r
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/47