[[index.html|古今著聞集]] 神祇第一 ====== 23 興福寺の僧のいまだ僧綱などには上らざりけるが・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 興福寺の僧の、いまだ僧綱(そうがう)などには上らざりけるが、学生にては侍りけれども、いと貧しかりければ、春日社((春日大社))に参りて申しけれども、そのしるしもなかりければ、寺のまじらひも思ひ絶えて、八幡((石清水八幡宮))に詣でて、七日籠りて祈念しけるに、ある夜、夢にゆゆしげなる客人の参り給へりけるに、大菩薩、御対面あるよしなり。 客人、「某と申す僧や籠りて候ふ」と申し給ひければ、「さる事は、」と答へ申させ給ひけり。また、客人のたまはく、「件((「件」は底本「仲」。諸本により訂正。))の僧、年ごろ我を憑(たの)みて、朝夕責め候ひつれども、今度必ず出離すべき者なり。もし、『楽しみに誇りなば、いかが』と思ひ候へば、ひかへて侍り。御許しあるまじく候ふ」と申させ給ひけり。この僧、この事を聞きて、「この客人は誰にて渡らせ給ふぞ」と、人に尋ねければ、「春日大明神の御渡りなり」と答へけり。 さて、夢覚めぬれば、今生の結縁も嬉しく、来世の得脱も頼もしくて、泣く泣く本寺に帰りて、他事なく後世のつとめを励みて、つひに往生を遂げにけり。 このこと、山((比叡山延暦寺))の桓舜が稲荷の利生蒙りしを、日吉の妨げさせ給ひける例(ためし)に(([[:text:shaseki:ko_shaseki01b-07|『沙石集』1-7]]参照。))、少しも違はず侍りけり。 ===== 翻刻 ===== 興福寺の僧のいまた僧綱なとにはのほらさりけるか学 生にては侍けれともいとまつしかりけれは春日社に参て申 けれとも其しるしもなかりけれは寺のましらひも思た えて八幡にまうてて七日こもりて祈念しけるに或夜 夢にゆゆしけなる客人のまいり給へりけるに大菩薩/s23r 御対面ある由なり客人某と申僧やこもりて候と申給 けれはさる事はと答申させ給けり又客人の給はく仲 僧年来我を憑て朝夕せめ候つれとも今度必出離す へきものなりもしたのしみにほこりなはいかかと思候へはひ かへて侍御ゆるしあるましく候と申させ給けり此僧この 事をききて此客人はたれにてわたらせ給そと人にたつね けれは春日大明神の御渡なりと答けりさて夢さめ ぬれは今生の結縁もうれしく来世の得脱もたのもしくて 泣々本寺に帰て他事なく後世のつとめをはけみてつゐ に往生を遂にけり此事山の桓舜か稲荷の利生 蒙を日吉のさまたけさせ給けるためしに少しもたかはす侍けり/s23l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/23