[[index.html|古今著聞集]] 神祇第一 ====== 20 応保二年二月二十三日中納言実長卿日吉の行幸の賞にて従二位を・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 応保二年二月二十三日、中納言実長((底本、長に「仲イ」と傍書。本文どおり実長(藤原実長)が正しい。))卿、日吉の行幸の賞にて、従二位を((底本「をを」。衍字とみて一字削除。))許されける。後徳大寺左大臣((藤原実定))、同官にて越えられにけり。歎きながら時々出仕せられけれども、同日には出仕なかりけり。 かかるほどに、故右大臣の大炊御門の家に行幸ありし、古き賞をつのりて、同年八月十七日、同じ従二位を許されけり。されども、なほ下臈なり。 長寛二年閏十月二十三日、大臣召しのついでに、ともに大納言に任ず。さりながらも、恨みはなほ尽せず。 永万元年八月十七日、大納言を辞して、正二位を許さる。上達部、官をやめて加階の例、珍しけれども、実長卿、「越えかへさん」の思ひ深くて、思たたれけるとぞ。 とかくして、沈まれ侍りけるを、世の人、惜しみあへりけり。思ひ侘びて、様(さま)をやつして、ひそかに春日社に詣でて、身の行く末、思ひ定むべきよし、祈請せられけるほどに、若宮、俄に巫(かんなぎ)に御託宣ありて、前の大納言を召し出し給ひけるを、しばしは、「まことしからず」と思ひて、なほ立ち隠れられたりけれども、不思議なるしるしども侍れば、堪へかねて出られにけり。「将相の栄花を極めて、君につかへむこと、ほどあるべからず。思ひ歎くことなかれ」と仰せられければ、信仰の涙をのごひ、歓喜の思ひをなして、下向せられにけり。 そのころ、詩の秀句も多く聞こえける中に、   官を罷(やめ)て未(いま)だ九重(きうちよう)の月を忘れず 恨み有りて将(まさ)に五度の春に逢ふ   数ふれば八年(やとせ)経にけりあはれわが治めしことは昨日と思ふに これらを聞きて、世の人いとど惜しみあへること限りなし。 かくて年月を経るほどに、治承元年三月五日、妙音院の大臣((藤原師長))、内大臣にておはしましけるが、太政大臣にのぼり給ひて、小松の大臣((平重盛))、大納言の左大将にて侍りけるが、内大臣にのほられける替りに、大納言に返り成りつつ、六月五日、内大臣、程なく大将を辞し申されければ、「さりとも、この闕には」と、頼み深かりけれども、とかく障りて、月日の過ぎければ、この望み成就せば厳島に詣づべきよしなど、心の中に願を立てられけるほどに、十二月二十七日、つひに左大将になられにけり。若宮の御託宣も思ひあはせられ、厳島の宿願も憑(たの)みありてぞ思ひ給ひける。 同じき三年三月晦日、「厳島に参る」とて、出られにけり。大納言実国卿・中納言実家卿など伴(ともな)ひ侍りけるとぞ。この日、中御門の左府((藤原経宗))も参り給ひたりけり。三条左大臣入道((藤原実房・三条実房))、そのとき大納言なり。六条の太政の大臣((藤原頼実))の、中将にて侍りけるもおはしける、伴ひ申されけり。この度(たび)のことにや、中将、かの島の宝前にて、太平楽の曲舞はれけるが、面白かりけることなり。 ===== 翻刻 ===== 応保二年二月廿三日中納言実長(仲イ)卿日吉行幸の 賞にて従二位ををゆるされける後徳大寺左大臣同官にて 越られにけりなけきなから時々出仕せられけれとも同日 には出仕なかりけりかかる程に故右大臣大炊御門の家に 行幸ありしふるき賞をつのりて同年八月十七日 おなし従二位をゆるされけりされとも猶下臈也長寛二年 潤十月廿三日大臣めしの次に共に大納言に任すさりなからも 恨はなを尽せす永万元年八月十七日大納言を辞して 正二位をゆるさる上達部官をやめて加階の例めつらし/s21r けれとも実長卿越かへさんの思深くて思たたれけるとそと かくしてしつまれ侍けるを世の人おしみあへりけり思ひ わひてさまをやつしてひそかに春日社にまうてて 身の行すゑ思さたむへきよし祈請せられけるほとに 若宮俄にかんなきに御託宣ありて前大納言をめし 出し給けるをしはしはまことしからすと思て猶立かくれられ たりけれとも不思議なるしるしとも侍れはたへかね て出られにけり将相の栄花をきはめて君につかへむ 事程あるへからす思なけく事なかれとおほせられけれは 信仰の涙をのこひ歓喜の思をなして下向せられに けり其此詩の秀句もおほくきこえける中に/s21l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/21 罷官未忘九重月 有恨将逢五度春 かそふれは八とせへにけりあはれわか治しことは昨日と思ふに これらをききて世の人いととおしみあへること限なしかく て年月をふる程に治承元年三月五日妙音院 のおとと内大臣にておはしましけるか太政大臣にのほり給 て小松のおとと大納言の左大将にて侍けるか内大臣にのほ られけるかはりに大納言にかへり成つつ六月五日内大臣程 なく大将を辞し申されけれはさりとも此闕にはとたのみ 深かりけれともとかくさはりて月日の過けれはこののそみ 成就せは厳島にまうつへきよしなと心の中に願を 立られける程に十二月廿七日つゐに左大将になられに/s22r けり若宮の御託宣も思あはせられ厳島の宿願も憑 ありてそ思給ける同三年三月晦日厳島にまいる とて出られにけり大納言実国卿中納言実家卿なと 伴侍けるとそ此日中御門左府もまいりたまひたり けり三条左大臣入道其時大納言なり六条の太政の おとどの中将にて侍りけるもおはしける伴申されけり 此たひのことにや中将彼島の宝前にて太平楽の 曲まはれけるかおもしろかりける事也/s22l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/22