[[index.html|古今著聞集]] 神祇第一 ====== 9 同年中大中臣佐国祭主になりたりけるを・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 同年中(([[s_chomonju008|前話]]の長暦二年(1038年)を指す。))、大中臣佐国、祭主になりたりけるを、同じき三年四月二日、荒祭宮の御託宣に、祭主なしかへらるべきよしありけり。遷宮の間に、不法のことありけるゆゑとかや。その間に厳重のことどもあれども、恐れあれば記さず。 六月二十六日、佐国、遂に伊豆国へ流されにけり。 かかるほどに、七月十日、荒祭宮、斎宮の内侍に御託宣あり。「祭主配流しかるべからず」とありけり。 同じき十六日、重ねて御託宣ありて、佐国が孫清佐((大中臣清佐))を召して、仰せられけるは、「佐国を流さるること、しかるべからず。先日の託宣にも配流のことなし。しかるを、かくのごとく大きなる誤りあり。行はるるむね、みな道理に背けり。早く召し返すべきよし、奏聞すべし。佐国、いまだ伊勢国の堺を出でざるに、召すべきなり。勅定を待たば遅かりぬべし。これより使(つかひ)を遣はして召し返すべし」と侍りければ、斎宮の史生をもちて召しに遣はされけり。 このよし奏聞せられければ、同じき十九日、佐国、召し返されけりとなん。 そのころ、御託宣度々(たびたび)ありけり。かたじけなかりけることなり。 ===== 翻刻 ===== 同年中大中臣佐国祭主に成たりけるを同三年四月 二日荒祭宮の御託宣に祭主なしかへらるへき由あり けり遷宮のあひたに不法の事ありけるゆへとかやそ のあひたに厳重の事ともあれとも恐あれはしるさす 六月廿六日佐国つゐに伊豆国へ流されにけりかかる 程に七月十日荒祭宮斎宮の内侍に御託宣あり 祭主配流しかるへからすとありけり同十六日かさねて 御託宣ありて佐国か孫清佐をめして仰られけるは佐国 をなかさるる事しかるへからす先日託宣にも配流の 事なししかるをかくのことくおほきなるあやまりあり おこなはるるむねみな道理にそむけり早くめし/s15r かへすへきよし奏聞すへし佐国いまた伊勢国の堺 を出さるにめすへき也勅定をまたはをそかりぬへし これより使をつかはしてめしかへすへしと侍けれは斎宮 史生をもちてめしにつかはされけり此よし奏聞せられ けれは同十九日佐国めし返されけりとなん其比御託宣 たひたひありけりかたしけなかりける事也/s15l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/15