[[index.html|古今著聞集]] 神祇第一 ====== 8 長暦二年に天台座主の闕出できたりけるに・・・ ====== ===== 校訂本文 ===== 長暦二年に天台座主の闕出できたりけるに、三井の明尊大僧正をなさるべきよし、関白殿((藤原頼通))、しきりに執し申させ給ひけり。 山僧、このことを聞きて蜂起して、十月二十七日、五六百人下洛して、左近馬場に集まりて、奏状を奉りにけり。此事によりて、霜月の受戒もとどまりにけり。 同じき三年二月十七日、山僧、関白殿の門前へ参りて、愁へ((底本「これへ」))申しけり。十八日にも参りて、をめきののしる声おびただしくぞ侍りける。平直方・同繁貞((平繁貞))に((底本「繁貞て」))仰せられて、防がせられけるほどに、互ひに傷を蒙(かうぶ)る者多かりけり。 かかるほどに、山の教円僧都、明尊僧正と同意の聞こえありければ、山僧、教円を搦めて逃げ去りにけり。とかく怠状して、許(ゆ)りにけるとかや。さて、教円僧都、座主には((底本「座主につ))なりにけり。頼寿・良円両僧都、蜂起の張本なりとて、勅勘かぶりにけり。 さるほどに、同じき七月二十四日より、玉体例ならぬ御事あり。さまざまの御祈りども行なはれけれども、御減なくて、日数積らせ給ひけるほどに、八月十日山王の御託宣ありて、両僧都を召されけり。その後、ほどなく御減ありける、厳重なる御事なり。 ===== 翻刻 ===== 長暦二年に天台座主の闕いてきたりけるに三井の 明尊大僧正をなさるへきよし関白殿しきりに執申 させ給けり山僧此事をききて蜂起して十月廿七日 五六百人下洛して左近馬場にあつまりて奏状を 奉りにけり此事によりて霜月の受戒もととまり にけり同三年二月十七日山僧関白殿の門前へ参て これへ申けり十八日にも参ておめきののしる声をひ/s14r たたしくそ侍ける平直方同繁貞て仰られてふせ かせられける程にたかひにきすをかうふるものおほ かりけりかかるほとに山の教円僧都明尊僧正と同意 のきこえありけれは山僧教円を搦て逃さりにけりとかく 怠状してゆりにけるとかやさて教円僧都座主につ成に けり頼寿良円両僧都蜂起の張本なりとて勅勘 かふりにけりさる程に同七月廿四日より玉体例ならぬ 御事ありさまさまの御祈ともおこなはれけれとも御減なく て日数つもらせ給ひける程に八月十日山王の御託宣 有て両僧都をめされけりそののち程なく御減有ける 厳重なる御事也/s14l http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100190287/viewer/14