====== 雨月物語 ====== うげつものがたり ===== 成立 ===== [[江戸時代]]後期の[[読本]]。五巻からなる。作者は[[上田秋成]]。明和五年(1768)、秋成三十四歳の時に第一稿を脱稿し、八年後の安永五年(1776)四月刊行。 [[近世]]の読本としては初期に属するが、後の[[山東京伝]]や[[滝沢馬琴]]などの読本作家や、近代の作家たちに大きな影響を与えた。 ===== 原拠と内容 ===== 中国の[[白話小説]]を中心に日本の[[説話]]などを題材として書かれた、以下の九編の短編小説からなる。いずれも怪異を記す小説だが、たんなる怪異小説にとどまらず、登場人物の人間性を巧みに描いているのが特徴である。 ==== 白峰 ==== 『[[山家集]]』『[[撰集抄]]』『異本[[保元物語]]』『[[白峯寺縁起]]』『[[四国遍礼霊場記]]』などが典拠。 [[西行]]が白峯へ[[崇徳院]]の御陵に参り、供養し歌を詠んだところ、崇徳院の幽霊が返歌をしたいといって現われる。崇徳院の幽霊は、平治の乱を起したのは自分だといい、[[後白河上皇]]、[[平清盛]]への復讐を誓う。はたして、その十三年後平家は滅亡したのであった。 ==== 菊花の約 ==== 白話小説『[[古今小説]]』巻第十六「范巨卿鶏黍死生交」を翻案したもの。 旅の途中、疫病にかかった赤穴宗右衛門を、地元播磨の学者丈部左門が看病をする。看病のかいあって、宗右衛門は次第に快復し、左門と兄弟の契りを交わした。 宗右衛門は出雲の人で、富田城主塩冶掃部介の密使として近江の佐々木氏綱のもとにいたが、その間に城を尼子経久に乗っ取られた。宗右衛門は塩冶掃部介から佐々木氏綱のもとにとどまることを命じられたが、ひそかに氏綱の城を出て出雲に帰る途中で病気になってしまったのだった。 春、完全に快復した宗右衛門は、その年の重陽の節句(九月九日)に左門と再開することを約束し、出雲へと旅立つ。 月日は移り、重陽の節句となり再会の日がやってきた。ところが宗右衛門は来ない。深夜になりやっと来た宗右衛門は実は幽霊だった。宗右衛門の幽霊は「自分は尼子経久の命令により、従兄弟の赤穴丹治に軟禁されていた。今日、左門との約束を果たすために自刃して魂となってやってきたのだ」といって消えた。 左門は、宗右衛門との信義を果たすため、出雲へ行き赤穴丹治を斬った。 ==== 浅茅が宿 ==== 白話小説『[[剪燈新話]]』巻三「愛卿伝」をもとに、『[[今昔物語集]]』巻二十七「[[:text:k_konjaku:k_konjaku27-24|人の妻、死して後、旧の夫に会える語第24]]」を参照している。 下総国葛飾郡真間の郷に勝四郎という男がいた。多くの田畑を持っていたが、勝四郎は農業をしなかったので、貧しくなった。そこで、雀部の曽次という男と足利染めの絹を売りに上京する。 留守の間、戦乱が起きた。留守を守っていた勝四郎の妻宮木は、みんなが逃げる中勝四郎の帰りを待ってとどまっていた。 一方、勝四郎は都で絹を売って大儲けをしたが、帰りがけに盗賊にあいすべて失い、そのうえ戦乱の話を聞いて都へ戻ろうとしたところ、近江で熱病にかかってしまう。 じきに病は治ったが、そうこうしているうちに七年の月日が流れた。戦や疫病に無常を感じた勝四郎は故郷に帰る。故郷は荒れ果てていて以前の見る影もなかった。しかし、朽ち果ててはいるものの自分の家だけはもとの通りあった。中にたいそうみすぼらしい姿で、妻の宮木はいた。再会を果たした勝四郎と宮木はお互いの境遇を語りあい、床に就いた。 勝四郎が顔にかかった朝露で目が覚めてみると、隣に寝ていたはずの宮木がいない。狐にだまされたかと思って見回してみても、自分の家である。さては自分を慕う宮木の魂が現れたかと思って、歩き回ってみると、かつて寝所だったところに宮木の墓があり、そこには宮木の手による辞世の歌が書かれた木の切れ端があった。 勝四郎は近所に住んでいた老人を訪ね、宮木のことを聞く。老人は宮木の墓をつくったのは自分で、自分は字がかけないから書かなかったが、亡くなったのは勝四郎と別れた翌年の八月十日のことであったという。さらに、老人は当地につたわる[[真間手児女]]伝説を語り、宮木を称える。 ==== 夢応の鯉魚 ==== 『[[古今説海]]』巻九「魚服記」及び『[[醒世恒言]]』第二十六巻「薛録事魚服証仙人」などの翻案。 三井寺に興義という絵の上手い僧がいた。琵琶湖の漁師から魚を買い取って放し、その魚が泳ぐのを見ては絵に描いているうちに、だんだん精妙になっていった。 あるとき、興義は病気にかかって、七日後に死んでしまった。興義の門弟や友人たちは、埋葬しようと思ったが、どういうわけか胸のあたりが少々暖かいので、もしかしたら生き返るかもしれないと見守っていると、三日後蘇生した。 蘇生した興義は「誰でもよいから檀家の平の助殿の御館へ行って『興義が生き返った。今、あなたがたは酒を飲みなますをつくっていらっしゃる。しばらく宴会を中止して寺においで下さい。珍しい話をお聞かせしましょう』といって、彼らの様子を見なさい。私の言ったことに少しもたがわないだろう」と言った。不思議に思いながら興義の使いが平の助の御館へ行くと、たしかに宴会をやっていた。一行は不思議に思いながら寺へ行く。 興義は平の助にこまごまと宴会の様子を語った。続けて自分の死後の話をした。 私は自分が死んだのもしらず、杖にすがって門を出てみると、だんだん気分がよくなってきた。気がつくと、湖のほとりにいた。なんとなく水遊びをしたくなって、衣を脱いで水に入ると、それほど泳ぎが上手かったわけでもないのに自由に泳げる。とはいえ、魚のようにとはいかないので、魚がうらやましくなってきた。すると大きな魚が来て「師の願いは簡単にかないます」と言って底の方へ行くと、やがて高貴な姿の人がさきほどの大きな魚に乗ってやってきて「老僧は放生の功徳がたくさんある。望みどおり仮に金鯉の服をさずける。釣糸にかからないように」という。自分は鯉になって琵琶湖を自由自在に泳げるようになった。ところが、腹が減ってきて、釣り上げられてしまった。平の助の御館につれてこられて、なますにされそうになったときに目が醒めたのだ。 ==== 仏法僧 ==== 『[[怪談とのゐ草]]』巻四「伏見桃山亡霊の行列の事」・『[[剪燈新話]]』巻二「龍堂霊会録」などを典拠とする。 高野山に詣でた夢然と息子の作之治は、宿を断られ奥の院で通夜することにする。 人が来るはずもない深夜にり、大勢の武士が奥の院に詣で宴会を始め、夢然に俳諧を詠めと命令される。夢然がおそるおそる武士たちの正体をたずねるとなんと彼らははるか昔に死んだはずの豊臣秀次の一行だった。 夜明け近くになり、二人は豊臣秀次に魔界へ連れて行かれそうになるが、老臣たちが引き止めてくれたと思っているうちに気を失ってしまった。 ==== 吉備津の釜 ==== 『[[剪燈新話]]』巻二「牡丹燈記」などを利用。 {{:rhizome:吉備津神社御釜殿.jpg?300|吉備津神社御釜殿}} {{:rhizome:鳴釜神事解説.jpg?300|鳴釜神事解説}} 放蕩はなはだしい井沢庄太郎は、結婚すれば落ち着くだろうという両親により、吉備津神社の神主の娘、磯良(いそら)を嫁にもらうことにした。結婚前、鳴る釜神事をして吉凶を占ったが、鳴るはずの釜は鳴らなかった。 磯良は庄太郎とその両親につくしたが、庄太郎の放蕩癖はなおらず、やがて袖という遊女とともに播磨国へ逃げてしまった。磯良はショックで病にかかり死んでしまった。 そのころ、庄太郎と袖は袖のいとこ彦六の家を訪ねた。彦六の隣の家に住居を構えることになったが、そのとたん袖は病に倒れ死んでしまった。 その日以来、庄太郎は毎日袖の墓に参った。すると、同様に最近埋葬された新しい墓に参る女がいる。この女によると、なくなったのは女の主君で、病にかかっている主君の妻の代わりに毎日墓参しているという。庄太郎が「ぜひお伺いして、お話したい」といってその家に連れて行ってもらうと、なんとその主君の妻は磯良ではないか。「久しぶりでお会いしましたね。つらい仕打ちへの報いをいたしましょう」という姿のあまりの恐ろしさに庄太郎は気を失ってしまった。 しばらくして庄太郎が気づくと、そこは墓地のお堂で、目の前には黒い仏像があるばかりである。家に帰った庄太郎は陰陽師のもとへいき、このことを詳細にはなした。陰陽師は庄太郎に「42日間の物忌みをせよ。さもないとあなたは死ぬぞ」といわれる。 磯良の亡霊は41日間脅かし続けたが、庄太郎は決して戸を開けなかった。42日後、夜が白々と明けてきて隣の彦六を訪ねようと戸を開けたときについに庄太郎は殺されてしまった。 庄太郎の悲鳴を聞いて彦六が外へ出てみると、夜はまだ明けていない。庄太郎の家の戸が開いていたので、中に入ってみると、戸のそばの壁に血がしたたっていた。外をよく見ると軒先には庄太郎の髻だけが引っかかっていた。 ==== 蛇性の婬 ==== 『[[西湖佳話]]』巻十五「雷峰怪蹟」、『[[警世通言]]』第二十八「白娘子永鎮雷峰塔」(いわゆる「白蛇伝」)を素材とする。 紀伊国新宮に住む漁師の子、豊雄が雨宿りをしていると、美しい娘真女児がずぶぬれになって同じ軒先に入ってきた。豊雄は真女児と侍女まろやの住む家へ行き、結婚を約束し真女児から前夫の形見というみごとな太刀を渡される。 それを見た兄の太郎は、漁師にはそぐわないものをなぜ買ったかと豊雄を責める。豊雄が理由を話すと、母は納得するが、兄は熊野速玉神社から最近社宝が盗まれており、これはそれではないかと疑う。翌日、熊野速玉神社の大宮司に見せると、はたして盗まれた宝の一つだった。豊雄は国司に逮捕されるが、ことのなり行きを話し、真女児の家に行くことになる。 国司の武士らと真女児の家へ行ってみると、不思議なことに家はあるにはあったが荒れ果てていてとても人が住めるような様子ではない。近所の人の証言を聞くと、ここは三年前から空き家で誰も住んでいないが、昨日豊雄が来て、しばらくして帰ったのを見てへんだなと思っていたという。家の中は荒れ果てていたが、中に美しい女がおり捕まえようとすると雷が鳴って消えてしまった。その後に盗まれた社宝があった。化け物のしたことが判明し、豊雄の罪は軽くなったが、百日ほど獄につながれた。豊雄は新宮に住めなくなり、大和の姉をたよる。 その後、大和へ真女児がやってきた。社宝の件の言い訳をして、豊雄と真女児は結婚した。ある日、姉夫婦と豊雄夫婦、まろやは吉野へ行く。吉野で出会った老人が真女児の正体(蛇)をあばき、真女児とまろやは滝に飛び込み消えてしまう。 故郷へ帰った豊雄は庄司の娘富子と結婚する。ところが、真女児は富子に化けて豊雄にせまる。まろやもそこに現れた。庄司に頼んで法師に祈祷させたが、かえって法師も殺されてしまった。 豊雄はあきらめ、富子の命と引き換えに真女児と結婚することを決意するが、庄司はそれを許さず、道成寺の法海和尚に退治を依頼する。法師の力によって真女児とまろやは調伏されたが、富子は死んでしまった。 ==== 青頭巾 ==== 旅の僧、快庵禅師が一夜の宿を取ろうと大きな家を訪問すると、家の人たちは恐れおののき「山の鬼が来た!」と大騒ぎになる。誤解が解けて理由を聞くと、次のような話たした。 近くの山の古寺に僧侶が住んでいます。その僧は十二、三歳ぐらいの稚児を寵愛していたのですが、その稚児は死んでしまいました。僧は稚児を愛するあまり、埋葬もせず、そのまま手をとったりして愛し続けていたのですが、いつしか頭がおかしくなって肉が腐っていくのを惜しんで、稚児をすべて食べてしまいました。それ以来、人間の肉の味を覚えてしまった僧は、夜な夜な人を脅かしたり、墓場を暴いて新しい死体を食べるようになったのです。だから、あなたを見間違えてしまいました。 それを聞いた快庵禅師は古寺をたずね、僧を教化して成仏させた。 ==== 貧富論 ==== 金持ちの武士、岡左内のもとへ金の精霊が現れ、金とはどんなものか、なぜたまったり減ったりするのかなどについて左内と議論をする。 ===== 参考 ===== ==== 注釈書 ==== * 日本古典全書『上田秋成集』(重友毅・朝日新聞社・1957年2月) * 角川文庫『雨月物語』(鵜月洋・角川書店・1959年11月) * 新潮日本古典集成『雨月物語 [[癇癖談]]』(浅野三平・新潮社・昭和54年1月) ==== 参考文献 ==== * 新潮日本古典文学アルバム20『上田秋成』(長島弘明 池澤夏樹・新潮社・1991年7月) ==== 参考サイト ==== * [[http://yatanavi.org/textserch/index.php/search/tag/%E9%9B%A8%E6%9C%88%E7%89%A9%E8%AA%9E|電子テキスト]] ==== 参考項目 ==== [[上田秋成]] {{tag>江戸時代 読本 上田秋成 雨月物語}}