====== 阿仏尼 ====== あぶつに(不詳〜1283) [[鎌倉時代]]中期の女流歌人。 実の父母は不明だが、平度繁の養女となる。14,5歳ごろ安嘉門院に仕え、越前・右衛門佐・安嘉門院四条などと呼ばれた。 その後、法華寺に住み、松尾の[[慶政]]上人に侍したが、[[藤原為家]]の側室となり、[[冷泉為相]]、[[冷泉為守]]を産む。 為家の死後、正妻の長男為氏と播磨国細川庄の相続訴訟のため弘安2年(1279)10月、鎌倉へ下る。その際の[[紀行文]]が『[[十六夜日記]]』である。 四年の鎌倉滞在後、訴訟の解決をみないまま、阿仏尼は没した。 [[続古今和歌集]]を始めとする、[[勅撰和歌集]]に44首入る。 その他の著書に『[[うたたねの記]]』([[日記]])『[[夜の鶴]]』([[歌論]]書)『仮名諷誦』(為家追善の[[願文]])があり、著書とされるものに『[[庭の訓]]』『[[乳母の文]]』などがある。 {{tag>鎌倉時代 和歌 歌人 阿仏尼}}