====== 更級日記 ======
さらしなにっき
===== 成立 =====
[[平安時代]]中期の[[日記文学]]。作者は[[菅原孝標の女]]で、作者53歳、康平3年(1060)ごろの成立か。
更級日記の題名は、終わり近くにある[[和歌]]、
>月もいでて闇にくれたる姥捨になにとて今宵たづね来つらむ
に由来するといわれる。この歌は、『[[古今和歌集]]』雑上878
>我心なくさめかねつさらしなやをばすて山にてる月をみて
を踏まえて詠まれたもので、ここから作者自身により「さらしな」日記と命名されたという説が有力である。
また、作者の亡夫の任国、信濃の郡名も関係があるという説もある。
「さらしな」の漢字表記は「更級」とも「更科」とも書かれるが、現存諸本の祖本である定家本の外題により、今日では「更級」と書くのが一般的である。
===== 内容 =====
作者が上総に住み、上京する12・3歳から、夫と死別して数年後までの40年あまりの[[日記]]。
上総から上京の過程を描くなど、[[紀行文]]としての性格もある。
===== 諸本 =====
[[写本]]、[[版本]]などきわめて多いが、すべてその祖本は御物本といわれる、[[藤原定家]]自筆本である。
しかし、定家本の親本も誤りや不審の多い本だったらしく、定家自身[[奥書]]にその旨を記している。
また、定家本は綴じ誤りがはなはだしく、現存[[諸本]]がすべてその[[錯簡]]を踏襲していたために、大正13年の佐々木信綱・玉井幸助による定家本の発見までは完全には読み解かれなかった。
===== 参考 =====
==== 電子テキスト ====
* [[http://yatanavi.org/textserch/index.php/search/tag/%E6%9B%B4%E7%B4%9A%E6%97%A5%E8%A8%98|更級日記]]
==== 注釈書 ====
* 朝日古典全書『更級日記』(玉井幸助・朝日新聞社・1950年2月)
* 講談社学術文庫『更級日記全訳注』(関根慶子・講談社・1977年8月、9月)
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