====== 在原業平 ====== ありわらのなりひら(825〜880) ===== 解説 ===== [[平安時代]]初期の歌人。『[[伊勢物語]]』の主人公のモデルとして知られる。 天正2年(825)〜元慶4年(880)5月28日。56歳。在五中将(ざいごちゅうじょう)・在中将(ざいちゅうじょう)とも呼ばれた。 [[平城天皇]]の皇子、[[阿保親王]]の五男で母は[[桓武天皇]]皇女の伊登(伊都)内親王。[[紀有常]]の女を妻とする。兄の在原行平、子の[[在原棟梁]]・[[在原滋春]]、孫の[[在原元方]]も[[勅撰和歌集]]に入集。 [[六歌仙]]、[[三十六歌仙]]の一人。『[[古今和歌集]]』仮名序には「ありはらのなりひらはその心あまりてことばたらず。しぼめる花のいろなくてにほひのこれるがごとし。」と評される。 『古今和歌集』以下多くの勅撰和歌集に入集するが、『[[拾遺和歌集]]』以降はおおむね『伊勢物語』からの入集とみられる。 [[私家集]]に[[業平集]]がある。 {{tag>平安時代 和歌 歌人 伊勢物語 在原業平}}