====== 凡河内躬恒 ====== おうしこうちのみつね ===== 概要 ===== 生没年不詳。[[勅撰作者部類]]によると、凡河内褜利の子とあるが定かではない。 [[紀貫之]]と並び称される歌人で、[[古今和歌集]]選者の一人。[[三十六歌仙]]の一人。 寛平六年(896)二月、甲斐少目に任ぜられ、延喜七年(907)正月、丹波権大目、延喜十一年(911)正月、和泉権掾、延喜二十一年(921)正月、淡路権掾を歴任する。 躬恒の名が最初に出てくるのは『[[是貞親王家歌合]]』で、その後『[[寛平御時后宮歌合]]』『后宮胤子歌合』『亭子院女郎花合』などに見られる。 延喜五年(905)四月、[[紀貫之]]、[[紀友則]]、[[壬生忠岑]]らとともに[[選者]]となった。 古今和歌集初出。 ===== 伝説 ===== [[大和物語]]、[[十訓抄]]、[[古今著聞集]]に説話が伝わる。 ===== 電子テキスト ===== * 『[[躬恒集]]』 * http://tois.nichibun.ac.jp/database/html2/waka/waka_i083.html * 凡河内躬恒:千人万首 * http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mitune.html ===== 参考文献 ===== {{tag>平安時代 和歌 歌人 凡河内躬恒}}