====== 六条藤家 ====== ろくじょうとうけ 六条家ともいう。[[藤原顕季]]を始祖とする[[和歌]]の家柄で、顕季の第三子[[藤原顕輔]]への[[人麿影]]と歌説の伝承により、世襲による和歌の家が始まった。 顕輔は[[詞花和歌集]]の選者となり、撰進の際一門が補佐し、[[久安百首]]のころには甥の[[藤原家成]]一族を加えて、六条藤家は歌壇の中心勢力となった。 顕輔の子、[[藤原清輔]]は父親とは不仲だったものの、実力を認められて後継者となり、『[[奥儀抄]]』などの[[歌学]]書により実証的な六条家歌学を確立した。 清輔以後、藤原俊成の[[御子左家]]と対立するようになり、短命の藤原重家を経て、藤原季経・顕昭の代では対立が深くなった。 その後、[[藤原良経]]・[[後鳥羽院]]が御子左家を支持するようになるとともに、六条藤家の歌壇に置ける地位は次第に低くなっていった。