wmr:shandong
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wmr:shandong [2014/05/04 01:50] – [8/3 くもり 済寧市~徐州市の入口 ロングツーリング] Satoshi Nakagawa | wmr:shandong [2014/05/04 01:56] (現在) – [8/5 はれ 徐州] Satoshi Nakagawa | ||
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今日は昨日の80キロに対して、150キロの長距離を走った。 | 今日は昨日の80キロに対して、150キロの長距離を走った。 | ||
- | 済寧市を出てしばらく行くと、風景が一変する。それまでの広大な畑作地帯が、田園風景に変るのである。田園は私たち日本人の原風景だから、心がなごむ。やはり自分は日本人であることを実感する。 | + | 済寧市を出てしばらく行くと、風景が一変する。それまでの広大な畑作地帯が、田園風景に変るのである。田園は私たち日本人の原風景((「日本人の原風景」という言葉は嫌いだが、畑ばかりの風景から一変したときの感動は忘れられない。))だから、心がなごむ。やはり自分は日本人であることを実感する。 |
さらに進み江蘇省に入ると、家畜も少なくなり、川もきれいになり、日本の田舎(特に関東平野だろう)にそっくりになってくる。くもりだったせいもあるだろうが、気候も湿度が高くなって蒸し暑くなった。 | さらに進み江蘇省に入ると、家畜も少なくなり、川もきれいになり、日本の田舎(特に関東平野だろう)にそっくりになってくる。くもりだったせいもあるだろうが、気候も湿度が高くなって蒸し暑くなった。 | ||
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この山はかつて、日中戦争と内戦の二回戦場になった地である。日中戦争の戦没者の合同埋葬墓があった。 | この山はかつて、日中戦争と内戦の二回戦場になった地である。日中戦争の戦没者の合同埋葬墓があった。 | ||
- | ゴンドラで下に降りた私たちは、湖にうかんでいる船で昼食を摂る。ここにはこんなレストラン船がたくさんあって、客引きをしているのだ。ここで初めて蝉を食った。幼虫らしいが、セミの面構えをしている。カリカリに揚げてあって、うまくもないしまずくもない。Tによれば、これは揚げすぎだそうである。 | + | ゴンドラで下に降りた((下まで一気に降りる滑り台というのもあったのだが、T氏いはく「死んでもしらないよ」なのでやめた。))私たちは、湖にうかんでいる船で昼食を摂る。ここにはこんなレストラン船がたくさんあって、客引きをしているのだ。ここで初めて蝉を食った。幼虫らしいが、セミの面構えをしている。カリカリに揚げてあって、うまくもないしまずくもない((味も食感もエビに似ている。))。Tによれば、これは揚げすぎだそうである。 |
その後、漢画像石館なる博物館に行く。その名のとおり、画像石をたくさん陳列してある。どれも壁に埋めこまれているのだが、あまりに数が多いので、なんだかありがた味がない。しかし、客もほとんどいないので、あまり観光地化されていないのはよかった。Tは昨日も来たらしいが、入口でキップ切りのオヤジに「ただの石だよ」と言われたそうである。 | その後、漢画像石館なる博物館に行く。その名のとおり、画像石をたくさん陳列してある。どれも壁に埋めこまれているのだが、あまりに数が多いので、なんだかありがた味がない。しかし、客もほとんどいないので、あまり観光地化されていないのはよかった。Tは昨日も来たらしいが、入口でキップ切りのオヤジに「ただの石だよ」と言われたそうである。 |
wmr/shandong.txt · 最終更新: 2014/05/04 01:56 by Satoshi Nakagawa