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自転車お遍路日記2(2002年春)

2002年3月26日(火)くもり時々雨

昨日、尾道のホテルで見た天気予報では午後から雨だったが、午前中より降ったり止んだりである。といっても、夏のような雨ではないから、進めなくはない。

しかし、スピードは出せない。

よく、冒険的な旅では、雨の中もガンガン進んでいくイメージがあるが、それは利口なことではない。特に一般の車道を走らなければならない自転車の旅では、視界が悪くなり、滑りやすくなる分事故の危険が増えるし、故障の確立も高くなる。私のタイヤはセミスリックタイヤというタイヤで、雨に弱いのだ。

また、あまり知られていないが、パンクの可能性も雨の方が高い。乾いた突起物よりも濡れた突起物の方がタイヤを貫通させやすいのである。

それ以前に、身体を冷やせば健康に支障をきたす可能性もある。走らないにこしたことはないのだ。

本当は今日中に四国に上陸したかったのだが、そんなわけで、しまなみ海道の身近島キャンプ場でキャンプすることにした。  ここは、伯方島(塩でおなじみ)と大島の間の小さな無人島だが、自動車ではおりられない。しかも無料。キャンプ場の手入をしていたおじさんに聞くと、徒歩、自転車で来るほか、船で来る人もいるそうだ。遍路道からは10キロ以上離れているが、お遍路さんも時々来るらしい。

なかなかいキャンプ場だが、この時期は私しかいない。大きなアズマ屋があるので、そこにテントを張る。メシを炊き、のりたまと、伯方島の道の駅で買った穴子天をおかずに食べる。道の駅で酒を買っておいたので、それを飲むととたんに寝むくなった。ラジオを聞くと明日も降水確率70%である。もう一晩泊まらなければならないかもしれない。

2002年3月27日(水)雨のち晴

朝、目を覚ますと予報どおりの大雨。とても出発できる状態ではないので、ミカンを食って再び寝る。11時ごろ起きると、すっきりと晴れていた。インスタントのスパゲッティーを食べて出発できたのは昼すぎだ。

きもちのいい、しまなみ海道の道を通って今治を抜け、東予市へむかう。

東予市に国民休暇村があるので、そこの温泉に入った。

温泉から出たのは5時すぎ。国民休暇村にはキャンプ場が併設されているので、今日はここに泊まることにする。

キャンプ場は宿泊施設から1キロほど下った海ぎわだった。入口に管理事務所があり、1000円と書いてある。しかし、管理事務所が開いているのは夏期だけで、それ以外は上の宿泊施設に払えと書いてある。

宿泊施設は山の上である。そこにもどるのは面倒なので、勝手にキャンプさせてもらうことにした。

さすがに1000円もとるだけあって、施設は最高だ。電灯もついているし、サイトもちゃんと整備されている。トイレもきれいだ。

もちろん私以外誰もいない。海風が強く寒い。

2002年3月28日(木)61番~63番、60番 晴れ

家を出て三日目でやっと札所を巡ることができる。今日は晴天だが、明日はまた天気がくずれるらしい。雨は嫌だが、難所で晴れるのはラッキーだ。

ゆうべは寒くて、寝ては起き、寝ては起きしていたら、結局出発したのは10時半になってしまった。あたたかくて、朝寝がきもちよかったのである。

今日のメインイベントは60番の横峰寺だ。石鎚山の中腹にあり、難所の一つである。

そのまえに、麓の61番~63番を打つ。これは比較的近くにあり、すぐに打てた。

問題の横峰寺は、狭い林道をともかく登る登る。しかも、狭い道なのに、後からお遍路満載のバスがひっきりなしに来る。それもかなりのスピードだ。乗ったり押したりして、数時間かけて登る。

焼山寺や鶴林寺でも、こういう道は経験したが、こんなのは初めてだ。

神奈川から自動車できたというおじさんと話し、しばらく休んだあと、山をくだった。

下には石鎚温泉という温泉があり、そこで風呂に入り、ビールを飲む。最高にうまい。

温泉にそなえてあった地図によると、近くに公園があるらしいので、そこに行ってみた。トイレと小さな池があるだけの、テントを二つ張ればいっぱいになってしまうほどの予想外に小さな公園だった。だが、民家らしいものは近くには全くない、田圃の真ん中である。それになんといっても清潔感がある。地面は固くテントを建てるには適していないが、クレームがつくことは無さそうだ。

そこで、しばらく様子を見ていると、ポリタンクを満載した軽トラックに乗った夫婦が来た。

よく見ていると、公園の池のようなところに水が湧き出しているのだが、そこに自前のポンプをとりつけて水を採取している。

あやしまれても困るので、率先して声を掛けた。公園などで幕営をするときは、来た人に挨拶するのが鉄則である。

「ここの水はおいしいのですか?」

あとで考えると、とても間抜けな質問である。ここは西条市の「うちぬき名水」という名水で、このあたりではかなり有名な公園だったのだ。この夫婦は隣の新居浜市からたびたび水をもらいに来るそうである。別に商売で使うのではなく、自分の家で使うのだそうだ。

「お遍路をしているのですが、雨が降りそうなので、ここで泊まろうと思っているのです。」というと、おばさんが、

「そうねえ、ここはトイレもあるし、人もそんなに来ないし、いいんじゃないかしら」と言った。そして、帰りがけおばさんは「身体に気をつけてね」といって、のどあめをくれた。

夫婦が帰ってから、テントを建てたのだが、おばさんの言葉に反して、水を貰いにくる人はひっきりなしに来た。そのたびにテントから出て挨拶をしていたのだが、皆、新居浜市や東予市など近隣の町から来る人ばかりだった。最後には面倒になってテントの中で居留守をきめこんでしまったが、来客が来なくなったのは夜10時すぎてからだった。私は「名水」でコーヒーを沸かして飲んだ。考えてみれば贅沢な話である。今晩は名水が飲み放題なのだから。

2002年3月29日(金)雨 64番

朝6時ごろ目を覚ますと、雨は本降りだ。予報では今日一日雨なので、連泊を覚悟し、とりあえず名水でご飯を炊いた。コッヘルで炊いたご飯がうまいことはないが、それでもいつもよりうまいような気がした。

腹がふくれると眠くなる。どうせこの雨では出られないから、ウトウトと寝てしまった。昼近くになって、西条市の公園管理課の人が来て、起こされた。事情を話すと「それでは、長くいるようでしたら管理課まで電話してください」と言って立ち去ったが、あとでよく考えたら名刺も何も置いていかなかったので、電話しようにもできない。

昼過ぎ、雨が小降りになったので、撤営して出発することにする。64番札所前神寺はすぐ近くである。ここは本来隣の石鎚神社が札所だったのだが、明治時代の神仏分離令によりここにうつされたそうだ。ならば、石鎚神社にも行ってみたかったのだが、ちょっと小高い山の上にあるうえに、ショボショボと雨が降るので止めた。

雨は強くなったり、弱くなったりだが、決してやむことはなかった。こういうときに菅笠は便利だ。私は眼鏡を掛けているのだが、雨が降ると眼鏡にあたって前が見えにくくなる。菅笠は頭を深くおおうので雨が当らないのだ。

次の65番三角寺は山の中の寺である。この雨ではとても行けそうにない。出発した時間も遅かったので、とりあえず伊予三島市の伊予三島運動公園をめざす。

伊予三島運動公園には四時ごろ着いた。この公園、夕べのうちぬき公園とは違い、巨大な公園でプール、野球場、体育館と何でもある。トイレもあちこちにあり、芝生も多いので、幕営には好都合だが、立派な管理事務所があるのが問題だ。このような公園は夜閉めてしまうこともあるからだ。

木陰で思案に暮れていると、私の菅笠を見てウォーキングをしていたおじさんが声を掛けてきた。

おじさんに聞くと、この公園は夜閉めないそうである。これで安心したが、一応管理事務所へ行くと、運動公園内に児童公園があるので、そこにテントを張ればいいという。これでおすみつきをもらったので、安心してテントを張った。

その晩は予報どおり、テントの下を水が流れているのが分るほどのひどい雨となった。

2002年3月30日 (土)晴

ゆうべはひどい雨で、なかなか寝つけず、逆に朝はからっと晴れてきもちがいいので、つい寝坊してしまった。朝食を作る時間が無いので、近くのハンバーガーショップでハンバーガーを食べて、65番三角寺に出発。

三角寺は山の中の寺なので、ちょっときつかったが、昼ごろ着いた。なかなかこじんまりとしていいお寺だ。

三角寺を出るときに、歩き遍路の青年に会う。夏には歩き遍路によく会ったが、この季節は、バス遍路ばかりで、歩き遍路にはあまり会わない。珍しいので声をかけた。

彼は高知県の足摺に住んでおり、野宿して足摺からまわっているという。しかし、さすがに夕べは遍路宿に泊まったそうだ。

さて、三角寺の次は、札所の中で最も標高が高い雲辺寺。まだ十分時間があるからたどりつけるだろう。

歩きの遍路と別れ、快適な細い林道をどんどん下り県道に出ると、こんどはいよいよ登り道だ。すると、左がわに「遍路道」がある。

正直迷ったが、県道を走ってもおもしろくないので、そこを行こうと思ったのが間違いの始まりだった。畑のなかの細い道を、数時間程自転車を押しながら登ると、道はだんだん細くなり、やがて舗装されないダートになった。ただのダートならいいが、松の葉がたくさん落ちていてとても滑る。

やがて、「左、雲辺寺」と書かれた看板がでてきた。左側の道を見ると、何と階段になっている。本当はここで自転車を押して上ればよかったのだが、直進してもいけそうなので、直進してしまったのが第二の間違いだった。

こんどは、道が完全にシングルトラックになってしまった。荷物を持っていなければ、なかなか楽しいのだが、荷物が多い上に、何故が道の真ん中がへこんでおり、下り坂なのに押さなければならなくなった。

それでも、ひきかえしたくないので、どんどん進むと今度は広い畑に出た。丘の上から不思議そうな顔をしてこっちを見ている家族がいた。たぶん、こんなところから自転車がでてきたのは初めてなのだろう。

ちょっと遠かったので、大きな声をはりあげて、

「すみません、雲辺寺はどっちですかー」

と聞くと、

「畑の向こうに走りやすい道があるから、そっちへ出てくだっていくと県道があります」

と教えてくれた。たしかに舗装された道路は畑のすぐ向こうだった。なんだか狐につままれた気分だ。

結局、今までの努力が徒労に終って、時間はもう四時。どうあがいても雲辺寺にはつかないだろう。

せめて温泉につかろうと思って、ちょっと離れた池田町(あの、かつて甲子園をわかせた池田高校がある)まで行って温泉宿で風呂に入れてくれと言うと、今日はダメだといわれる。どうもついていない。

吉野川の近くに、高速道路のインターチェンジのような場所があり、その中心が公園になっているので、そこでテントを張ることにする。なかなかきれいな公園でいごこちはいいが、頭のまわりを車が廻っているのは、なんだか不安だ。

2002年3月31(日)晴 66番~70番

11時ごろ、念願の雲辺寺を攻略する。天気もいいし、道も車が少なくてよい。標高900メートルである。ただし、寺からの景色は考えていたほどではなかった。雲辺寺にはロープウェイで登ることができるが、そちらの方が景色はよいのだろう。

おまいりを終えて駐車場で休憩していると、自動車で来ていた男女二人組みの外国人が声を掛けてきた。女性の方が日本語を話すことができた。二人ともオーストラリア出身で、香川県財田町で英語の先生をしているという。

今日はイースターということで、板チョコを分けてくれた。このとき昼を過ぎていたので、とてもうまかった。

記念写真を撮ってもらい、二人に別れをつげると、あとはひたすらダウンヒルだ。ポカポカと暖かいのだが、汗でシャツが濡れているので、ウインドブレーカーを着ないと、寒くてとても走れない。桜は満開で、ウグイスも鳴いている。とてもいい気持だ。

68番神恵院と69番観音寺は同じ境内にある。納経所も同じところで、いっぺんに二つ書いてくれるので、なんだか特した気分だ。

ここで、三角寺で会った、歩き遍路の青年に再会する。もう会えないだろうと思っていたが、雲辺寺攻略に失敗したので、会ってしまったのだ。彼は観音寺の近辺で野宿すると言う。この近くには道の駅があるので、そこにすればいいと言って、私はまだ次の70番本山寺に行く時間があったので、とりあえずそちらへ行き、もういちど観音寺へ戻ってくることにした。

観音寺に戻ってきたのは6時すぎだった。青年へのおみやげとして、スーパーで酒などを買い、観音寺近辺、道の駅、琴弾公園などを探してみたが、彼はいなかった。

それにしても、ここの道の駅はトイレも無く、とても泊まれるスペースはない。琴弾神社のまわりは桜が多く、日曜日ということもあって花見客でいっぱいだ。これでは私がやさぐれてしまう。

ふと、本山寺で会ったおじさんが、琴弾公園の奥で野宿するお遍路さんが多いという話をしていたのを思い出し、公園の奥へ行ってみた。すると、この公園は意外に広くて、おくは松の林になっており、桜が一本もないので、人が誰もいない。

さらに、テントを張るところを探していると、お遍路さんが100人は泊まれそうな巨大なアヅマ屋を発見した。床から一段高くなった板張りの舞台のようなものまである。しかも、隣りはトイレだ。これならテントを張る必要はない。

ラジオを聞きながら、酒を飲んで寝た。明日も天気らしい。

2002年4月1日(月)晴 71番~77番

朝食の棒ラーメン(海老天入り)を食べて出発。弥谷寺に付くと、茶屋で例の歩き遍路に会う。

「ずいぶん速いね」と言うと、「昨日はぜんぜん寝むれなかったんです」という。

観音寺で別れたあと、彼は河沿を歩いて本山寺の近くまで行ったそうだ。どうりで観音寺近辺で見付からなかったはずだ。そして、予讃線の本山駅で寝たのだが、予讃線は駅はいかにも田舎の駅という感じだが終電が遅く、始発が早い。しかも暴走族がきていて、あまり寝られなかったのだという。

だとすると、5時ごろ起きて、7時に納経を済ませれば、この時間に来ることもできるのである。ちなみに私が琴弾公園出たのは9時ごろである。国道を通るのが嫌だったので、ちょっと遠回りして、海ぎわの道を走ったのだ。

前回、夏の遍路では海ぎわの道が多かったが、今回は町中と山が多くてあまり走っていない。シーズン前の海ぎわの道は本当に気持がいいものだ。

坂の途中の茶屋でしばらく話ていると、地元出身のおじさんが話しかけてきた。今は横浜に住んでいるそうだが、リストラにあって、閑なのだという。そこで、子供のころ遊んだ弥谷寺にハイキングに来たのだという。弥谷寺は死霊の集まる寺として知られているが、なかなか神秘的な寺である。このおじさんに案内してもらったおかげで、いろいろ見られないものを見せてもらった。

この日は、弥谷寺がちょっとした山にある以外は町中の寺だ。どうも香川県はへんろ道保存会のみちしるべが少ないので、ときどき道に迷ってしまうが、すぐに75番善通寺まで回れる。善通寺は弘法大師が生まれた地にたつ寺である。

おまいりをすませて、アイスクリンを食べていると、おりたたみ自転車に乗った、かなりうさんくさい遍路が話しかけてきた。

彼はプロの遍路である。遍路にプロもアマチュアもあるのかと不思議に思われるかもしれないが、プロは札所めぐりなどしない。人がたくさん来そうな寺の門前で托鉢をして生活しているのである。ひどい時にはお経も唱えられない。托鉢だけが目的だから、人がきそうにない寺には行かないのだ。この遍路は善通寺市の寺を行ったり来たりしているという。

かんたんに言えばホームレスの一種なのだが、何がくやしいって、私が仲間だと思われたことだ。私も信仰心が無いという点では大差ないが、そこまであつかましくはない。

最近、そのようなホームレス遍路が増えているらしく、去年の夏には見なかったが、「托鉢禁止」と書かれた札が山門にかかっているのをよく見る。この男も「このごろ托鉢を禁止する寺が多くて、商売あがったりだよ」などと言っているが、托鉢は商売じゃないだろ!

この日は宇多津町の健康ランドに泊まった。ひさしぶりに風呂に入り、ひさしぶりに空調の効いた部屋で寝る。テレビで「男はつらいよ」が流れていた。

2002年4月2日(火) 晴 78番~83番

場所の関係から、78、79、81、82、80、83の順番で打つ。81と82は五色台という山の上にあり、自転車の場合、この順番の方が合理的なのだ。

山の上といっても、すでに横峰寺、雲辺寺へ行ったので、それほどきつくはない。勾配もそれほど急ではないし、なんといっても景色が最高だ。

出発したときには満開だった桜も、もう散り始めている。桜吹雪の中を走るのは最高の気分だ。81番白峯寺を打ったあと、国民宿舎で昼食、とても眺めのいいレストランで、坂出の町や瀬戸大橋が遠くにかすんで見える。ビールでも飲みたかったが、次の根香寺へはまだ登らなくてはならないので我慢した。

根香寺を打って、あとは下界へダウンヒルだ。桜吹雪の中、ウグイスの声を聞きながらダウンヒルはとても気分がいい。なにもしなくても進んでいくのだから、オートバイと同じだが、オートバイじゃウグイスの声は聞けないだろう。

この日は83番一宮寺まで打った。時間はまだあったが、次は山の上の屋島寺なので、とても行けないと思ったからだ。

高松市内に入って、コインランドリーで洗濯した。待っている時間にPHSを確認してみると、留守電が入っていた。私の大学院時代の後輩Mさんの妹Iさんからだ。Mさんには実家の近くの伊予三島にいたときに電話したのだが、彼女が私のことを話したらしい。

とりあえず電話して、高松の中央公園で会うことにした。すると、(Mさんからみて)妹さん、お母さん、おばあちゃんの三人で車に乗って来た。なんと、今日一日私の行きそうな寺を先回りしてまわっていたという。自転車遍路はすくない(今回は一人も会わなかった)が、初対面だから私の顔もしらないはずだ。なんだか、衛門三郎に追いかけられた弘法大師の気持が少し分ったような気がする。

さらに大量のお接待をもらった。米も持ってきてくれたようだが、私の買った米がまだあまっている上に、あと二日もあれば満願してしまうので、これは断わった。今回は町中が多いので、米の消費が少ないのだ。

ともかくこんなにお接待を貰っても仕方がないので、中央公園に隣接した交番の警察官にワイロとしてあげた。

しばらく中央公園のベンチで休んでいると、おじさんが話しかけてきた。この人は本物のホームレスである。ちょうどよかったので、Iさんからもらったお接待の酒をあげようとすると、ビールは飲むが酒は飲まないという。しかたがないので、一人で飲んだ。

彼は、五色台の近くの出身で、かなり長くここに住んでおり、コンビニエンスストアの弁当を拾ってきたり、自動販売機の下のお金を拾ったりして生活しているという。ポケットをじゃらじゃらいわせて「小銭はいっぱい持っているんだよ」と言った。

しばらく話してから、このおじさんは「じゃあ俺は明日朝弁当もらわなきゃならないから寝るわ。このへんは変なやつが多いから、物を盗まれないように気を付けろよ」と言って立ち去った。変なやつのなかに、自分は含まれていないらしい。私は酔っ払ってふらふらになりながらテントの内張りだけを建てて寝た。

2002年4月3日(水)晴 84番~87番

ホームレスのおじさんが公衆トイレの掃除をする音で目が覚めた。これで市からいくらかお金を貰っているらしい。

荷物をまとめて、おじさんに挨拶すると、「四国はいい所だろ。これにこりずに、俺は当分ここにいるから、また来いよ。」と言われた。もちろん「また来ます」と言って、まだ残っていたIさんからのお接待のミカンをあげた。

84番屋島寺は山のてっぺんにある。屋島ドライブウェイという車道があるが、これは自動車専用道路で自転車では上ることができない。とても悔しかったが、ケーブルカーを使うことにする。あとで聞いたことだが、別に遍路道があり、そこを登れるだけ登って、途中から歩けばよかった。しかし、そんな道は私の地図には載っていなかったし、道標もなかった。

昭和40年代から時間が止まってしまったかのようなケーブルカーに10分程乗ると、そこはもう山頂である。源平の合戦場としても有名だが、瀬戸内海の眺めは最高によい。しかし、自力で登ったのではないので、なんとなく感動が薄いような気がする。

つぎの85番八栗寺にもケーブルカーがあったが、今度はすぐわきに舗装された、いい道が付いているので、そこを登る。途中の茶屋のおばさんが「自転車はそこの空地に置いていったほうがいいよ。おばちゃんここにいるから心配しないでいっておいで」と言うので、そこに自転車を置いて八栗寺へ上った。

八栗寺から帰ってくると、茶屋のおばさんがお茶と大福をお接待してくれた。私は「本当は何か買っていきたいんだけど・・・」と言うと、おばさんは「そんなに気をつかわなくていいよ。また今度いらっしゃい」と言った。

86番志度寺は江戸っ子風に言うと、ちょっとしどいお寺だった。ともかく荒れている。歴史のある寺だし、志度町という町名の由来になっているほど大きなお寺なのに残念だ。ちゃんと手入すれば、いい庭になるに違いないのに、雑草は生えているわ、土塀の壁は崩れているわで、とても八十八ヶ所の一つには見えない。

87番長尾寺を打って、あと88番大窪寺をめざすばかりとなった。やっとここまで来たかという思いとともに、もう終わっちゃうのかと、少し寂さもある。ちょっと早いが感慨にふけっているところに、電話が入る。

電話は勤務先の中学校の教頭先生だ。考えてみれば、もう新学期だ。一気に現実に引きもどされた。

屋島寺でケーブルカーを使ったので、時間は十分にある。大窪寺は山の中で長尾寺からはちょっとあるが、十分に行けるだろう。しかし、その先、1番に戻る時間はない。地図を見ると大窪寺まで行く途中にキャンプ場があるので、そこに泊まることにする。かなり風が強いのでテントを張るのに苦労した。今回の旅で、唯一ペグをすべて打った。土が固くて、ペグを石で叩かないと入らないが、それだけにしっかり張ることができる。

キャンプ場には、まさか自分以外誰もいないだろうと思っていたのだが、先客がいた。といっても、からっぽのテントがあるだけだ。この人は夜更けにオートバイに乗って帰ってきた。

2002年4月4日(木)晴 88番、1番

朝起きたら、キャンプ場の先客がすでに起きていて、撤営の準備をしていた。

「おはようございます。夕べは遅くにすみません。」

「いやあ、でもずいぶん遅かったですね。」

「この麓でパチンコ打ってたら遅くなっちゃって。讃岐うどんの食べ歩きをしているんです。」

彼は学校給食の納入業者で、私と年はあまりかわらないようだ。春休みを利用してオートバイで讃岐うどんを食べに来たのだ。何とこのキャンプ場に4日も住んで(こうなれば住んでいると言っていいだろう)いるという。

ちなみに、このキャンプ場は200円である。町から近所の家が委託されていて、そこに払うことになっていると、このライダーから聞いたが、私はそんなことは知らなかったので払わなかった。もちろん帰りに払うという方法もあったのだが、まだ朝が早いので遠慮しておいた。いや本当に。

私が朝食を作っていると、ライダーがテントを覗きにきた。私のテントはガレージ付きで、いつもそこに自転車が置いてあるのだが、それを見て、

「あれっ、モールトンじゃないですか。なんかタイヤが小さいから変だと思った。これ欲しかったんだよなあ」

と言った。ヘッヘッヘッ。私は別に自転車を自慢する趣味はないのだが、モールトンが思っていた以上にマイナーだったので、こういう反応はいままでなかったのだ。これこそ私が望んでいたものだ。

「いいですよ~コレ」ちょっと自慢してみた。

結願所(けちがんしょ)といわれる、88番大窪寺はそこからすぐ近くだった。といっても、峠を二つぐらい越さなくてはいけないので、オートバイのように10分で着くというわけにはいかない。2時間近くかかっただろうか。

88番札所はバスへんろでいっぱいだった。今回の遍路では、さすがに季節がいいからか、自動車遍路やバス遍路が多い。彼らにつかまると、小さい納経所だとかなり待たされなくてはならないので面倒だ。それにしても、なぜこんな時間に88番なんかにいるのだろう。88番しか打っていないのだろうか。

88番の本堂、大師堂をおまいりして、持参した写経を納めた。今回はいろいろな人に写経をしてもらって、納めてきたのだが、最後に納めたのはもちろん自分の写経だ。

納経所で納経すると、「ようまわられました」といわれた。意外にそっけないなと思った。

今朝ライダーからうまいと教えてもらったうどん屋でうどんを食った。食べ終ったら、こんどは隣りの人が食べていたおでんがうまそうだったので、それも食べた。うどんもうまかったが、おでんは味噌味で、とてもうまかった。

さて、実はこれが最後ではない。「お礼参り」といって、もう一度、一番の霊山寺にもどらなくてはいけないのだ。本来はそのあとさらに高野山へ行かなくてはいけないのだが、スケジュールの都合でそれはちょっと無理だろう。

あとはもうずっと下りのはずだった。「はず」というのは、まだ時間があるので、途中「阿波の土柱」という名所があるので、そこを見に行こうとしたら、登ったり降りたりけっこうな山の中だったのだ。

「土柱」とは、その名のとおり、自然の侵蝕作用によってできた土の柱である。下からみると、大きな土の柱がにょきにょきと立っている。また、ここは上からも見ることができ、そこは断崖絶壁になっており、手摺りがないうえに足元がよくない。多分手摺りなどつけてもくずれてしまって役に立たないのだろう。日本一危険な観光名所である。

結局、そんなところで遊んでしまったので、不愉快な県道を飛ばしても、1番霊山寺に着いたのは4時ごろだった。ここの納経所は、いろいろと話相手になってくれて、ああ終ったんだなと実感が湧いた。

その晩は徳島市内のホテルに泊まり、翌日18時間かけてフェリーで東京に帰った。

wmr/bikehenro2.txt · 最終更新: 2014/06/17 04:36 by Satoshi Nakagawa
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