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wmr:bikehenro1 [2014/06/17 04:08] – 作成 Satoshi Nakagawawmr:bikehenro1 [2014/06/17 04:36] (現在) Satoshi Nakagawa
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-====== 自転車お遍路日記(2001年夏) ======+====== 自転車お遍路日記(2001年夏) ======
  
 ===== 2001年8月06日(月) ===== ===== 2001年8月06日(月) =====
  
-午後六時、お台場の近くのフェリー埠頭よりフェリーに乗る。単車と自転車の人が駐車場に集められたが、自転車は私とおじさん二人だけだ。単車が優先で、私たちは一番最後に回された。同じ自転車乗りとして船の中では一緒に行動した。+午後六時、お台場の近くのフェリー埠頭よりフェリーに乗る。単車と自転車の人が駐車場に集められたが、自転車は私とおじさん((たぶん40代後半ぐらい。))二人だけだ。単車が優先で、私たちは一番最後に回された。同じ自転車乗りとして船の中では一緒に行動した。
  
 私は武蔵小山の自宅からフェリー埠頭まで自走してきたのだが、この人はなんと横浜から自走してきたという。この人の場合、すでにツーリングが始まっているのだ。 私は武蔵小山の自宅からフェリー埠頭まで自走してきたのだが、この人はなんと横浜から自走してきたという。この人の場合、すでにツーリングが始まっているのだ。
  
-それにしても、このおじさんの会社は一月近くも休みがあり、社員全員でツーリングに行くという。今日も仕事の都合で一日後れになったが、むこうで合流するのだ。+それにしても、このおじさんの会社は一月近くも休みがあり、社員全員でツーリングに行くという。今日も仕事の都合で一日後れになったが((余談だ、この人、出発日を間違えて、帰るに帰れず家の近所の公園でキャンプしたことがあると言っていた。))、むこうで合流するのだ。
  
 しかも、デザイン会社だけに(ブックデザインが仕事だそうだ)やたらと細かい栞をつくっている。詳細なアップダウンのチャートまである。「すごい仕事ですね」というと、「3か月ぐらいかかるんだ」といっていた。大きなお世話だが、大丈夫か?この会社。 しかも、デザイン会社だけに(ブックデザインが仕事だそうだ)やたらと細かい栞をつくっている。詳細なアップダウンのチャートまである。「すごい仕事ですね」というと、「3か月ぐらいかかるんだ」といっていた。大きなお世話だが、大丈夫か?この会社。
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 ===== 2001年8月8日(水)4番~11番 ===== ===== 2001年8月8日(水)4番~11番 =====
  
-琉球大生の荷物を軽くするため、米をもらった(奪ったのではない)。私はまだ4番を打っていないので、三人には先に行ってもらい、暫くしてから出発した。というのも、納経所は7時からしかあいていないのである。+琉球大生の荷物を軽くするため、米をもらった(奪ったのではない)((ほとんど奪ったようなものだが))。私はまだ4番を打っていないので、三人には先に行ってもらい、暫くしてから出発した。というのも、納経所は7時からしかあいていないのである。
  
-5番で息子夫婦と車で回っているという、徳島のおばあちゃんから1000円と徳島名産すだちジュースのお接待をうける。「私も回りたいんだけどね。もう年だから、息子につれてきてもらってるんだよ。暑いけどがんばってね」と言う。暑いなかジュースはとてもうれしい。+5番で息子夫婦と車で回っているという、徳島のおばあちゃんから1000円と徳島名産すだちジュースのお接待をうける((この時、万一ホームレスになったら四国に来ようと思った))。「私も回りたいんだけどね。もう年だから、息子につれてきてもらってるんだよ。暑いけどがんばってね」と言う。暑いなかジュースはとてもうれしい。
  
 6番で先行の大学生二人と会う。彼らはまだお接待を貰っていないという。歩きの彼らに悪いので、さっきの千円で缶ジュースを接待する(もちろんジュースは千円もしない)。 6番で先行の大学生二人と会う。彼らはまだお接待を貰っていないという。歩きの彼らに悪いので、さっきの千円で缶ジュースを接待する(もちろんジュースは千円もしない)。
  
-11番藤井寺まで順調に打って、次は難所の焼山寺である。納経所の人は、自転車なら一旦井戸寺まで行った方がいいという。どうしようかと思っていると、また雨が降ってきた。「自動車焼山寺近道」とある看板の近くに児童公園があったので、まだ時間は早いが急いでテントを建てた。雨はじきに止んだが、撤営して井戸寺を目指すのは面倒なので、そこで幕営することにした。+11番藤井寺まで順調に打って、次は難所の焼山寺である。納経所の人は、自転車なら一旦井戸寺まで行った方がいいという。どうしようかと思っていると、また雨が降ってきた。「自動車焼山寺近道」とある看板の近くに児童公園があったので、まだ時間は早いが急いでテントを建てた((まだ慣れていなかったからしょうがないんだけど、諦めるのが早すぎ。))。雨はじきに止んだが、撤営して井戸寺を目指すのは面倒なので、そこで幕営することにした。
  
 公園の回りは一戸建ての団地で、隣は幼稚園という最悪のロケーションだったが、公園そのものは草が生えていて人はこないようだ。トイレも水場もある。食料品店も近い。適当におかずを買って、琉球大生からもらった米を炊いて食う。 公園の回りは一戸建ての団地で、隣は幼稚園という最悪のロケーションだったが、公園そのものは草が生えていて人はこないようだ。トイレも水場もある。食料品店も近い。適当におかずを買って、琉球大生からもらった米を炊いて食う。
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 ===== 2001年8月9日(木)12番 ===== ===== 2001年8月9日(木)12番 =====
  
-いよいよ難所焼山寺だ。へんろ道は通れないというので、車道を行く。昨日見た「自動車近道」からである。気合いを入れて登るが数十メートルで勾配が急すぎて登れなくなる。ときどき乗れる場所もあるが、ほとんど押しだ。+いよいよ難所焼山寺だ。へんろ道は通れない((自転車が通れる道ではないらしい))というので、車道を行く。昨日見た「自動車近道((これが失敗。この道も自転車には不向きで、遠回りするのが正解だった))」からである。気合いを入れて登るが数十メートルで勾配が急すぎて登れなくなる。ときどき乗れる場所もあるが、ほとんど押しだ。
  
 車道だから舗装されているものの、これがいままで見たことがないようなひどい道で、車は滅多に通らないものの、どことなく汚ないわ、アブは多いわ、おまけにスズメバチは飛んでいるはで、さらに車道だから休める所もない。 車道だから舗装されているものの、これがいままで見たことがないようなひどい道で、車は滅多に通らないものの、どことなく汚ないわ、アブは多いわ、おまけにスズメバチは飛んでいるはで、さらに車道だから休める所もない。
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 しかし、至福の時は長くは続かない。まあ、下りでスピードが出ているからあたりまえなのだが・・・。焼山寺まであと四キロの看板が出て、また登れない坂だ。 しかし、至福の時は長くは続かない。まあ、下りでスピードが出ているからあたりまえなのだが・・・。焼山寺まであと四キロの看板が出て、また登れない坂だ。
  
-エッチラ、オッチラ、進んでは休み、休んでは進みして行く。ボトルの水が尽きたが、どこにも自販機はもちろん民家もない。おそらく、へんろころがしといわれるへんろ道より過酷だろう。+エッチラ、オッチラ、進んでは休み、休んでは進みして行く。ボトルの水が尽きたが、どこにも自販機はもちろん民家もない。おそらく、へんろころがしといわれるへんろ道より過酷だろう((たぶんそんなことはない))
  
 幸い、しばらくして民家があった。無人販売所があり、スダチがあったので買う。一袋300円だ。絞って飲もうと思い、ナイフで半分に切って絞ったが、まだ若いので固くて絞れない。仕方がないのでガリガリと食った。 幸い、しばらくして民家があった。無人販売所があり、スダチがあったので買う。一袋300円だ。絞って飲もうと思い、ナイフで半分に切って絞ったが、まだ若いので固くて絞れない。仕方がないのでガリガリと食った。
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 鶴林寺は難所だが、焼山寺に比べればはるかにマシだ。それでも難所はやはり難所。数時間かけてやっと登った。そこで、○○屋に同宿のおじさんに会った。実は○○屋に泊まっていたのは私とこのおじさんの二人だけで、おじさんは宿どまりの歩き遍路である。 鶴林寺は難所だが、焼山寺に比べればはるかにマシだ。それでも難所はやはり難所。数時間かけてやっと登った。そこで、○○屋に同宿のおじさんに会った。実は○○屋に泊まっていたのは私とこのおじさんの二人だけで、おじさんは宿どまりの歩き遍路である。
  
-鶴林寺の参拝を終えると、昨日大日寺であった、自転車遍路のおじさんとすれちがった。次の太龍寺では、難所の連続が嫌になり、ロープウェイを使ってしまったのだが、その乗口で昼飯を食っていると、そのおじさんがくるので、私は食堂の窓を叩いてよんだ。後で聞くと、おじさんはこの時とてもうれしかったそうである。+鶴林寺の参拝を終えると、昨日大日寺であった、自転車遍路のおじさん((この人とはこの時以来会っていないが、今も年賀状のやりとりをしている。))とすれちがった。次の太龍寺では、難所の連続が嫌になり、ロープウェイを使ってしまったのだが、その乗口で昼飯を食っていると、そのおじさんがくるので、私は食堂の窓を叩いてよんだ。後で聞くと、おじさんはこの時とてもうれしかったそうである。
  
 どこかで聞き覚えのある方言なので、どこから来たのか聞いてみると、滋賀県の彦根だという。私のまわりは私の兄弟と母方の叔父の一家以外はすべて滋賀県出身なのだ。それも、みな彦根のすぐ近く。しばらく、このおじさんと一緒に行くことにする。 どこかで聞き覚えのある方言なので、どこから来たのか聞いてみると、滋賀県の彦根だという。私のまわりは私の兄弟と母方の叔父の一家以外はすべて滋賀県出身なのだ。それも、みな彦根のすぐ近く。しばらく、このおじさんと一緒に行くことにする。
wmr/bikehenro1.1402945707.txt.gz · 最終更新: 2014/06/17 04:08 by Satoshi Nakagawa