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wmr:bikehenro1 [2014/06/17 04:16] – [2001年8月06日(月)] Satoshi Nakagawawmr:bikehenro1 [2014/06/17 04:22] – [2001年8月11日(土)20番鶴林寺~23番薬王寺] Satoshi Nakagawa
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 ===== 2001年8月8日(水)4番~11番 ===== ===== 2001年8月8日(水)4番~11番 =====
  
-琉球大生の荷物を軽くするため、米をもらった(奪ったのではない)。私はまだ4番を打っていないので、三人には先に行ってもらい、暫くしてから出発した。というのも、納経所は7時からしかあいていないのである。+琉球大生の荷物を軽くするため、米をもらった(奪ったのではない)((ほとんど奪ったようなものだが))。私はまだ4番を打っていないので、三人には先に行ってもらい、暫くしてから出発した。というのも、納経所は7時からしかあいていないのである。
  
-5番で息子夫婦と車で回っているという、徳島のおばあちゃんから1000円と徳島名産すだちジュースのお接待をうける。「私も回りたいんだけどね。もう年だから、息子につれてきてもらってるんだよ。暑いけどがんばってね」と言う。暑いなかジュースはとてもうれしい。+5番で息子夫婦と車で回っているという、徳島のおばあちゃんから1000円と徳島名産すだちジュースのお接待をうける((この時、万一ホームレスになったら四国に来ようと思った))。「私も回りたいんだけどね。もう年だから、息子につれてきてもらってるんだよ。暑いけどがんばってね」と言う。暑いなかジュースはとてもうれしい。
  
 6番で先行の大学生二人と会う。彼らはまだお接待を貰っていないという。歩きの彼らに悪いので、さっきの千円で缶ジュースを接待する(もちろんジュースは千円もしない)。 6番で先行の大学生二人と会う。彼らはまだお接待を貰っていないという。歩きの彼らに悪いので、さっきの千円で缶ジュースを接待する(もちろんジュースは千円もしない)。
  
-11番藤井寺まで順調に打って、次は難所の焼山寺である。納経所の人は、自転車なら一旦井戸寺まで行った方がいいという。どうしようかと思っていると、また雨が降ってきた。「自動車焼山寺近道」とある看板の近くに児童公園があったので、まだ時間は早いが急いでテントを建てた。雨はじきに止んだが、撤営して井戸寺を目指すのは面倒なので、そこで幕営することにした。+11番藤井寺まで順調に打って、次は難所の焼山寺である。納経所の人は、自転車なら一旦井戸寺まで行った方がいいという。どうしようかと思っていると、また雨が降ってきた。「自動車焼山寺近道」とある看板の近くに児童公園があったので、まだ時間は早いが急いでテントを建てた((まだ慣れていなかったからしょうがないんだけど、諦めるのが早すぎ。))。雨はじきに止んだが、撤営して井戸寺を目指すのは面倒なので、そこで幕営することにした。
  
 公園の回りは一戸建ての団地で、隣は幼稚園という最悪のロケーションだったが、公園そのものは草が生えていて人はこないようだ。トイレも水場もある。食料品店も近い。適当におかずを買って、琉球大生からもらった米を炊いて食う。 公園の回りは一戸建ての団地で、隣は幼稚園という最悪のロケーションだったが、公園そのものは草が生えていて人はこないようだ。トイレも水場もある。食料品店も近い。適当におかずを買って、琉球大生からもらった米を炊いて食う。
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 鶴林寺は難所だが、焼山寺に比べればはるかにマシだ。それでも難所はやはり難所。数時間かけてやっと登った。そこで、○○屋に同宿のおじさんに会った。実は○○屋に泊まっていたのは私とこのおじさんの二人だけで、おじさんは宿どまりの歩き遍路である。 鶴林寺は難所だが、焼山寺に比べればはるかにマシだ。それでも難所はやはり難所。数時間かけてやっと登った。そこで、○○屋に同宿のおじさんに会った。実は○○屋に泊まっていたのは私とこのおじさんの二人だけで、おじさんは宿どまりの歩き遍路である。
  
-鶴林寺の参拝を終えると、昨日大日寺であった、自転車遍路のおじさんとすれちがった。次の太龍寺では、難所の連続が嫌になり、ロープウェイを使ってしまったのだが、その乗口で昼飯を食っていると、そのおじさんがくるので、私は食堂の窓を叩いてよんだ。後で聞くと、おじさんはこの時とてもうれしかったそうである。+鶴林寺の参拝を終えると、昨日大日寺であった、自転車遍路のおじさん((この人とはこの時以来会っていないが、今も年賀状のやりとりをしている。))とすれちがった。次の太龍寺では、難所の連続が嫌になり、ロープウェイを使ってしまったのだが、その乗口で昼飯を食っていると、そのおじさんがくるので、私は食堂の窓を叩いてよんだ。後で聞くと、おじさんはこの時とてもうれしかったそうである。
  
 どこかで聞き覚えのある方言なので、どこから来たのか聞いてみると、滋賀県の彦根だという。私のまわりは私の兄弟と母方の叔父の一家以外はすべて滋賀県出身なのだ。それも、みな彦根のすぐ近く。しばらく、このおじさんと一緒に行くことにする。 どこかで聞き覚えのある方言なので、どこから来たのか聞いてみると、滋賀県の彦根だという。私のまわりは私の兄弟と母方の叔父の一家以外はすべて滋賀県出身なのだ。それも、みな彦根のすぐ近く。しばらく、このおじさんと一緒に行くことにする。
wmr/bikehenro1.txt · 最終更新: 2014/06/17 04:36 by Satoshi Nakagawa