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世継物語

第54話 本院侍従の君を兵衛佐貞文あざな平中御子の孫にて・・・

校訂本文

今は昔、本院侍従の君を、兵衛佐貞文、あざな平中、御子の孫にて、品いやしからず、見目・形えもいはず、けはひ、ありさま人に優れたり。世すき物と言はれける人なれば、これに物言ひかけられぬ人はなかりけり。

されども、この侍従の君、そのころの宮仕人の中に、御形(みあれ)の宣旨・本院侍従の君を、平中、年ごろえもいはず、死ぬ死ぬと懸想(けしやう)しけれど、すべて返り事をだにせざりければ、なほなほ文を出だして「ただ『見つ』とばかりの二文字をだに見せ給へ」とて、遣りたりけるたび、使ひ、返事を持て来ければ、物のあたりて急ぎ取りて開けて見れば、我が「見つとだに」といひ遣りつる二文字(ふたもじ)を破(や)り取りて、薄様に押し付けてをこせたるなりけり。妬さ悲しき事限なし。如月の晦日がたの事なり。

「かくて止みなん」と、音もせで過ぐすに、五月二十日のほど、五月雨のころなれば、雨のかきたれ降りて、いみじう暗き夜、「今宵行きたらば、いみじき武士(もののふ)なりとも、あはれは知りなんかし」と思ひて、徒歩(かち)よりわりなくして、扃に行きて、夜中にやうやう成るほどに、思ひ侘びて、童を呼びて「かくなん参りたる」と言はせたれば、「ただ今、御前にも人々寝候はん。参らむ」と言ひ出だしたりければ、胸うち騒ぎ「さればこそ、かかる夜来たらん人を思はざらんや」と思ひて、くらどのはざまにかひ添ひて立ちたるほどに、多くの年月を過ぐさん心地す。

一時ばかりありて、人、皆ぬる音するを、内より人来て遣戸の掛け金を外す音すなり。嬉しさに寄りて引けば、やすらかに開きぬ。夢のやうに思えて「こはいかにしたるぞ」と思ふに、身もわななかるるものなりけり。されど、押し静めて、やをら入れば、そら焼物にほひ満ちたり。歩み入りて、臥し所とおぼしき所をさぐれば、なよらかなる衣(きぬ)、一重ね着て、添ひ臥したり。頭(かしら)の様体細やかに、髪のかかり、氷をのしかけたるやうに冷ややかにて、手にあたるも思えずわななかれて、言ひてんずる事も覚えぬに、女言ふやう「いみじき物忘れをこそしにけれ。隔ての障子の掛け金を掛けで来にける。あはれ、行きて掛けて来ん」と言へば、「げに」と思ひて、「さは、とくおはせ」と言へば1)、起きて上に着たる衣を脱ぎて、単衣(ひとへぎぬ)、袴ばかりを着て往ぬ。そのまにいれば、衣を着て待ち臥せり2)、障子(さうじ)かくる音すなり。「今は来らん」と思ふに、足音の奥ざまに聞こえて、来る音もせず。

久しうなりぬれば、あやしさに、起きてこの障子の方を探れば、あなたをかけて往にけるなりけり。いはんかたなく思えて、障子にそひて立てり。何ともなくて、涙のみこぼるる事、五月雨に劣らず。「こは、かうりに入りて、かくはかなごとはいかでかあるべき。添ひてこそ具して行きて、かけさすべかりけれ。『心見ん』と思ひて、かくはしつるなり。いかに我をはかなき物かと思ふらん。会はぬよりねたき事限りなし」。思ひあまりて、思ふやう、「さはれ、夜明くるとも、かくてあらむ。さりとも、人知れかし」と、あやなく思へども、明けて人来る音すれば、かくてあらんもそぞろかれて、急ぎ出でぬ。

さて、後よりは「この人をいかで憂き事など聞きて、恨みなばや」と思へども、つゆさ様の事聞かすべくもなし。思ひわびて思ふやう、「この人、かくをかしくとも、はこにしたらんことは誰も同じやうにこそあらめ。これをさがして、見、嗅ぎなどして、思ひ止まりなん」と思ひて、「これがひすましのいも3)、いかでうかがひてとりてみん。うとましかりなん」と思ひて、局をさりげなくてうかがふほどに、年十四五ばかりなるひすましの、姿・様体をかしげにて、もてなしなどただならぬ女の童の、髪、衵(あこめ)に足らぬほどにて、撫子襲(なでしこがさね)の衵に、濃き袴しどけなげにひきあけて、香染の薄物の包みに筥(はこ)を包みて、赤き色紙の選りにたる扇さし隠して行くを、いみじう嬉しく思ひて、見つぎ見つぎ行きつつ、人も見ぬ所にて、走り寄りて筥を奪(ば)いつ。童、泣く泣く惜しめども、情けなくひき奪いて、走りて、人無き屋の内に入りて、内差しに差したれば、童は外(と)に泣きたてるなりけり。

さて、筥を奥の方に明き所に行きて見れば、薄物を二重にて、香に染め返したり。香ばしき事限りなし。筥を見れば、金の漆のやうに塗りたり。この筥の体を見るに、開けん事もいとをしく思えて、内は知らず、包みの様、筥の体見るに、なべて人にも似ず。されば、凌ぜんこそこともいとほしければ、しばし開けずまぼりゐたるに、「さてのみあらんやは」とて、おづおづ開けて見れば、丁子の香の、いみじうはやうかぐゆ。

4)得ず、あやしうて、うつぶしてのぞけば、薄香の色したる水、半らばかり入りたる、大指(および)のふときばかりの者の、くち黄ばみたる、二三寸ばかりにて、二切れ三切れ、うち曲りて入りたり。「さにこそはあんめれ」と思ひて見るに、香のえもいはず香ばしければ、きのはしめありすなからむ5)中を突差(ついさ)して鼻にあてて嗅げば、えもいはずうつくしうめでたき黒方(くろほう)の香がす。すべて心も得ず。この世の人にはあらぬ物なりけり。これを見るにつけて「いかでも」と思ふ心、いよいよ狂ふやうにつきて、思ひ狂はるれば、筥を引きよせて、少しひき啜(すす)るに、苦く辛し。丁子ら染み返りたり。この木の端にさして取り上げたる物を、すこし先を食ひ切りて舐めければ、苦く甘し。丁子、黒方に染み返りて、香ばしき事限りなし。丁子を煎じて入れたるなりけり。いま一つの物は、野老(ところ)を薫物・あまづらなどひぢくりて、かき合はせて、大きなる筆の柄(つか)に入れて、それよりまり出ださせたるなり。

かうは誰もする人はありもしなん。「いかで、これを探してみんものも」と思ふ心ぞつかん。様々、いみじかりける者の心かな。世の人にはあらざりけり。「この人には、いかでか物言はむでは止むべきぞ」と思ひけるに、病になりにけるとぞ。

翻刻

今は昔本院侍従の君を兵衛佐さたふんあさなへ
いちう御このまこにてしないやしからすみめかたちえ
もいはすけはひ有さま人にすくれたり世すき物と
いはれける人なれは是に物いひかけられぬ人はなかり
けりされ共此侍従の君其比の宮仕人の中にみあ/39オ
れの宣旨本院侍従の君をへいちう年比えも
いはすしぬしぬとけしやうしけれとすへて返り
事をたにせさりけれは猶々ふみを出てたたみつ
と斗の二もしをたにみせ給へとてやりたりける
たひつかひ返事をもてきけれは物のあたりて
急きとりてあけてみれは我みつとたにといひや
りつるふたもしおをやりとりてうすやうにをしつ
けてをこせたる也けりねたさ悲しき事限なしき
さらきの晦日かたの事也かくてやみなんとをともせ
てすくすに五月廿日の程五月雨の比なれは雨の/39ウ
かきたれ降ていみしうくらき夜こよひ行たらは
いみしき物のふ成とも哀は知なんかしと思ひてかちよ
りわりなくして局にいきて夜中にやうやう成程
に思ひわひてわらはをよひてかくなんまいりたると
いはせたれは唯今おまへにも人々ねさふらはん参
らむといひいたしたりけれは胸うちさはきされは
こそかかる夜きたらん人を思はさらんやと思ひてくら
とのはさまにかひそひて立たる程におほくの年月
をすくさん心ちす一時はかり有て人みなぬるをとす
るをうちより人きてやりとのかけかねをはつす/40オ
音す也うれしさによりてひけはやすらかにあ
きぬ夢のやうにおほえてこはいかにしたるそと思ふ
にみもわななかるる物也けりされとをししつめて
やをらいれはそら焼物にほひみちたりあゆみ入
てふし所とおほしき所をさくれはなよらかなる
きぬ一かさねきてそひふしたりかしらのやう体
ほそやかにかみのかかりこほりをのしかけたるやうにひ
ややかにて手にあたるもおほえすわななかれてい
ひてんする事もおほえぬにをんないふやういみし
き物わすれをこそしにけれへたてのしやうしのか/40ウ
けかねをかけてきにけるあはれ行てかけてこんと
いへはけにと思ひてさはとくおはせといへをきてう
へにきたる衣をぬきてひとへきぬはかまはかりをきて
いぬそのまにいれはきぬをきてまちふとりさう
しかくるをとす也今はくらんと思ふにあしをとの
おくさまにきこえてくる音もせすひさしう成ぬ
れはあやしさにおきて此しやうしの方をさくれは
あなたをかけていにける也けりいはんかたなくおほえ
てさうしにそひてたてり何共なくて涙のみこほ
るる事五月雨にをとらすこはかうりに入てかく/41オ
はかなことはいかてか有へきそいてこそくして行てかけ
さすへかりけれ我心みんと思ひてかくはしつる也いか
に我をはかなき物かと思ふらんあはぬよりねたき事
かきりなし思ひあまりて思ふやうさはれ夜あくると
もかくてあらむさり共人しれかしとあやなく思へともあ
けて人くる音すれはかくてあらんもそそろかれていそ
き出ぬ扨後よりは此人をいかてうき事なとききて
うらみなはやと思へ共露さ様の事きかすへくも
なし思ひわひて思ふやう此人かくおかしくともはこ
にしたらんことは誰もおなしやうにこそあらめこれ/41ウ
をさかして見かきなとして思ひとまりなんと思ひてこれ
かひすましのいもいかてうかかひてとりてみんうとま
しかりなんと思ひて局をさりけなくてうかかふ程
に年十四五はかり成ひすましのすかたやう体おか
しけにてもてなしなとたたならぬめの童のかみあこ
めにたらぬ程にてなてしこかさねのあこめにこきはかま
しとけなけにひきあけてかう染のうす物のつつみ
にはこをつつみてあかきしきしのゑりにたる扇さし
かくしていくをいみしううれしく思ひて見つき見つき
行つつ人もみぬ所にてはしりよりてはこをはいつわ/42オ
らはなくなくおしめともなさけなくひきはいてはし
りて人なき屋のうちに入てうちさしにさしたれはわ
らははとになきたてる也けりさてはこをおくの方
にあかき所に行てみれはうす物をふたへにてかうに
そめかへしたりかうはしき事限なしはこを見れは
きんのうるしのやうにぬりたり此はこのていをみる
にあけん事もいとをしくおほえてうちはしらすつつ
みのやうはこのていみるになへて人にも似すされは
れうせんこそこともいとおしけれはしはしあけす
まほりゐたるにさてのみあらんやはとておつおつあけ/42ウ
て見れはちやうしのかのいみしうはやうかくゆんえ
すあやしうてうつふしてのそけはうすかうの色し
たる水なからはかり入たるをよひのふときはかりの
もののくちきはみたる二三すんはかりにてふたきれ
三きれうちまかりていりたりさにこそはあんめれ
と思ひて見るにかのえもいはすかうはしけれはき
のはしめありすなからむ中をついさしてはなにあて
てかけはえもいはすうつくしうめてたきくろほ
うの香かすすへて心もえすこの世の人にはあ
らぬ物也けり是を見るにつけていかてもと思ふ心/43オ
いよいよくるうやうにつきておもひくるはるれは
はこを引よせてすこしひきすするににかくからしちや
うしらし見かへりたりこの木のはしにさしてとり
あけたる物をすこしさきをくひきりてなめけれ
はにかくあましちやうしくろほうにしみかへりてかう
はしき事限なしちやうしをせんして入たるなりけり
いま一の物はところをたき物あまつらなとひちく
りてかきあはせて大きなるふてのつかに入てそ
れよりまりいたさせたる也かうはたれもする人
は有もしなんいかて是をさかしてみん物もと思ふ/43ウ
心そつかんさまさまいみしかりける物の心かなよの人に
はあらさりけり此人にはいかてか物いはむてはやむへき
そと思ひけるに病に成にけるとそ/44オ
1)
底本「ば」なし
2)
「臥せり」は底本「ふとり」
3)
筥(はこ)か
4)
「心」は群書類従本による。底本「ん」
5)
今昔物語集「木の端の有るを取て」
text/yotsugi/yotsugi054.txt · 最終更新: 2014/09/25 02:43 by Satoshi Nakagawa
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