text:yomeiuji:uji197
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text:yomeiuji:uji197 [2014/10/13 15:02] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji197 [2019/12/08 15:58] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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**盗跖と孔子、問答の事** | **盗跖と孔子、問答の事** | ||
- | これも今はむかし、もろこしにりうかくゑい((柳下恵))といふ人ありき。世のかしこき物にして、人にをもくせらる。そのおととに、盗跖と云者あり。一の山ふところに住て、もろもろのあしき物をまねき集て、をのが伴侶として、人の物をば我物とす。ありく時は、このあしき物どもをぐする事、二三千人也。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 道にあふ人をほろぼし、恥をみせ、よからぬ事のかぎりを好みて過すに、りうかくゑい、道を行時に、孔子に逢ぬ。「いづくへおはするぞ。みづから対面してきこえんとおもふ事のあるに、かしこく逢給へり」といふ。りうかくゑい、「いかなる事ぞ」ととふ。「教訓しきこえんと思事は、そこの舎弟、もろもろのあしき事のかぎりを好みて、おほくの人をなげかする。など制し給はぬぞ」。りうかくゑい答云、「おのれが申さん事を、あへて用べきにあらず。されば、なげきながら年月をふるなり」といふ。孔子の云、「そこをしへ給はずは、我行てをしへん。いかがあるべき」。りうかくゑい云、「さらにおはすべからず。いみじきこと葉をつくしてをしへ給とも、なびくべき物にあらず。かへりてあしき事いできなん。あるべき事にあらず」。孔子云「あしけれど、人の身をえたる物は、おのづからよき事をいふに、つく事もあるなり。それに『あしかりなん。よもきかじ』といふ事は、ひが事也。よし、み給へ。をしへてみせ申さん」と、こと葉をはなちて、盗跖がもとへおはしぬ。 | + | これも今は昔、唐土(もろこし)にり柳下恵(りうかくゑい)といふ人ありき。世のかしこき者にして、人に重くせらる。その弟(おとと)に、盗跖(たうせき)といふ者あり。一つの山ふところに住みて、もろもろの悪しき者を招き集めて、おのが伴侶として、人の物をばわが物とす。歩(あり)く時は、この悪しき者どもを具すること二・三千人なり。 |
- | 馬よりおり、門に立てみれば、ありとある物、しし、鳥をころし、もろもろのあしき事をつどへたり。人をまねきて、「魯の孔子といふものなんまいりたる」といひいるるに、すなはち使かへりていはく、「をとにきく人也。何事によりてきたれるぞ。人ををしふる人ときく。我ををしへにきたれるか。我心にかなはば用ん。叶はずは肝なますに作らん」といふ。その時に孔子、すすみ出て、庭に立て、先盗跖を拝て、のぼりて座につく。盗跖をみれば、頭のかみは上ざまにして、みだれたる事、蓬のごとし。目大にして、みくるべかす。鼻をふきいからかし、牙をかみ、ひげをそらしてゐたり。 | + | 道に逢ふ人を滅ぼし、恥を見せ、よからぬことの限りを好みて過ぐすに、柳下恵、道を行く時に、孔子に逢ひぬ。「いづくへおはするぞ。みづから対面して聞こえんと思ふことのあるに、かしこく逢ひ給へり」と言ふ。柳下恵、「いかなることぞ」と問ふ。「教訓し聞こえんと思ふことは、そこの舎弟、もろもろの悪しきことの限りを好みて、多くの人を歎かする。など制し給はぬぞ」。柳下恵答へていはく、「おのれが申さんことを、あへて用ふべきにあらず。されば、歎きながら年月を経るなり」と言ふ。孔子のいはく、「そこ教へ給はずは、われ行きて教へん。いかがあるべき」。柳下恵いはく、「さらにおはすべからず。いみじき言葉を尽して教へ給ふとも、なびくべき者にあらず。かへりて悪しきこと出で来なん。あるべきことにあらず」。孔子いはく、「悪しけれど、人の身を得たる者は、おのづから良きことを言ふに付くこともあるなり。それに『悪しかりなん。よも聞かじ』といふことは、僻事(ひがごと)なり。よし、見給へ。教へて見せ申さん」と言葉を放ちて、盗跖がもとへおはしぬ。 |
- | 盗跖がいはく、「汝、きたれるゆへはいかにぞ。たしかに申せ」といかれる声のたかくおそろしげなるをもちていふ。孔子思給、「かねてもききし事なれど、かくばかりおそろしきものとは思はざりき。かたち、ありさま、こゑまで、人とは覚ず」。きも心もくだけてふるはるれど、おもひ念じていはく、「人の世にあるやうは、道理をもちて身のかざりとし、心のをきてとする物也。天をいただき、地をふみて、四方をかためとし、大やけにうやまひたてまつり、下をあはれみ、人になさけをいたすを事とする物なり。然に、うけ給はれば、心のほしきままにあしき事をのみ事とするは、当時は心にかなふやうなれども、終あしき物也。されば、猶、人はよきにしたがふをよしとす。然ば申にしたがひて、いますかるべき也。その事申さんと思てまいりつる也」といふ。 | + | 馬より下り、門に立ちて見れば、ありとある者、獣(しし)・鳥を殺し、もろもろの悪しき事を集へたり。人を招きて、「魯の孔子といふ者なん参りたる」と言ひ入るるに、すなはち使返りていはく、「音に聞く人なり。何事によりて来たれるぞ。人を教ふる人ときく。我を教へに来たれるか。わが心にかなはば、用ゐん。かなはずは、肝膾(きもなます)に作らん」と言ふ。その時に、孔子、進み出でて、庭に立ちて、まづ盗跖を拝みて、上りて座に着く。盗跖を見れば、頭の髪は上ざまにして、乱れたること、蓬(よもぎ)のごとし。目大きにして、見くるべかす。鼻を吹きいからかし、牙を噛み、髭(ひげ)をそらしてゐたり。 |
- | 時に盗跖、いかづちのやうなる声をあげて、わらひていはく、「汝がいふ事ども、一もあたらず。そのゆへは、むかし、尭、舜と申二人の御門、世にたうとまれ給き。しかれども、その子孫、世に針さす斗の所をしらず。又、世にかしこき人は、伯夷、叔斉なり。首陽山にふせりて餓死き。又、そこの弟子に顔回といふ者ありき。かしこくをしへたてたりしかども、不幸にして命みじかし。又、おなじき弟子にて、しみといふものありき。れいの門にして殺されき。しかあれば、かしこき輩は、つゐにかしこき事もなし。我、又、あしき事をこのめど、災身にきたらず。ほめらるるもの、四五日に過ず。そしらるるもの、又四五日に過ず。あしき事もよき事も、ながくほめられ、ながくそしられず。しかれば、我このみにしたがひてふるまふべきなり。汝、又、木を折て冠にし、皮を持て衣とし、世をおそり、大やけにおぢたてまつるも、二たび魯にうつされ、あとをゑいにけづらる。など、かしこからぬ。汝がいふ所、誠におろかなり。すみやかに、はしり帰りね。一も用るべからず。」といふ。 | + | 盗跖がいはく、「汝、来たれるゆゑはいかにぞ。たしかに申せ」と怒れる声の、高く恐しげなるをもちていふ。孔子思ひ給ふ、「かねても聞きしことなれど、かくばかり恐しき者とは思はざりき。形・ありさま・声まで、人とは思えず」。肝心(きもこころ)も砕けて震はるれど、思ひ念じていはく、「人の世にあるやうは、道理をもちて身の飾りとし、心の掟(おきて)とするものなり。天をいただき、地を踏みて、四方を固めとし、おほやけに敬ひ奉り、下を哀れみ、人に情けをいたすをこととするものなり。しかるに、承れば、心の欲しきままに悪しきことをのみこととするは、当時は心にかなふやうなれども、終り悪しきものなり。さればなほ、人は良きに従ふをよしとす。しかれば、申すに従ひていますかるべきなり。そのこと申さんと思ひて、参りつるなり」と言ふ。 |
- | 時に孔子、又いふべき事おぼえずして、座を立て、いそぎ出て、馬に乗給に、よくおくしけるにや、轡を二たびとりはづし、鐙をしきりに踏はづす。 | + | 時に盗跖、雷(いかづち)のやうなる声を上げて、笑ひていはく、「なんぢが言ふことども、一つも当たらず。そのゆゑは、昔、尭・舜と申す二人の帝(みかど)、世に貴まれ給ひき。しかれども、その子孫、世に針さすばかりの所を知らず。また、世に賢き人は、伯夷・叔斉なり。首陽山に伏せりて餓ゑ死にき。また、そこの弟子に顔回といふ者ありき。賢く教へたてたりしかども、不幸にして命短かし。また、同じき弟子にて、しみ((底本ママ。「子路(しろ)」の誤り。))といふ者ありき。れい((底本ママ。「衛(ゑい)」の誤り。))の門にして殺されき。しかあれば、賢き輩(ともがら)は、つひに賢きこともなし。われまた悪しきことを好めど、災ひ身に来たらず。讃めらるるもの、四・五日に過ぎず。謗らるるもの、また四・五日に過ぎず。悪しきことも、良きことも、長く讃められ、長く謗られず。しかれば、わが好みに従ひて振舞ふべきなり。なんぢ、また、木を折りて冠にし、皮をもちて衣とし、世を恐り、おほやけに怖ぢ奉るも、二度(ふたたび)魯に移され、あとを衛に削らる。など賢からぬ。なんぢが言ふ所、まことに愚かなり。すみやかに走り帰りね。一も用ゐるべからず。」と言ふ。 |
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+ | 時に孔子、また言ふべきこと思えずして、座を立ちて、急ぎ出でて、馬に乗り給ふに、よく臆しけるにや、轡(くつわ)を二度(ふたたび)取り外し、鐙(あぶみ)をしきりに踏み外す。 | ||
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+ | 世の人、「孔子倒(くじたう)れす」と言ふなり。 | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | これも今はむかしもろこしにりうかくゑいといふ人ありき世のかし | ||
+ | こき物にして人にをもくせらるそのおととに盗跖と云者あり一の | ||
+ | 山ふところに住てもろもろのあしき物をまねき集てをのか伴侶と | ||
+ | して人の物をは我物とすありく時はこのあしき物ともをくする | ||
+ | 事二三千人也道にあふ人をほろほし恥をみせよからぬ事の | ||
+ | かきりを好みて過すにりうかくゑい道を行時に孔子に逢ぬ | ||
+ | いつくへおはするそみつから対面してきこえんとおもふ事のあるに | ||
+ | かしこく逢給へりといふりうかくゑいいかなる事そととふ教訓し | ||
+ | きこえんと思事はそこの舎弟もろもろのあしき事のかきりを好みて | ||
+ | おほくの人をなけかするなと制し給はぬそりうかくゑい答云おの/下109オy471 | ||
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+ | れか申さん事をあへて用へきにあらすされはなけきなから年月を | ||
+ | ふるなりといふ孔子の云そこをしへ給はすは我行てをしへんいかか | ||
+ | あるへきりうかくゑい云さらにおはすへからすいみしきこと葉をつくし | ||
+ | てをしへ給ともなひくへき物にあらすかへりてあしき事いてきなん | ||
+ | あるへき事にあらす孔子云あしけれと人の身をえたる物はおのつから | ||
+ | よき事をいふにつく事もあるなりそれにあしかりなんよもきかしと | ||
+ | いふ事はひか事也よしみ給へをしへてみせ申さんとこと葉をはな | ||
+ | ちて盗跖かもとへおはしぬ馬よりおり門に立てみれはありとある物 | ||
+ | しし鳥をころしもろもろのあしき事をつとへたり人をまねきて魯 | ||
+ | の孔子といふものなんまいりたるといひいるるにすなはち使かへりて | ||
+ | いはくをとにきく人也何事によりてきたれるそ人ををしふる人ときく | ||
+ | 我ををしへにきたれるか我心にかなはは用ん叶はすは肝なますに作 | ||
+ | らんといふその時に孔子すすみ出て庭に立て先盗跖を拝てのほりて座に/下109ウy472 | ||
+ | |||
+ | つく盗跖をみれは頭のかみは上さまにしてみたれたる事蓬 | ||
+ | のことし目大にしてみくるへかす鼻をふきいからかし牙をかみひ | ||
+ | けをそらしてゐたり盗跖かいはく汝きたれるゆへはいかにそた | ||
+ | しかに申せといかれる声のたかくおそろしけなるをもちて | ||
+ | いふ孔子思給かねてもききし事なれとかくはかりおそろしきもの | ||
+ | とは思はさりきかたちありさまこゑまて人とは覚すきも心も | ||
+ | くたけてふるはるれとおもひ念していはく人の世にあるやうは | ||
+ | 道理をもちて身のかさりとし心のをきてとする物也天を | ||
+ | いたたき地をふみて四方をかためとし大やけにうやまひたて | ||
+ | まつり下をあはれみ人になさけをいたすを事とする物なり | ||
+ | 然にうけ給はれは心のほしきままにあしき事をのみ事とするは | ||
+ | 当時は心にかなふやうなれとも終あしき物也されは猶人はよきに | ||
+ | したかふをよしとす然は申にしたかひていますかるへき也その/下110オy473 | ||
+ | |||
+ | 事申さんと思てまいりつる也といふ時に盗跖いかつちのやう | ||
+ | なる声をあけてわらひていはく汝かいふ事とも一もあたらす | ||
+ | そのゆへはむかし尭舜と申二人の御門世にたうとまれ給き | ||
+ | しかれともその子孫世に針さす斗の所をしらす又世に | ||
+ | かしこき人は伯夷叔斉なり首陽山にふせりて餓死き | ||
+ | 又そこの弟子に顔回といふ者ありきかしこくをしへ | ||
+ | たてたりしかとも不幸にして命みしかし又おなしき弟子 | ||
+ | にてしみといふものありきれいの門にして殺されきしかあれ | ||
+ | はかしこき輩はつゐにかしこき事もなし我又あしき事を | ||
+ | このめと災身にきたらすほめらるるもの四五日に過す | ||
+ | そしらるるもの又四五日に過すあしき事もよき事もな | ||
+ | かくほめられなかくそしられすしかれは我このみにしたかひて | ||
+ | ふるまふへきなり汝又木を折て冠にし皮を持て衣とし/下110ウy474 | ||
+ | |||
+ | 世をおそり大やけにおちたてまつるも二たひ魯にうつされ | ||
+ | あとをゑいにけつらるなとかしこからぬ汝かいふ所誠に | ||
+ | おろかなりすみやかにはしり帰りね一も用るへからすと | ||
+ | いふ時に孔子又いふへき事おほえすして座を立て | ||
+ | いそき出て馬に乗給によくおくしけるにや轡を二たひ | ||
+ | とりはつし鐙をしきりに踏はつす世の人孔子た | ||
+ | うれすといふなり/下111オy475 | ||
- | 世の人「孔子たうれす」と、いふなり。 |
text/yomeiuji/uji197.1413180166.txt.gz · 最終更新: 2014/10/13 15:02 by Satoshi Nakagawa