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宇治拾遺物語

第194話(巻15・第9話)仁戒上人、往生の事

仁戒上人往生事

仁戒上人、往生の事

これも今はむかし、南京に仁戒上人といふ人ありけり。山階寺の僧なり。才学寺中にならぶ輩なし。

然に、俄に道心をおこして、寺を出んとしけるに、その時の別当興正僧都、いみじう惜みて、制しとどめて、出し給はず。しわびて、西の里なる人の女を妻にして通ければ、人々、やうやうささやきだちけり。「人にあまねくしらせん」とて、家の門に、此女の頸にいだきつきて、うしろに立そひたり。行とをる人、みてあさましがり、心うがる事限なし。いたづら物に成ぬと、人にしらせんためなり。

さりながら、此妻と相具しながら、更に近づく事なし。堂に入て、夜もすがら眠ずして、涙をおとして行ひけり。此事を別当僧都聞て、弥たうとみて喚よせければ、しわびて逃て、葛下郷の郡司が聟に成にけり。念珠などをもわざと持ずして、只心中の道心は弥堅固に行けり。

爰に、添下郡の郡司、此上人に目をとどめて、ふかくたうとみ思ければ、跡も定めず、ありきける尻に立て、衣食沐浴等をいとなみけり。上人思やう、「いかに思て、この郡司夫妻は、ねん比に我を訪らん」とて、その心を尋ければ、郡司答るやう、「何事か侍らん。ただ貴く思侍れば、かやうに仕也。但、一事申さんと思事あり」といふ。「何事ぞ」と問ば、「御臨終の時は、いかにしてか値申べき」といひければ、上人心にまかせたる事のやうに、「いとやすき事に有なん」と答れば、郡司、手をすりて悦けり。

さて、年比過て、或冬雪ふりける日。暮がたに、上人、郡司が家に来ぬ。郡司喜て、例の事なれば、食物下人どもにもいとなませず、夫婦手づから、みづからしてめさせけり。湯などあみて伏ぬ。暁は又、郡司夫妻とくおきて、食物種々にいとなむに、上人の臥給へる方より、かうばしき事限なし。匂一家に宛まり、「是は名香など焼給なめり」とおもふ。「暁はとく出ん」との給つれども、夜明るまでおき給はず。郡司、「御粥いできたり。此由申せ」と御弟子にいへば、「腹あしくおはする上人なり。あしく申て打れ申さん。今おき給なん」といひてゐたり。

さる程に、日も出ぬれば、「例はかやうに久しくはね給はぬに、あやし」と思て、よりてをとなひけれど、をとなし。ひきあけてみれば、西に向、端座合掌して、はや死給へり。浅増き事限なし。郡司夫婦、御弟子共など、悲泣み、かつはたうとみ、おがみけり。「暁、かうばしかりつるは、極楽の迎なりけり」と思あはす。

「『おはりにあひ申さん』と申しかば、ここに来給てけるにこそ」と郡司、泣々葬送の事もとりさたしけるとなん。

text/yomeiuji/uji194.1413175607.txt.gz · 最終更新: 2014/10/13 13:46 by Satoshi Nakagawa