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宇治拾遺物語

第186話(巻15・第1話)清見原天皇、大友皇子と合戦の事

清見原天皇与大友皇子合戦事

清見原天皇、大友皇子と合戦の事

いまは昔、天智天皇の御子に大友皇子といふ人ありけり。太政大臣に成て、世の政を行てなんありける。心の中に「御門失給なば、次の御門には我ならん」と思給けり。清見原天皇、その時は春宮にておはしましけるが、此気色をしらせ給ければ、「大友皇子は時の政をし、世のおぼえも威勢もまう也。我は春宮にてあれば、勢も及べからず。あやまたれなん」とおそりおぼして、御門、病つき給、則、「吉野山の奥に入て、法師になりぬ」といひて、こもり給ぬ。其時、大友皇子に人申けるは、「春宮を吉野山にこめつるは、虎に羽をつけて、野に放ものなり。同宮にすへてこそ、心のままにせめ」と申ければ、「げにも」とおぼして、軍をととのへて、迎たてまつるやうにして、殺し奉んとはかり給ふ。

此大友皇子の妻にては、春宮の御女ましましければ、父の殺され給はん事をかなしみ給て、「いかで此事告申さん」とおぼしけれど、すべきやうもなかりけるに、思わび給て、鮒のつつみやきの有けるが、腹にちいさくふみをかきて、をし入て奉り給へり。

春宮、これを御覧じて、さらでだに、おそれおぼしける事なれば、「さればこそ」とて、いそぎ下種の狩衣、袴を着給て、藁沓をはきて、宮の人にもしられず、只一人山を越て、北ざまにおはしける程に、山城国たはらといふ所へ、道もしり給はねば、五六日にぞたどるたどる、おはしつきにける。その里人、あやしくけはひのけだかくおぼえければ、高つきに栗を焼、又ゆでなどして、まいらせたり。その二色の栗を、「おもふ事かなふべくは、おひいでて木になれ」とて、片山のそへにうづみ給ぬ。里人、これをみて、あやしがりて、しるしをさしてをきつ。

そこをいで給て、志摩国ざまへ、山に添ていで給ぬ。その国の人、あやしがりて、問たてまつれば、「道に迷たる人なり。喉かはきたり。水のませよ」と仰られければ、大なるつるべに水を汲て参らせたりければ、喜て仰られけるは、「汝がぞうに此国のかみとはなさん」とて、美濃国へおはしぬ。

この国のすのまたのわたりに、舟もなくて立給たりけるに、女の、大なるふねに布入て洗けるに、「此わたり、なにともして渡してんや」との給ければ、女申けるは、「一昨日、大友の大臣の御使といふものきたりて、渡の舟どもみなとりかくさせていにしかば、これをわたしたてまつりたりとも、おほくの渡りえ過させ給まじ。かくはかりぬる事なれば、いま軍責来らんずらん。いかがしてのがれ給べき」といふ。「さては、いかがすべき」との給ければ、女申けるは、「みたてまつるやうあり。ただにはいませぬ人こそ。さらば、かくし奉らん」といひて、湯舟をうつぶしになして、その下にふせたてまつりて、上に布をおほくをきて、水汲かけて洗ゐたり。

しばし斗ありて、兵四五百人斗きたり。女に問て云、「これより人やわたりつる」といへば、女のいふやう、「やごとなき人の、軍千人ばかりぐしておはしつる。今は信濃国には入給ぬらん。いみじき竜のやうなる馬に乗て、飛がごとくしておはしき。此少勢にては、追付給たりとも、みな殺され給なん。これより帰て、軍をおほくととのへてこそ、追給はめ」といひければ、「まことに」と思て、大友皇子の兵、みな引返しにけり。

其後、女に仰られけるは、「此辺に軍催さんに出きなんや」と問給ければ、女、はしりまひて、その国のむねとある者どもを催しかたらふに、則二三千人の兵いできにけり。それを引ぐして、大友皇子を追給に、近江国大津といふ所に、追付てたたかふに、皇子の軍やぶれて、ちりぢりに逃ける程に、大友皇子、つゐに山崎にて討れ給て、頭とられぬ。それより春宮、大和国に帰おはしてなん、位につき給けり。

田原にうづみ給し焼栗、ゆでぐりは、形もかはらず生出たり。今に田原の御栗とて奉るなり。しまの国にて水めさせたる者は、高階氏のものなり。されば、それが子孫、国守にてはある也。その水めしたりしつるべは、今に薬師寺にあり。すのまたの女は、不破の明神にてましましけりとなん。

text/yomeiuji/uji186.1413175306.txt.gz · 最終更新: 2014/10/13 13:41 by Satoshi Nakagawa