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text:yomeiuji:uji186 [2019/12/01 21:56] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji186 [2020/02/17 22:34] (現在) Satoshi Nakagawa
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 いまは昔、天智天皇の御子に大友皇子((弘文天皇))といふ人ありけり。太政大臣になりて、世の政(まつりごと)を行ひてなんありける。心の中に「御門失せ給ひなば、次の御門にはわれならん」と思ひ給ひけり。清見原天皇((天武天皇・大海人皇子))、その時は春宮にておはしましけるが、この気色を知らせ給ひければ、「大友皇子は時の政をし、世のおぼえも威勢も猛(まう)なり。われは春宮にてあれば、勢も及ぶべからず。あやまたれなん」と恐り思して、御門、病(やまひ)つき給ふ、すなはち、「吉野山の奥に入りて、法師になりぬ」と言ひて、こもり給ひぬ。 いまは昔、天智天皇の御子に大友皇子((弘文天皇))といふ人ありけり。太政大臣になりて、世の政(まつりごと)を行ひてなんありける。心の中に「御門失せ給ひなば、次の御門にはわれならん」と思ひ給ひけり。清見原天皇((天武天皇・大海人皇子))、その時は春宮にておはしましけるが、この気色を知らせ給ひければ、「大友皇子は時の政をし、世のおぼえも威勢も猛(まう)なり。われは春宮にてあれば、勢も及ぶべからず。あやまたれなん」と恐り思して、御門、病(やまひ)つき給ふ、すなはち、「吉野山の奥に入りて、法師になりぬ」と言ひて、こもり給ひぬ。
  
-その時、大友皇子に人申しけるは、「春宮を吉野山にこめつるは、虎に羽を付けて、野に放つものなり。同じ宮にすゑてこそ、心のままにせめ」と申しければ、「げにも」と思して、軍を整へて、迎へ奉るやうにして、殺し奉らんと謀り給ふ。+その時、大友皇子に人申しけるは、「春宮を吉野山にこめつるは、虎に羽を付けて、野に放つものなり。同じ宮にすゑてこそ、心のままにせめ」と申しければ、「げにも」と思して、軍を整へて、迎へ奉るやうにして、殺し奉らんと謀り給ふ。
  
 この大友皇子の妻((十市皇女))にては、春宮の御女ましましければ、父の殺され給はんことを悲しみ給ひて、「いかでこのこと告げ申さん」と思しけれど、すべきやうなかりけるに、思ひわび給ひて、鮒の包み焼きのありける腹に、小さく文を書きて、押し入れて奉り給へり。 この大友皇子の妻((十市皇女))にては、春宮の御女ましましければ、父の殺され給はんことを悲しみ給ひて、「いかでこのこと告げ申さん」と思しけれど、すべきやうなかりけるに、思ひわび給ひて、鮒の包み焼きのありける腹に、小さく文を書きて、押し入れて奉り給へり。
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 そこをいで給ひて、志摩国ざまへ、山に添ひて出で給ぬ。その国の人、怪しがりて、問ひ奉れば、「道に迷ひたる人なり。喉乾きたり。水飲ませよ」と仰せられければ、大きなる釣瓶(つるべ)に水を汲みて参らせたりければ、喜びて仰せられけるは、「なんぢが族(ぞう)に、この国の守(かみ)とはなさん」とて、美濃国へおはしぬ。 そこをいで給ひて、志摩国ざまへ、山に添ひて出で給ぬ。その国の人、怪しがりて、問ひ奉れば、「道に迷ひたる人なり。喉乾きたり。水飲ませよ」と仰せられければ、大きなる釣瓶(つるべ)に水を汲みて参らせたりければ、喜びて仰せられけるは、「なんぢが族(ぞう)に、この国の守(かみ)とはなさん」とて、美濃国へおはしぬ。
  
-この国の洲股(すのまた・墨俣)の渡りに、舟もなくて立ち給ひたりけるに、女の、大きなる舟に布入れて洗ひけるに、「この渡り、何ともして渡してんや」とのたまひければ、女、申しけるは、「一昨日、大友の大臣の御使といふ者来たりて、渡りの舟ども、みな取り隠させて去にしかば、これを渡し奉りたりとも、多くの渡り、え過ぎさせ給まじ。かく謀りぬることなれば、今軍(いくさ)責め来たらんずらん。いかがして逃れ給ふべき」と言ふ。「さては、いかがすべき」とのたまひければ、女、申しけるは、「見奉るやうあり。ただにはいませぬ人こそ。さらば隠し奉らん」といひて、湯をうつ伏しになして、その下に伏せ奉りて、上に布を多く置きて、水汲みかけて洗ひゐたり。+この国の洲股(すのまた・墨俣)の渡りに、舟もなくて立ち給ひたりけるに、女の、大きなる舟に布入れて洗ひけるに、「この渡り、何ともして渡してんや」とのたまひければ、女、申しけるは、「一昨日、大友の大臣の御使といふ者来たりて、渡りの舟ども、みな取り隠させて去にしかば、これを渡し奉りたりとも、多くの渡り、え過ぎさせ給まじ。かく謀りぬることなれば、今軍(いくさ)責め来たらんずらん。いかがして逃れ給ふべき」と言ふ。「さては、いかがすべき」とのたまひければ、女、申しけるは、「見奉るやうあり。ただにはいませぬ人こそ。さらば隠し奉らん」といひて、湯をうつ伏しになして、その下に伏せ奉りて、上に布を多く置きて、水汲みかけて洗ひゐたり。
  
 しばしばかりありて、兵(つはもの)四・五百人ばかり来たり。女に問ひていはく、「これより人や渡りつる」と言へば、女の言ふやう、「やごとなき人の、軍千人ばかり具しておはしつる。今は信濃国には入り給ひぬらん。いみじき竜のやうなる馬に乗りて、飛ぶがごとくしておはしき。この少勢にては、追ひ付き給ひたりとも、みな殺され給ひなん。これより帰りて、軍を多く整へてこそ追ひ給はめ」と言ひければ、「まことに」と思ひて、大友皇子の兵、みな引き返しにけり。 しばしばかりありて、兵(つはもの)四・五百人ばかり来たり。女に問ひていはく、「これより人や渡りつる」と言へば、女の言ふやう、「やごとなき人の、軍千人ばかり具しておはしつる。今は信濃国には入り給ひぬらん。いみじき竜のやうなる馬に乗りて、飛ぶがごとくしておはしき。この少勢にては、追ひ付き給ひたりとも、みな殺され給ひなん。これより帰りて、軍を多く整へてこそ追ひ給はめ」と言ひければ、「まことに」と思ひて、大友皇子の兵、みな引き返しにけり。
text/yomeiuji/uji186.txt · 最終更新: 2020/02/17 22:34 by Satoshi Nakagawa