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text:yomeiuji:uji186 [2014/10/13 13:41] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji186 [2019/12/01 21:56] Satoshi Nakagawa
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 **清見原天皇、大友皇子と合戦の事** **清見原天皇、大友皇子と合戦の事**
  
-いまは昔、天智天皇の御子に大友皇子といふ人ありけり。太政大臣に成て、世の政を行てなんありける。心の中に「御門失給なば、次の御門には我ならん」と思給けり。清見原天皇、その時は春宮にておはしましけるが、此気色をしらせ給ければ、「大友皇子は時の政をし、世のおぼえも威勢もまう也。我は春宮にてあれば、勢も及べからず。あやまたれなん」とおそりおぼして、御門、病つき給、則、「吉野山の奥に入て、法師になりぬ」といひて、こもり給ぬ。其時、大友皇子に人申けるは、「春宮を吉野山にこめつるは、虎に羽をつけて、野に放ものなり。同宮にすへてこそ、心のままにせめ」と申ければ、「げにも」とおぼして、軍をととのへて、迎たてまつるやうにして、殺し奉んとはかり給ふ。+===== 校訂本文 =====
  
-大友皇子の妻にては、春宮の御女ましましければ殺され給はん事かなみ給て「いかで此事告申さん」とおぼしけうもけるに、わび給て、鮒のつつみやきの有けるが腹にいさくふみをかきてをし入て給へり。+いまは昔、天智天皇の御子に大友皇子((弘文天皇))といふ人ありけり。太政大臣なり、世の政(まつりごと)を行ひてなんありける。心の中に「御門失せ給ひなば、次の御門にわれならん」と思ひ給ひけり。清見原天皇((天武天皇・大海人皇子))その時は春宮にておはしましけるが気色を知らせひければ、「大友皇子時の政をし、世のおぼえも威勢も猛(まう)なり。わは春宮にてあれば勢も及ぶからず。あまたれん」と恐り思て、御門、病(まひ)つ給ふすなはち、「吉野山の奥に、法師になぬ」と言ひて、こも給ひぬ
  
-春宮これを御覧じて、さらでだ、おそれおぼしける事なれば、「さればそ」とて、いそぎ下種の狩衣、袴を着給て、藁沓をきて宮の人もしられず、只一人山て、北ざまおはしける程に、山城国たはらといふ所へ、道給はねば、五六日ぞたどるたどるおはしつきける。その里人、あやくけはひのけだかくおぼえければ、高つき栗を焼、又ゆでなどして、まいらせたり。その二色の栗を、「おふ事かなふべくは、おひいでて木になれ」とて、片山のそにうづみ給ぬ。里人、これをみて、やしがりて、しるしをさしてをきつ+その時大友皇子人申しける、「春宮を吉野山にめつるは、付けて、放つのな。同じ宮すゑてこそ心のまませめ」と申しければ、「げにも」と思して、軍を整へて、迎へ奉るうにして、奉らんと謀り給ふ
  
-をいで給て、志摩国ざ山に添ていでぬ。その国の人、あやがり、問たてまつれば、「道に迷たる人なり。喉はきたり。水ませよ」と仰られけれなるつるべ水を汲参らせたければ、喜て仰られける「汝がぞうに此国のかみとはなん」とて、美濃国へおは+の大友皇子の妻((十市皇女))に春宮の御女まししければ父の殺されはんことを悲み給ひて、「でここと告げ申さん」と思しけれすべきやうかりけるに、思ひわび給ひ、鮒の包み焼きのありける腹にく文を書きて、入れて奉り給へり
  
-この国のすのまたのわたりに舟もなく立給たりけるの、大なるふねに布入洗けるに、「此わともて渡してんや」との給ければ、女申ける「一昨日、大友の大臣の御使といふものきたりて渡の舟どみなとかくさせていしかばこれをわてまつりたりとも、ほくの渡りえ過させ給まじ。かくかりぬ事なればいま軍責来らんずらん。いかがてのがれ給べき」といふ。「さて、いかがすべき」とければ、女申けるは「みたてまつるやうあり。ただにはいませぬ人こ。さらば、かくし奉らん」といひて、湯舟をうつぶしになて、ふせたまつりて、上に布おほくをき、水汲かけて洗ゐたり+春宮これを御覧じ、さらでだに恐れ思しけることなれば「さればこそ」とて、急ぎ下種狩衣・袴を着給ひて藁沓を履き、宮の人も知られず、ただ一人山を越えて北ざまおはしけるほどに山城国田原といふ所へ給はねば五・六日、たどるどるおはし着きにけ。その里人くけ気高く覚えければ、高坏(たかつき)に栗を焼き茹でなどし、参らせたり。その二色の栗を「思ふことなふべは、生出でになれ」とて、片山そへ埋(うづ)み給ひぬ。里人、これを見、怪しがりて、標(しるし)さし置きつ
  
-ばし斗ありて、兵四五百きたり。女に問て云、「これり人やわたりつる」といへば、女のいふやう、「やごとき人の、軍千人ばかりぐしておはしつる。今は信濃国は入給ぬらん。いじき竜のやうなる馬に乗、飛がごとくしておはしき。此少勢にては、追付給たりとも、みな殺さ給なん。これより帰て軍をおほくととのへこそ、追給め」といひければ、「こと」とて、大友皇子の兵、みな引返にけり+そこをいで給ひて、志摩国ざまへ、山に添ひて出で給ぬ。その国の人、怪りて、問ひ奉れば、「道に迷ひたるなり。喉乾きたり。水飲ませよ」と仰せられければ、大きる釣瓶(つるべ)水を汲みて参らせたり喜び仰せられけるは、「なんぢが族(ぞう)に、の国の守(かみ)はなさん」とて、美濃国へおは
  
-後、女に仰られけるは、「辺に軍催さんに出なんや」と問給ければ、女、はしりまひて、その国のむねとある者どもを催しかたらふに、二三千人の兵にけり。それを引して、大友皇子を追給に、近江国大津といふ所に追付てたたかふに、皇子の軍やぶれて、りに逃けるに、大友皇子、つに山崎にて討れ給て、頭られぬ。それより春宮、大和国に帰おはしてなん、位につき給けり。+この国の洲股(すのまた・墨俣)の渡りに、舟もなくて立ち給ひたりけるに、女の、大きなる舟に布入れて洗ひけるに、「この渡り、何ともして渡してんや」とのたまひければ、女、申しけるは、「一昨日、大友の大臣の御使といふ者来たりて、渡りの舟ども、みな取り隠させて去にしかば、これを渡し奉りたりとも、多くの渡り、え過ぎさせ給まじ。かく謀りぬることなれば、今軍(いくさ)責め来たらんずらん。いかがして逃れ給ふべき」と言ふ。「さては、いかがすべき」とのたまひければ、女、申しけるは、「見奉るやうあり。ただにはいませぬ人こそ。さらば隠し奉らん」といひて、湯舟をうつ伏しになして、その下に伏せ奉りて、上に布を多く置きて、水汲みかけて洗ひゐたり。 
 + 
 +しばしばかりありて、兵(つはもの)四・五百人ばかり来たり。女に問ひていはく、「これより人や渡りつる」と言へば、女の言ふやう、「やごとなき人の、軍千人ばかり具しておはしつる。今は信濃国には入り給ひぬらん。いみじき竜のやうなる馬に乗りて、飛ぶがごとくしておはしき。この少勢にては、追ひ付き給ひたりとも、みな殺され給ひなん。これより帰りて、軍を多く整へてこそ追ひ給はめ」と言ひければ、「まことに」と思ひて、大友皇子の兵、みな引き返しにけり。 
 + 
 +その後、女に仰られけるは、「この辺に軍催(もよほ)さんにで来なんや」と問ければ、女、りまひて、その国のむねとある者どもを催しらふに、すなはち三千人の兵にけり。それを引き具して、大友皇子を追に、近江国大津といふ所に追ふに、皇子の軍れて、りに逃けるほどに、大友皇子、つに山崎にて討れ給て、頭られぬ。それより春宮、大和国に帰おはしてなん、位につき給けり。 
 + 
 +田原に埋み給ひし焼栗・茹で栗は、形も変らず生ひ出でけり。今に田原の御栗とて奉るなり。志摩国にて水召させたる者は、高階氏の者なり。されば、それが子孫、国守にてはあるなり。その水召したりし釣瓶は、今に薬師寺にあり。洲股の女は、不破の明神((仲山金山彦神社))にてましましけりとなん。 
 + 
 +===== 翻刻 ===== 
 + 
 +  いまは昔天智天皇の御子に大友皇子といふ人ありけり太政大 
 +  臣に成て世の政を行てなんありける心の中に御門失給なは次の 
 +  御門には我ならんと思給けり清見原天皇その時は春宮にてお 
 +  はしましけるか此気色をしらせ給けれは大友皇子は時の政を 
 +  し世のおほえも威勢もまう也我は春宮にてあれは勢も及へ 
 +  からすあやまたれなんとおそりおほして御門病つき給則吉野山 
 +  の奥に入て法師になりぬといひてこもり給ぬ其時大友皇子に 
 +  人申けるは春宮を吉野山にこめつるは虎に羽をつけて野に 
 +  放ものなり同宮にすへてこそ心のままにせめと申けれはけにも 
 +  とおほして軍をととのへて迎たてまつるやうにして殺し 
 +  奉んとはかり給ふ此大友皇子の妻にては春宮の御女ましまし 
 +  けれは父の殺され給はん事をかなしみ給ていかて此事告 
 +  申さんとおほしけれとすへきやうなかりけるに思わひ給て鮒/下97オy447 
 + 
 +  のつつみやきの有ける腹にちいさくふみをかきてをし入て奉り 
 +  給へり春宮これを御覧してさらてたにおそれおほしける事なれ 
 +  はされはこそとていそき下種の狩衣袴を着給て藁沓をは 
 +  きて宮の人にもしられす只一人山を越て北さまにおはしける程に山 
 +  城国たはらといふ所へ道もしり給はねは五六日にそたとるたとるおはし 
 +  つきにけるその里人あやしくけはひのけたかくおほえけれは 
 +  高つきに栗を焼又ゆてなとしてまいらせたりその二色の 
 +  栗をおもふ事かなふへくはおひいてて木になれとて片山の 
 +  そへにうつみ給ぬ里人これをみてあやしかりてしるしをさし 
 +  てをきつそこをいて給て志摩国さまへ山に添ていて 
 +  給ぬその国の人あやしかりて問たてまつれは道に迷たる人なり 
 +  喉かはきたり水のませよと仰られけれは大なるつるへに水 
 +  を汲て参らせたりけれは喜て仰られけるは汝かそうに此国のかみとは/下97ウy448 
 + 
 +  なさんとて美濃国へおはしぬこの国のすのまたのわたりに舟 
 +  もなくて立給たりけるに女の大なるふねに布入て洗けるに 
 +  此わたりなにともして渡してんやとの給けれは女申けるは一昨日大友 
 +  の大臣の御使といふものきたりて渡の舟ともみなとりかくさせて 
 +  いにしかはこれをわたしたてまつりたりともおほくの渡りえ過させ 
 +  給ましかくはかりぬる事なれはいま軍責来らんすらんいかか 
 +  してのかれ給へきといふさてはいかかすへきとの給けれは女申 
 +  けるはみたてまつるやうありたたにはいませぬ人こそさらはかく 
 +  し奉らんといひて湯舟をうつふしになしてその下にふせたて 
 +  まつりて上に布をおほくをきて水汲かけて洗ゐたりしはし 
 +  斗ありて兵四五百人斗きたり女に問て云これより人や 
 +  わたりつるといへは女のいふやうやことなき人の軍千人はかりくして 
 +  おはしつる今は信濃国には入給ぬらんいみしき竜のやうなる馬に/下98オy449 
 + 
 +  乗て飛かことくしておはしき此少勢にては追付給たりともみな 
 +  殺され給なんこれより帰て軍をおほくととのへてこそ追給 
 +  はめといひけれはまことにと思て大友皇子の兵みな引返しにけり 
 +  其後女に仰られけるは此辺に軍催さんに出きなんやと問給けれは 
 +  女はしりまひてその国のむねとある者ともを催しかたらふに 
 +  則二三千人の兵いてきにけりそれを引くして大友皇子を 
 +  追給に近江国大津といふ所に追付てたたかふに皇子の軍 
 +  やふれてちりちりに逃ける程に大友皇子つゐに山崎にて討れ 
 +  給て頭とられぬそれより春宮大和国に帰おはしてなん位に 
 +  つき給けり田原にうつみ給し焼栗ゆてくりは形もかはらす 
 +  生出けり今に田原の御栗とて奉るなりしまの国にて水めさせ 
 +  たる者は高階氏のものなりされはそれか子孫国守にてはある也 
 +  その水めしたりしつるへは今に薬師寺にありすのまたの女は不破の/下98ウy450 
 + 
 +  明神にてましましけりとなん/下99オy451
  
-田原にうづみ給し焼栗、ゆでぐりは、形もかはらず生出たり。今に田原の御栗とて奉るなり。しまの国にて水めさせたる者は、高階氏のものなり。されば、それが子孫、国守にてはある也。その水めしたりしつるべは、今に薬師寺にあり。すのまたの女は、不破の明神にてましましけりとなん。 
text/yomeiuji/uji186.txt · 最終更新: 2020/02/17 22:34 by Satoshi Nakagawa