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text:yomeiuji:uji183

宇治拾遺物語

第183話(巻14・第9話)大将、慎みの事

大将慎事

大将、慎みの事

校訂本文

これも今は昔、「月の大将星を犯す」といふ勘文(かんもん)を奉れり。「よりて、近衛大将、重く慎み給ふべし」とて、小野宮右大将1)は、さまざまの御祈りどもありて、春日社2)・山階寺3)などにも、御祈りあまたせらる。

その時の左大将は、枇杷左大将仲平4)と申す人にておはしける。東大寺の法蔵僧都は、この左大将の御祈りの師なり。「さだめて御祈りのことありなん」と待つに、音もし給はねば、おぼつかなさに、京に上りて、枇杷殿に参りぬ。

殿、会ひ給ひて、「何事にて上られたるぞ」とのたまへば、僧都申しけるやう、「奈良にて承れば、『左大将殿、慎み給ふべし』と、天文博士かんがへ申したりとて、右大将殿は春日社・山階寺などに、御祈さまざまに候へば、『殿よりも、さだめて候ひなん』と思ひ給へて、案内つかうまつるに、『さることも承らず』と、みな申し候へば、おぼつかなく思ひ給へて、参り候ひつるなり。なほ、御祈候はんこそ、よく候はめ」と申しければ、左大将のたまふやう、「もつともしかるべきことなり。されど、おのが思ふは、『大将の慎むべし』と申すなるに、おのれも慎まば、右大将のために悪しうもこそあれ。かの大将は、才(ざえ)もかしこくいますかり。年も若し。おほやけにつかうまつるべき人なり。おのれにおきては、させることもなし。年も老いたり。『いかにもなれ、なんでうことかあらん』と思へば、祈らぬなり」とのたまひければ、僧都、ほろほろとうち泣きて、「百千の御祈りにまさるらん。この御心のぢやうにては、ことの恐りさらに候はじ」と言ひてまかでぬ。

されば、まことにことなくて、大臣になりて、七十余までなんおはしける。

翻刻

是も今はむかし月の大将星を犯といふ勘文をたてまつれり
よりて近衛大将をもくつつしみ給へしとて小野宮右大将はさ/下92オy437
まさまの御祈ともありて春日社山階寺なとにも御祈あまたせ
らる其時の左大将は枇杷左大将仲平と申人にておはしける東
大寺の法蔵僧都は此左大将の御祈の師也さためて御祈の事ありなん
と待にをともし給ねは覚束なさに京に上りて枇杷殿にまいり
ぬ殿あひ給て何事にてのほられたるそとの給へは僧都申ける
やう奈良にてうけ給れは左右大将殿つつしみ給へしと天文博士
勘申たりとて右大将殿は春日社山階寺なとに御祈さまさまに
候へは殿よりもさためて候なんと思給て案内つかうまつるにさる事も
うけ給はらすとみな申候へはおほつかなく思給てまいり候つる也猶御
祈候はんこそよく候はめと申けれは左大将の給やう尤しかるへき
事なりされとおのか思ふは大将のつつしむへしと申なるにおのれも
つつしまは右大将のためにあしうもこそあれかの大将は才もかし
こくいますかり年もわかし大やけにつかうまつるへき/下92ウy438
人なりおのれにをきてはさせる事もなし年も老たりいかにも
なれ何条事かあらんと思へはいのらぬ也との給けれは僧都ほろ
ほろとうちなきて百千の御祈にまさるらん此御心の定にては事
のおそり更に候はしといひてまかてぬされは実にことなくて大
臣に成て七十余まてなんおはしける/下93オy439
1)
藤原実頼
2)
春日大社
3)
興福寺
4)
藤原仲平
text/yomeiuji/uji183.txt · 最終更新: 2019/11/30 18:48 by Satoshi Nakagawa