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text:yomeiuji:uji180 [2014/10/13 13:39] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji180 [2017/09/30 21:38] – [第180話(巻14・第6話)珠の価、量無き事] Satoshi Nakagawa
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 筑紫にたうしせうずといふ物あり。それがかたりけるは、物へ行ける道に、おのこの「玉やかふ」と、いひて、反古のはしにつつみたる玉を、懐よりひきいでてとらせたりけるを、みれば、もくれんじよりもちいさき玉にてぞ有ける。「これはいくら」と、問ければ「絹廿疋」といひければ、「あさまし」と思て、物へいきけるをとどめて、玉もちのおのこぐして家に帰て、きぬのありけるままに、六十疋ぞとらせたりける。「これは廿疋のみは、すまじき物を、すくなくいふがいとおしさに、六十疋をとらするなり」といひければ、おのこ悦ていにけり。 筑紫にたうしせうずといふ物あり。それがかたりけるは、物へ行ける道に、おのこの「玉やかふ」と、いひて、反古のはしにつつみたる玉を、懐よりひきいでてとらせたりけるを、みれば、もくれんじよりもちいさき玉にてぞ有ける。「これはいくら」と、問ければ「絹廿疋」といひければ、「あさまし」と思て、物へいきけるをとどめて、玉もちのおのこぐして家に帰て、きぬのありけるままに、六十疋ぞとらせたりける。「これは廿疋のみは、すまじき物を、すくなくいふがいとおしさに、六十疋をとらするなり」といひければ、おのこ悦ていにけり。
  
-その玉を持て、唐に渡てけるに、道の程おそろしかりけれども、身をもはなたず、まもりなどのやうに、くびかけてぞありける。あしき風の吹ければ、唐人は、あしき浪風に逢ぬれば、船のうちに一の宝と思ふ物を海に入なるに、「此せうずが玉を海に入ん」といひければ、せうずがいひけるやうは、「此玉を海に入ては、いきてもかひあるまじ。ただ、我身ながらいれば入よ」とて、かかへてゐたりければ、さすがに人を入べきやうもなかりければ、とかくいひける程に、玉うしなふまじきほうやありけん、風なをりにければ、悦て入すなりにけり。その船の一のせんどうといふ物も、大なる玉もちたりけれども、それはすこしひらにて、此玉にはおとりてぞありける。+その玉を持て、唐に渡てけるに、道の程おそろしかりけれども、身をもはなたず、まもりなどのやうに、くびかけてぞありける。あしき風の吹ければ、唐人は、あしき浪風に逢ぬれば、船のうちに一の宝と思ふ物を海に入なるに、「此せうずが玉を海に入ん」といひければ、せうずがいひけるやうは、「此玉を海に入ては、いきてもかひあるまじ。ただ、我身ながらいれば入よ」とて、かかへてゐたりければ、さすがに人を入べきやうもなかりければ、とかくいひける程に、玉うしなふまじきほうやありけん、風なをりにければ、悦て入すなりにけり。その船の一のせんどうといふ物も、大なる玉もちたりけれども、それはすこしひらにて、此玉にはおとりてぞありける。
  
 かくて唐に行つきて、「玉かはん」といひける人のもとに、船頭が玉を、このせうずにもたせてやりける程に、道におとしてけり。あきれさはぎて、帰もとめけれども、いづくにかあらんずる。思わびて、我玉をぐして、「そこの玉おとしつれば、いまはすべきかたなし。それがかはりに、これをみよ」とてとらせたれば、「我玉はこれにはおとりたりつるなり。その玉のかはりに此玉をえたらば、罪ふかりなん」とて返しけるぞ、さすがにここの人はたがひたりける。此国の人ならば、とらざらんやは。 かくて唐に行つきて、「玉かはん」といひける人のもとに、船頭が玉を、このせうずにもたせてやりける程に、道におとしてけり。あきれさはぎて、帰もとめけれども、いづくにかあらんずる。思わびて、我玉をぐして、「そこの玉おとしつれば、いまはすべきかたなし。それがかはりに、これをみよ」とてとらせたれば、「我玉はこれにはおとりたりつるなり。その玉のかはりに此玉をえたらば、罪ふかりなん」とて返しけるぞ、さすがにここの人はたがひたりける。此国の人ならば、とらざらんやは。
行 26: 行 26:
 かくて、此うしなひつる玉の事をなげく程に、あそびのもとにいにけり。ふたり物がたりしけるつゐでに、むねをさぐりて、「など、胸はさはぐぞ」ととひければ、「しかじかの人の玉をおとして、それが大事なる事を思へば、むねさはぐぞ」といひければ、「ことはり也」とぞ、いひける。 かくて、此うしなひつる玉の事をなげく程に、あそびのもとにいにけり。ふたり物がたりしけるつゐでに、むねをさぐりて、「など、胸はさはぐぞ」ととひければ、「しかじかの人の玉をおとして、それが大事なる事を思へば、むねさはぐぞ」といひければ、「ことはり也」とぞ、いひける。
  
-さて、帰てのち、二日斗ありて、此遊のもとより、「さしたる事なんいはんとおもふ。今の程に時かはさずこ」といひければ、「何事かあらん」とて、いそぎ行たりけるを、例の入方よりは入ずして、かくれのかたよりよび入ければ、「いかなる事にかあらん」と、思ふ思ふいりたりければ、「これはもしそれにおとしたりけん玉か」とて、取いでたるをみれば、たがはず其玉なり。「こはいかに」とあさましくてとへば、「ここに『玉うらん』とて、過つるを、さる事いひしぞかしと、思て、いひとどめてよびにやりつる也」といふに、「事もおろか也。いづくぞ、その玉もちたりつらん物は」といへば、「かしこにゐたり」といふをよびとりて、やがて玉のぬしのもとにいて行て、「これは、しかじかして、その程におとしたりし玉也」といへば、えあらがはで、「その程にみつけたる玉なり」とぞいひける。いささかなる物とらせてぞ、やりける。+さて、帰てのち、二日斗ありて、此遊のもとより、「さしたる事なんいはんとおもふ。今の程に時かはさずこ」といひければ、「何事かあらん」とて、いそぎ行たりけるを、例の入方よりは入ずして、かくれのかたよりよび入ければ、「いかなる事にかあらん」と、思ふ思ふいりたりければ、「これはもしそれにおとしたりけん玉か」とて、取いでたるをみれば、たがはず其玉なり。「こはいかに」とあさましくてとへば、「ここに『玉うらん』とて、過つるを、さる事いひしぞかし思てよび入てみるに、玉の大なりつれば、『もし、さもや』と思て、いひとどめてよびにやりつる也」といふに、「事もおろか也。いづくぞ、その玉もちたりつらん物は」といへば、「かしこにゐたり」といふをよびとりて、やがて玉のぬしのもとにいて行て、「これは、しかじかして、その程におとしたりし玉也」といへば、えあらがはで、「その程にみつけたる玉なり」とぞいひける。いささかなる物とらせてぞ、やりける。
  
 さて、その玉を返してのち、唐綾一をば、唐には美濃五疋が程にぞ、もちひるなる。せうずが玉をば、から綾五千段にぞかへたりける。そのあたいの程をおもふに、ここにては絹六十疋にかへたる。玉を五万貫にうりたるにこそ、あんなれ。 さて、その玉を返してのち、唐綾一をば、唐には美濃五疋が程にぞ、もちひるなる。せうずが玉をば、から綾五千段にぞかへたりける。そのあたいの程をおもふに、ここにては絹六十疋にかへたる。玉を五万貫にうりたるにこそ、あんなれ。
  
 それを思へば、さだしげが七十貫が質を返したりけんも、おどろくべくもなき事にてありけり、と、人のかたりしなり。 それを思へば、さだしげが七十貫が質を返したりけんも、おどろくべくもなき事にてありけり、と、人のかたりしなり。
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text/yomeiuji/uji180.txt · 最終更新: 2019/11/27 21:42 by Satoshi Nakagawa