text:yomeiuji:uji175
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text:yomeiuji:uji175 [2014/10/13 13:36] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji175 [2019/11/24 19:10] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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**海雲比丘の弟子の童の事** | **海雲比丘の弟子の童の事** | ||
- | いまはむかし、海雲比丘、道を行給に、十余歳斗なる童子、道に逢ぬ。比丘、童に問て云、「何のれうの童ぞ」との給。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 童答云「ただ、道にまかる物にて候」と云。比丘云、「汝は法花経はよみたりや」ととへば、童云、「法花経と申候はん物こそ、いまだ名をだにも聞候はね」と申。比丘又云、「さらば我房にぐして行て、法花経をしへん」との給へば、童、「仰にしたがふべし」と申して、比丘の御共に行。五台山の房に行付て、法花経を教給。 | + | 今は昔、海雲比丘、道を行き給ふに、十余歳ばかりなる童子、道に逢ひぬ。比丘、童に問ひていはく、「何の料(れう)の童ぞ」とのたまふ。童、答へていはく、「ただ、道にまかる者にて候ふ」と言ふ。比丘いはく、「なんぢは法華経は読みたりや」と問へば、童いはく、「法華経と申し候はんものこそ、いまだ名をだにも聞き候はね」と申す。比丘またいはく、「さらば、わが房に具して行きて、法華経教へん」とのたまへば、童、「仰せに従ふべし」と申して、比丘の御供に行く。五台山の房に行き着きて、法華経を教へ給ふ。 |
- | 経をならふ程に、小憎、常に来て物語を申。誰人としらず。比丘のの給、「つねにきたる小大徳をば、童はしりたりや」と。童、「しらず」と申。比丘の云、「是こそ、此山に住給、文殊よ。我に物語しに来給也」と。かやうに教へ給へども、童は文殊といふ事もしらず候也。されば、何とも思たてまつらず。 | + | 経を習ふほどに、小憎、常に来たりて物語を申す。誰人と知らず。比丘ののたまふ、「常に来たる小大徳をば、童は知りたりや」と。童、「知らず」と申す。比丘のいはく、「これこそ、この山に住み給ふ文殊((文殊菩薩))よ。われに物語しに来給ふなり」と。かやうに教へ給へども、童は文殊といふことも知らず候ふなり。されば、何とも思ひ奉らず。 |
- | 比丘、童にの給、「汝、ゆめゆめ女人に近付事なかれ。あたりをはらひて、なるる事なかれ」と。童、物へ行程に、あし毛なる馬に乗たる女人の、いみじくけしやうして、うつくしきが、道にあひぬ。此女の云、「この馬の口引てたべ。道のゆゆしくあしくて、落ぬべくおぼゆるに」といひけれども、童、耳にも聞入ずして行に、此馬あらだちて、女さかさまにおちぬ。 | + | 比丘、童にのたまふ、「なんぢ、ゆめゆめ女人に近付くことなかれ。あたりを払ひて、馴るることなかれ」と。童、ものへ行くほどに、葦毛なる馬に乗りたる女人の、いみじく化粧して美しきが、道に会ひぬ。この女のいはく、「われ、この馬の口引てたべ。道のゆゆしく悪しくて、落ぬべく覚ゆるに」と言ひけれども、童、耳にも聞き入れずして行くに、この馬あらだちて、女逆さまに落ちぬ。恨みていはく、「われを助けよ。すでに死ぬべく覚ゆるなり」と言ひけれども、なほ耳に聞き入れず。「わが師の、『女人の傍らへ寄ることなかれ』とのたまひしに」と思ひて、五台山へ帰りて、女のありつるやうを比丘に語り申して、「されども、耳にも聞き入れずして、帰り候ひぬ」と申しければ、「いみじくしたり。その女は、文殊の化(け)して、なんぢが心を見給ふにこそあるなれ」とて讃め給ひけり。 |
- | うらみて云、「我を助よ。すでに死ぬべくおぼゆるなり」といひけれども、猶耳に聞入ず。「我師の『女人のかたはらへよる事なかれ』との給しに」と思て、五台山へ帰て、女のありつるやうを、比丘に語申て、「されども耳にも聞入ずして帰候ぬ」と申ければ「いみじくしたり。其女は、文殊の化して、汝が心をみ給にこそあるなれ」とてほめ給けり。 | + | さるほどに、童は法華経一部読み終へにけり。その時、比丘のたまはく、「なんぢ、法華経をば読み果てぬ。今は法師になりて、受戒すべし」とて、法師になされぬ。「受戒をば、われは授くべからず。東京((洛陽))の禅定寺にいまする倫法師と申す人、このごろ、おほやけの宣旨を蒙りて受戒行ふ人なり。その人のもとへ行きて受くべきなり。ただし、今はなんぢを見るまじきことのあるなり」とて、泣き給ふことかぎりなし。童の申す、「受戒つかまつりては、すなはち帰り参り候ふべし。いかに思し召して、かくは仰せ候ふぞ」と。また、「いかなれば、かく泣かせ給ふぞ」と申せば、「ただ悲しきことのあるなり」とて泣き給ふ。さて童に、「戒師のもとに行きたらんに『いづ方より来たる人ぞ』と問はば、『清冷山((清涼山。五台山のこと。))の海雲比丘のもとより』とす申べきなり」と教へ給ひて、泣く泣く見送り給ひぬ。 |
- | さる程に、童は法花経一部よみ終にけり。其時、比丘の給はく、「汝、法花経をばよみはてぬ。今は法師に成て、受戒すべし」とて、法師になされぬ。「受戒をば、我はさづくるべからず。東京の禅定寺にいまする、倫法師と申人、この比おほやけの宣旨を蒙て受戒行人なり。其人のもとへ行て受べき也。但今は汝をみるまじき事のあるなり」とて、泣給事かぎりなし。童の申、「受戒仕ては則帰まいり候べし。いかにおぼしめして、かくは仰候ぞ」と。又「いかなれば、かくなかせ給ぞ」と申せば、「ただ、かなしき事のあるなり」とて、なき給。さて、童に、「戒師のもとに行たらんに『いづかたよりきたる人ぞ』と、とはば『清冷山の海雲比丘のもとより』と申べき也」とをしへ給て、なくなく見をくり給ぬ。 | + | 童、仰せに従ひて、倫法師のもとに行きて、受戒すべきよし申しければ、案のごとく、「いづ方より来たる人ぞ」と問ひ給ひければ、教へ給ひつるやう申しければ、倫法師、驚きて、「貴きことなり」とて、礼拝していはく、「五台山には、文殊の限り住み給ふ所なり。なんぢ沙弥は、海雲比丘の善知識にあひて、文殊をよく拝み奉りけるにこそありけれ」とて、貴ぶことかぎりなし。 |
- | 童、仰にしたがひて、倫法師のもとに行て、受戒すべきよし申ければ、あんのごとく、「いづかたよりきたる人ぞ」と問給ければ、をしへ給つるやう申ければ、倫法師驚て、「たうとき事なり」とて、礼拝して云、「五台山には、文殊のかぎり住給所なり。汝、沙弥は、海雲比丘の善知識にあひて、文殊をよくおがみたてまつりけるにこそ有けれ」とて、たうとぶ事限なし。 | + | さて、受戒して、五台山へ帰りて、日ごろゐたりつる房のあり所をみれば、すべて人の住みたる気色なし。泣く泣くひと山を尋ね歩(あり)けども、つひにあり所なし。 |
- | さて、受戒して、五台山へ帰て、日来ゐたりつる房の有所をみれば、すべて人の住たるけしきなし。泣々ひと山を尋ありけども、つゐ在所なし。 | + | これは、優婆崛多の弟子の僧、かしこけれども、心弱く、女に近付きけり(([[uji174|174話]]参照。))。これは、いとけなけれども、心強くて、女人に近付かず。かるがゆゑに、文殊、これをかしこき者なれば、教化して仏道に入らしめ給ふなり。されば、世の人、戒をば破るべからず。 |
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | いまはむかし海雲比丘道を行給に十余歳斗なる童子道に | ||
+ | 逢ぬ比丘童に問て云何のれうの童そとの給童答云たた道にまかる | ||
+ | 物にて候と云比丘云汝は法花経はよみたりやととへは童云法花経 | ||
+ | と申候はん物こそいまた名をたにも聞候はねと申比丘又云さらは | ||
+ | 我房にくして行て法花経をしへんとの給へは童仰にしたかふ | ||
+ | へしと申して比丘の御共に行五臺山の房に行付て法花経を | ||
+ | 教給経をならふ程に小憎常に来て物語を申誰人とし | ||
+ | らす比丘のの給つねにきたる小大徳をは童はしりたりやと | ||
+ | 童しらすと申比丘の云是こそ此山に住給文殊よ我に物語し | ||
+ | に来給也とかやうに教へ給へとも童は文殊といふ事もしらす候也/下82オy417 | ||
+ | |||
+ | されは何とも思たてまつらす比丘童にの給汝ゆめゆめ女人に近 | ||
+ | 付事なかれあたりをはらひてなるる事なかれと童物へ行程に | ||
+ | あし毛なる馬に乗たる女人のいみしくけしやうしてうつくしきか | ||
+ | 道にあひぬ此女の云我この馬の口引てたへ道のゆゆしくあし | ||
+ | くて落ぬへくおほゆるにといひけれとも童耳にも聞入すして | ||
+ | 行に此馬あらたちて女さかさまにおちぬうらみて云我を助 | ||
+ | よすてに死ぬへくおほゆるなりといひけれとも猶耳に聞入す我 | ||
+ | 師の女人のかたはらへよる事なかれとの給しにと思て五臺山へ帰 | ||
+ | て女のありつるやうを比丘に語申てされとも耳にも聞入すして | ||
+ | 帰候ぬと申けれはいみしくしたり其女は文殊の化して汝か心を | ||
+ | み給にこそあるなれとてほめ給けりさる程に童は法花経一部 | ||
+ | よみ終にけり其時比丘の給はく汝法花経をはよみはてぬ今は | ||
+ | 法師に成て受戒すへしとて法師になされぬ受戒をは我は/下82ウy418 | ||
+ | |||
+ | さつくへからす東京の禅定寺にいまする倫法師と申人この比 | ||
+ | おほやけの宣旨を蒙て受戒行人なり其人のもとへ行 | ||
+ | て受へき也但今は汝をみるましき事のあるなりとて泣給 | ||
+ | 事かきりなし童の申受戒仕ては則帰まいり候へしいかに | ||
+ | おほしめしてかくは仰候そと又いかなれはかくなかせ給そと申せは | ||
+ | たたかなしき事のあるなりとてなき給さて童に戒師のもとに | ||
+ | 行たらんにいつかたよりきたる人そととはは清冷山の海雲比 | ||
+ | 丘のもとよりと申へき也とをしへ給てなくなく見をくり給ぬ童 | ||
+ | 仰にしたかひて倫法師のもとに行て受戒すへきよし申けれ | ||
+ | はあんのことくいつかたよりきたる人そと問給けれはをしへ給つる | ||
+ | やう申けれは倫法師驚てたうとき事なりとて礼拝して | ||
+ | 云五臺山には文殊のかきり住給所なり汝沙弥は海雲比丘 | ||
+ | の善知識にあひて文殊をよくおかみたてまつりけるにこそ有けれとて/下83オy419 | ||
+ | |||
+ | たうとふ事限なしさて受戒して五臺山へ帰て日来ゐたり | ||
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+ | | ||
+ | 僧かしこけれとも心よはく女にちかつきけりこれはいとけなけれとも | ||
+ | 心つよくて女人にちかつかすかるかゆへに文殊これをかしこき物なれは | ||
+ | 教化して仏道に入しめ給也されは世の人戒をは破へからす/下83ウy420 | ||
- | これは、優婆崛多の弟子の僧、かしこけれども、心よはく女にちかづきけり。これは、いとけなけれども、心つよくて女人にちかづかず。かるがゆへに文殊これをかしこき物なれば、教化して、仏道に入しめ給也。されば、世の人、戒をば破べからず。 |
text/yomeiuji/uji175.txt · 最終更新: 2019/11/24 19:10 by Satoshi Nakagawa