text:yomeiuji:uji169
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text:yomeiuji:uji169 [2014/04/18 22:29] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji169 [2014/04/18 22:29] – Satoshi Nakagawa | ||
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やうやうひらめくやうにする物あり。手をすりて、念仏を申てみれば、仏の御身より、金色の光を放て、さし入たり。秋の月の雲間よりあらはれ出たるごとく、さまざまの花をふらし、百毫の光、聖の身をてらす。此時、聖、尻をさかさまになして拝入。すずのをもきれぬべし。観音、蓮台をさしあげて、聖の前により給に、紫雲あつく棚引。聖、はひよりて蓮台にのりぬ。さて、西のかたへ去給ぬ。さて、坊にのこれる弟子共、なくなくたうとがりて、聖の後世をとぶらひけり。 | やうやうひらめくやうにする物あり。手をすりて、念仏を申てみれば、仏の御身より、金色の光を放て、さし入たり。秋の月の雲間よりあらはれ出たるごとく、さまざまの花をふらし、百毫の光、聖の身をてらす。此時、聖、尻をさかさまになして拝入。すずのをもきれぬべし。観音、蓮台をさしあげて、聖の前により給に、紫雲あつく棚引。聖、はひよりて蓮台にのりぬ。さて、西のかたへ去給ぬ。さて、坊にのこれる弟子共、なくなくたうとがりて、聖の後世をとぶらひけり。 | ||
- | かくて、七日八日過て後、坊の下す法師原、「念仏の僧に湯わかして、あむせたてまつらん」とて、木こりに奥山に入たりけるに、は((「る」脱字か]))かなる滝に、さしおひたる椙の木あり。その木の梢に、さけぶ声しけり。あやしくて、みあげたれば、法師を裸になして杪にしばりつけたり。木のぼりよくする法師、のぼりてみれば、極楽へ迎られ給し我師の聖を、かづらにてしばり付て置たり。 | + | かくて、七日八日過て後、坊の下す法師原、「念仏の僧に湯わかして、あむせたてまつらん」とて、木こりに奥山に入たりけるに、は((「る」脱字か))かなる滝に、さしおひたる椙の木あり。その木の梢に、さけぶ声しけり。あやしくて、みあげたれば、法師を裸になして杪にしばりつけたり。木のぼりよくする法師、のぼりてみれば、極楽へ迎られ給し我師の聖を、かづらにてしばり付て置たり。 |
此法師、「いかに我師はかかる目をば御らんずるぞ」とて、よりて縄をときければ、「いまむかへんずるぞ。『その程、しばしかくてゐたれ』とて、仏のおはしまししをば、なにしにかくときゆるすぞ」といひけれども、よりてときければ、「阿弥陀仏、我をころす人あり。をうをう」とぞさけびける。されども法師原、あまたのぼりて、ときおろして、坊へぐして行たれば、弟子ども、「心うき事なり」と歎きまどひけり。聖は、人心もなくて、二三日斗ありて死けり。 | 此法師、「いかに我師はかかる目をば御らんずるぞ」とて、よりて縄をときければ、「いまむかへんずるぞ。『その程、しばしかくてゐたれ』とて、仏のおはしまししをば、なにしにかくときゆるすぞ」といひけれども、よりてときければ、「阿弥陀仏、我をころす人あり。をうをう」とぞさけびける。されども法師原、あまたのぼりて、ときおろして、坊へぐして行たれば、弟子ども、「心うき事なり」と歎きまどひけり。聖は、人心もなくて、二三日斗ありて死けり。 | ||
智恵なき聖は、かく天狗にあざむかれけるなり。 | 智恵なき聖は、かく天狗にあざむかれけるなり。 |
text/yomeiuji/uji169.txt · 最終更新: 2019/11/21 19:18 by Satoshi Nakagawa