text:yomeiuji:uji166
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text:yomeiuji:uji166 [2017/09/21 20:24] – [第166話(巻13・第6話)大井光遠の妹、強力の事] Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji166 [2019/11/10 13:06] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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**大井光遠の妹、強力の事** | **大井光遠の妹、強力の事** | ||
- | むかし、甲斐国の相撲、大井光遠は、ひきふとに、いかめしく、力づよく、足はやく、みめことがらよりははじめて、いみじかりし相撲なり。それが妹に、年廿六七ばかりなる女の、みめことがらけはひもよく、姿もほそやかなるありけり。それは、のきたる家に住けるに、それが門に人にをはれたる男の、刀をぬきて、走入て、此女をしちにとりて、腹に刀をさしあてて居ぬ。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 人はしりて行て、せうとの光遠に、「姫君は質にとられ給ぬ」と告ければ、光遠がいふやう、「そのおもとは、薩摩の氏長ばかりこそはしちにとらめ」といひて、なにとなくてゐたれば、告つるおのこ、「あやし」と思て、立帰て、物よりのぞけば、九月斗の事なれば、薄色の衣一重に、紅の袴をきて、口おほひしてゐたり。 | + | 昔、甲斐国の相撲(すまひ)、大井光遠は、ひきふとにいかめしく、力強く、足速く、見目(みめ)ことがらよりはじめて、いみじかりし相撲なり。それが妹に、年二十六・七ばかりなる女の、見目、ことがら、けはひもよく、姿も細やかなるありけり。それはのきたる家に住みけるに、それが門に、人に追はれたる男の、刀を抜きて、走り入りて、この女を質にとりて、腹に刀をさし当ててゐぬ。 |
- | 男は大なるおのこの、おそろしげなるが、大の刀をさかてにとりて、腹にさしあてて、足をもて、うしろよりいだきてゐたり。この姫君、左の手しては、かほをふたぎてなく、右の手しては、前に矢ののあらつくりたるが二三十ばかりあるをとりて、手すさみに節のもとを、指にて、板敷にをしあててにじれば、朽木のやはらかなるををしくだくやうにくだくるを、此ぬす人、目を付てみるに、あさましくなりぬ。 | + | 人走りて行きて、兄(せうと)の光遠に、「姫君は質に取られ給ひぬ」と告げければ、光遠が言ふやう、「そのおもとは、薩摩の氏長ばかりこそは、質に取らめ」と言ひて、何となくてゐたれば、告げつる男(おのこ)、「あやし」と思ひて、立ち帰りて、物よりのぞけば、九月ばかりのことなれば、薄色の衣(きぬ)一重に紅の袴を着て、口覆ひしてゐたり。男は、大きなる男の、恐しげなるが、大の刀を逆手に取りて、腹にさし当てて、足をもて後ろより抱(いだ)きてゐたり。 |
- | 「いみじからんせうとのぬしかな。槌をもちて打くだくともかくはあらじ。ゆゆしかりける力かな。このやうにては、ただ今のまに、我はとりてくだかれぬべし。むやくなり。逃なん」と思て、人めをはかりて、とび出てにげはしれる時に、すゑに人ども走あひてとらへつ。はかりて光遠がもとへぐして行ぬ。 | + | この姫君、左の手しては、顔をふたぎて泣く。右の手しては、前に矢篦(やの)の荒作りたるが、二・三十ばかりあるを取りて、手すさみに、節のもとを指にて板敷に押し当ててにじれば、朽木の柔らかなるを押し砕くやうに砕くるを、この盗人、目を付てけみるに、あさましくなりぬ。 |
- | 光遠、「いかにおもひて逃つるぞ」ととへば、申すやう「大なる矢箆のふしを、朽木なんどのやうにをしくだき給つるを、『あさまし』と思て、おそろしさに逃候つるなり」と申せば、光遠うち笑て、「いかなりとも、その御もとは、よもつかれじ。つかんとせん手をとりて、かひねぢて、かみざまへつかば、肩の骨はかみざまへいでてねぢられなまし。かしこくをのれがかひなぬかれまじ。宿世ありて、御もとはねぢざりけるなり。光遠だにも、おれをばてごろしにころしてん。かひなをばねぢて、腹むねをふまんに、をのれはいきてんや。それに、かの御もとの力は光遠二人ばかりあはせたる力にておはする物を。さこそほそやかに、女めかしくおはすれども、光遠が手たはぶれするに、とらへたるうでをとらへられぬれば、手ひろごりてゆるしつべき物を。あはれ、おのこ子にてあらましかば、あふかたきもなくてぞあらまし。口惜く女にてある」といふをきくに、この盗人、死ぬべき心ちす。女と思て、「いみじき質を取たる」と思てあれども、その儀はなし。 | + | 「いみじからん兄(せうと)の主、金鎚(かなづち)をもちて打ち砕くとも、かくはあらじ。ゆゆしかりける力かな。このやうにては、ただ今の間に、われは取りて砕かれぬべし。無益(むやく)なり。逃げなん」と思ひて、人目をはかりて飛び出でて、逃げ走れる時に、末に人ども走り合ひて捕へつ。縛りて、光遠がもとへ具して行きぬ。 |
- | 「おれをば、ころすべけれども、御もとのしぬべくばこそ殺さめ。おれしぬべかりけるに、かしこうとく逃てのきたるよ。大なる鹿の角をば、膝にあててちいさきから木のほそきなんどを折やうにおる物を」とて、追放てやりけり。 | + | 光遠、「いかに思ひて逃げつるぞ」と問へば、申すやう、「大きなる矢箆の節を、朽木なんどのやうに押し砕き給ひつるを、『あさまし』と思ひて、恐しさに逃げ候ひつるなり」と申せば、光遠、うち笑ひて、「いかなりとも、その御もとは、よも突かれじ。突かんとせん手を取りて、かひねぢて上(かみ)ざまへ突かば、肩の骨は上ざまへ出でてねぢられなまし。かしこく、おのれが腕(かひな)抜かれまじ。宿世(すくせ)ありて、御もとはねぢざりけるなり。光遠だにも、おれをば手殺しに殺してん。腕(かひな)をばねぢて、腹・胸を踏まんに、おのれは生きてんや。それに、かの御もとの力は、光遠二人ばかり合はせたる力にておはするものを。さこそ細やかに、女めかしくおはすれども、光遠が手たはぶれするに、取らへたる腕(うで)を取らへられぬれば、手ひろごりてゆるしつべきものを。あはれ、男子(おのこご)にてあらましかば、あふ敵(かたき)もなくてぞあらまし。口惜しく女にてある」と言ふを聞くに、この盗人、死ぬべき心地す。女と思ひて、「いみじき質を取りたる」と思ひてあれども、その儀はなし。 |
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+ | 「おれをば殺すべけれども、御もとの死ぬべくばこそ殺さめ。おれ死ぬべかりけるに、かしこう、とく逃げてのきたるよ。大きなる鹿の角をば、膝に当てて、小さき枯木(からき)の細きなんどを折るやうにおるものを」とて、追ひ放ちてやりけり。 | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | むかし甲斐国の相撲大井光遠はひきふとにいかめしく力つよく | ||
+ | 足はやくみめことからよりはしめていみしかりし相撲なりそれ | ||
+ | か妹に年廿六七はかりなる女のみめことからけはひもよく姿も | ||
+ | ほそやかなるありけりそれはのきたる家に住けるにそれか門に | ||
+ | 人にをはれたる男の刀をぬきて走入て此女をしちにとりて | ||
+ | 腹に刀をさしあてて居ぬ人はしりて行てせうとの光遠に姫 | ||
+ | 君は質にとられ給ぬと告けれは光遠かいふやうそのおもとは | ||
+ | 薩摩の氏長はかりこそはしちにとらめといひてなにとなくて | ||
+ | ゐたれは告つるおのこあやしと思て立帰て物よりのそけは九月斗 | ||
+ | の事なれは薄色の衣一重に紅の袴をきて口おほひしてゐたり | ||
+ | 男は大なるおのこのおそろしけなるか大の刀をさかてにとりて腹に/下71ウy396 | ||
+ | |||
+ | さしあてて足をもてうしろよりいたきてゐたりこの姫君左 | ||
+ | の手してはかほをふたきてなく右の手しては前に矢ののあら | ||
+ | つくりたるか二三十はかりあるをとりて手すさみに節のもとを | ||
+ | 指にて板敷にをしあててにしれは朽木のやはらかなるををし | ||
+ | くたくやうにくたくるを此ぬす人目を付てみるにあさましく | ||
+ | なりぬいみしからんせうとのぬしかな槌をもちて打くたくとも | ||
+ | かくはあらしゆゆしかりける力かなこのやうにてはたた今のまに我は | ||
+ | とりてくたかれぬへしむやくなり逃なんと思て人めをはかりてとひ出て | ||
+ | にけはしれる時にすゑに人とも走あひてとらへつしはりて光遠 | ||
+ | かもとへくして行ぬ光遠いかにおもひて逃つるそととへは申すやう | ||
+ | 大なる矢箆のふしを朽木なんとのやうにをしくたき給つるを | ||
+ | あさましと思ておそろしさに逃候つるなりと申せは光遠うち笑て | ||
+ | いかなりともその御もとはよもつかれしつかんとせん手をとりてかひ/下72オy397 | ||
+ | |||
+ | ねちてかみさまへつかは肩の骨はかみさまへいててねちられな | ||
+ | ましかしこくをのれかかひなぬかれまし宿世ありて御もとはねち | ||
+ | さりけるなり光遠たにもおれをはてころしにころしてんかひなをは | ||
+ | ねちて腹むねをふまんにをのれはいきてんやそれにかの御もとの | ||
+ | 力は光遠二人はかりあはせたる力にておはする物をさこそほそや | ||
+ | かに女めかしくおはすれとも光遠か手たはふれするにとらへたる | ||
+ | うてをとらへられぬれは手ひろこりてゆるしつへき物をあはれ | ||
+ | おのこ子にてあらましかはあふかたきもなくてそあらまし口惜く | ||
+ | 女にてあるといふをきくにこの盗人死ぬへき心ちす女と思て | ||
+ | いみしき質を取たると思てあれともその儀はなしおれをはこ | ||
+ | ろすへけれとも御もとのしぬへくはこそ殺さめおれしぬへかりけるに | ||
+ | かしこうとく逃てのきたるよ大なる鹿の角をは膝にあてて | ||
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text/yomeiuji/uji166.txt · 最終更新: 2019/11/10 13:06 by Satoshi Nakagawa