text:yomeiuji:uji162
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text:yomeiuji:uji162 [2014/10/12 02:19] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji162 [2019/11/09 12:39] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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**元輔、落馬の事** | **元輔、落馬の事** | ||
- | いまはむかし、哥よみの元輔、くらのすけになりて、賀茂祭の使しけるに、一条大路わたりける程に、殿上人の車おほくならべたてて、物見けるまへわたる程に、おいらかにてはわたらで、「人見給に」と思て、馬をいたくあをりければ、馬くるひて落ぬ。年老たるものの、頭をさかさまに落ぬ。君達「あないみじ」と見る程に、いととくおきぬれば、冠ぬげにけり。本鳥つゆなし。ただほとぎをかつぎたるやうになん有ける。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 馬副手まどひをして、冠をとりてきせさすれど、うしろざまにかきて、「あなさはがし。しばしまて。君達にきこゆべき事あり」とて、殿上人どもの車の前に歩よる。日のさしたるに、頭きらきらとして、いみじうみぐるし。大路のもの市をなしてわらひののしる事限なし。 | + | 今は昔、歌詠みの元輔((清原元輔))、内蔵助(くらのすけ)になりて、賀茂祭の使(つかひ)しけるに、一条大路渡りけるほどに、殿上人の車、多く並べ立てて、物見ける前渡るほどに、おいらかにては渡らで、「人見給ふに」と思ひて、馬をいたくあふりければ、馬狂ひて落ちぬ。 |
- | 車、桟敷の物ども、わらひののしるに、一の車のかたざまに歩よりていふやう、「君達この馬よりおちて、冠おとしたるをば、おこなりとや思給。しかおもひ給まじ。其故は心ばせある人だにも、物につまづきたをるる事は常の事也。まして馬は心ある物にもあらず。此大路はいみじう石たかし。馬は口をはりたれば、あゆまんと思だに、あゆまれず。とひきかう引くるめかせば、たをれなんとす。馬をあしと思べきにあらず。から鞍はさらなる、鐙のかくうべくもあらず。それに馬はいたくつまづけば落ぬ。それ、わろからず。又、冠のおつるは、物してゆふ物にあらず。髪をよくかき入たるにとらへらるる物なり。それに、びんはうせにたれば、ひたぶるになし。さればおちん冠、うらむべきやうなし。又、例なきにあらず。なにのおとどは大嘗会の御禊におつ。なにの中納言はその時の行幸におつ。かくのごとくの例も、かんがへやるべからず。しかれば案内もしり給はぬ此比のわかき公達、わらひ給べきにあらず。笑たまはば、かへりておこなるべし」とて、車ごとに手をおりつつかぞへていひきかす。かくのごとくいひはてて、「冠もてこ」といひて、なん取てさし入れける。 | + | 年老いたる者の、頭(かしら)を逆さまに落ちぬ。君達、「あないみじ」と見るほどに、いととく起きぬれば、冠脱げにけり。髻(もとどり)つゆなし。ただほとぎをかづきたるやうになんありける。馬副(うまぞひ)、手まどひをして、冠を取りて着せさすれど、後ろざまにかきて、「あな騒がし。しばし待て。君達に聞こゆべきことあり」とて、殿上人どもの車の前に歩み寄る。日のさしたるに、頭きらきらとして、いみじう見苦し。大路の者、市をなして笑ひののしることかぎりなし。 |
- | その時に、どよみてわらひののしる事限なし。冠せさすとて、よりて馬ぞひのいはく、「おち給、則冠をたてまつらで、などかくよしなし事は、仰らるるぞ」といひければ、「しれ事ないひそ。かく道理をいひきかせたらばこそ、この君達はのちのちにもわらはざらめ。さらずは、口さがなき君達はながく笑なん物をや」とぞ、いひける。 | + | 車、桟敷の者ども、笑ひののしるに、一つの車の方ざまに歩み寄りて言ふやう、「君達、この馬より落ちて、冠落したるをば、をこなりとや思ひ給ふ。しか思ひ給ふまじ。そのゆゑは、心ばせある人だにも、物につまづき倒るることは、常のことなり。まして、馬は心あるものにもあらず。この大路はいみじう石高し。馬は口を張りたれば、歩まんと思ふだに歩まれず。と引きかう引き、くるめかせば、倒れなんとす。馬を悪しと思ふべきにあらず。唐鞍(からくら)はさらなる、鐙(あぶみ)のかくうべくもあらず。それに、馬はいたくつまづけば落ちぬ。それ、悪(わろ)からず。また、冠の落つるは、ものして結ふものにあらず。髪をよくかき入れたるに、取らへらるるものなり。それに、鬢(びん)は失せにたれば、ひたぶるになし。されば落ちん冠、恨むべきやうなし。また、例なきにあらず。何の大臣(おとど)は、大嘗会の御禊に落つ。何の中納言は、その時の行幸に落つ。かくのごとくの例も、考へやるべからず。しかれば、案内も知り給はぬ、このごろの若き公達、笑ひ給ふべきにあらず。笑ひ給はば、かへりてをこなるべし」とて、車ごとに手を折りつつ数へて、言ひ聞かす。かくのごとく言ひはてて、「冠持て来(こ)」と言ひてなん、取りてさし入れける。 |
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+ | その時に、どよみて笑ひののしることかぎりなし。冠せさすとて、寄りて馬副のいはく、「落ち給ふ、すなはち冠を奉らで、などかくよしなしごとは仰せらるるぞ」と言ひければ、「しれごとな言ひそ。かく道理を言ひ聞かせたらばこそ、この君達は後々にも笑はざらめ。さらずは、口さがなき君達は長く笑ひなんものをや」とぞ、言ひける。 | ||
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+ | 人笑はすること役(やく)にする者なりけり。 | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | いまはむかし哥よみの元輔くらのすけになりて賀茂祭の使 | ||
+ | しけるに一条大路わたりける程に殿上人の車おほくならへたてて | ||
+ | 物見けるまへわたる程においらかにてはわたらて人見給にと思て | ||
+ | 馬をいたくあをりけれは馬くるひて落ぬ年老たるものの頭を | ||
+ | さかさまに落ぬ君達あないみしと見る程にいととくおきぬれは冠 | ||
+ | ぬけにけり本鳥つゆなしたたほときをかつきたるやうになん有ける | ||
+ | 馬副手まとひをして冠をとりてきせさすれとうしろさまに | ||
+ | かきてあなさはかししはしまて君達にきこゆへき事ありとて | ||
+ | 殿上人ともの車の前に歩よる日のさしたるに頭きらきらと | ||
+ | していみしうみくるし大路のもの市をなしてわらひののしる事 | ||
+ | 限なし車桟敷の物ともわらひののしるに一の車のかたさまに | ||
+ | 歩よりていふやう君達この馬よりおちて冠おとしたるを | ||
+ | はおこなりとや思給しかおもひ給まし其故は心はせある人たにも/下68オy389 | ||
+ | |||
+ | 物につまつきたをるる事は常の事也まして馬は心ある物にも | ||
+ | あらす此大路はいみしう石たかし馬は口をはりたれはあゆまんと | ||
+ | 思たにあゆまれすとひきかう引くるめかせはたをれなんとす馬を | ||
+ | あしと思へきにあらすから鞍はさらなる鐙のかくうへくもあらす | ||
+ | それに馬はいたくつまつけは落ぬそれわろからす又冠のおつるは物して | ||
+ | ゆふ物にあらす髪をよくかき入たるにとらへらるる物なりそれにひんはうせに | ||
+ | たれはひたふるになしされはおちん冠うらむへきやうなし又例なきにあらす | ||
+ | なにのおととは大嘗会の御禊におつなにの中納言はその時の行幸 | ||
+ | におつかくのことくの例もかんかへやるへからすしかれは案内もしり給は | ||
+ | ぬ此比のわかき公達わらひ給へきにあらす笑たまははかへりておこ | ||
+ | なるへしとて車ことに手をおりつつかそへていひきかすかくのことく | ||
+ | いひはてて冠もてこといひてなん取てさし入けるその時にとよみて | ||
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- | 人わらはする事役にするもの也けり。 |
text/yomeiuji/uji162.1413047954.txt.gz · 最終更新: 2014/10/12 02:19 by Satoshi Nakagawa