text:yomeiuji:uji155
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text:yomeiuji:uji155 [2014/10/12 02:16] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji155 [2019/10/23 23:28] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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**宗行が郎等、虎を射る事** | **宗行が郎等、虎を射る事** | ||
- | いまはむかし、壱岐守宗行が郎等を、はかなき事によりて、主の殺さんとしければ、小舟に乗て逃て、新羅国へ渡りて、隠てゐたりける程に、新羅のきんかいといふ所の、いみじうののしりさはぐ。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 「なに事ぞ」ととへば、「虎のこうに入て、人をくらふ也」といふ。此男とふ、「とらはいくつばかりあるぞ」と。「ただ一あるが、俄にいできて、人をくらひて、逃ていきいきするなり」と云をききて、此男のいふ様、「あの虎に合て、一矢を射てしなばや。虎、かしこくは、共にこそしなめ。ただむなしうはいかでかくらはれん。此国の人は、兵の道わろきにこそはあめれ」といひけるを、人ききて、国守に、「かうかうの事をこそ、此日本人申せ」といひければ、「かしこき事かな。よべ」といへば、人きて「めしあり」といへば、まいりぬ。 | + | 今は昔、壱岐守宗行が、郎等をはかなきことによりて、主の殺さんとしければ、小舟に乗りて逃げて、新羅国へ渡りて、隠れてゐたりけるほどに、新羅の金海(きんかい)といふ所の、いみじうののしり騒ぐ。 |
- | 「まことにや、この虎の人くふを『やすく射ん』とは申なる」と、とはれければ「しか申候はぬ」とこたふ。守、「いかでかかる事をば申ぞ」ととへば此男の申やう、「この国の人は『我身をばまたくして敵をば害せん』と思たれば、おぼろげにて、かやうのたけき獣などには、我みの損ぜられぬべければ、まかりあはぬにこそ候めれ。日本の人は、いかにも我身をばなきになしてまかりあへば、よき事も候めり。弓矢にたづさはらん物、なにしかは、我みを思はん事は候はん」と申けれ。守、「さて、虎をばかならず射ころしてんや」といひければ、「我身のいき、いかずはしらず、必かれをば射とり侍なん」と申せば、「いと、いみじうかしこき事かな。さらば、必、かまへて射よ。いみじき悦せん」といへば、おのこ申やう、「さても、いづくに候ぞ。人をば、いかやうにてくひ侍ぞ」と申せば、守のいはく、「いかなるおりにかあるらん。こうの中に入きて、人ひとりを頭を食て、肩にうちかけて去なり」と。この男申やう「さても、いかにしてかくひ候」ととへば、人のいふやう、「虎は先人をくはんとては、猫の鼠をうかがふやうにひきふして、しばし斗ありて、大口をあきてとびかかりて、頭をくひて肩にうちかけてはしりさる」といふ。「とてもかくても、さはれ、一矢射てこそは、くらはれ侍らめ。その虎のあり所をしへよ」といへば、「これより西に廿余町のきて、をの畠あり。それになんふす也。人、おぢて、あへてそのわたりにゆかず」といふ。「おのれ、ただしり侍らずとも、そなたをさしてまからん」といひて、調度をいていぬ。新羅の人々「日本の人は、はかなし。虎にくらはれなん」と集りてそしりけり。 | + | 「何事ぞ」と問へば、「虎の国府(こう)に入りて、人を食らふなり」と言ふ。この男(おのこ)問ふ、「虎はいくつばかりあるぞ」と。「ただ一つあるが、にはかに出で来て、人を食らひて、逃げて行き行きするなり」と言ふを聞きて、この男の言ふやう、「あの虎に合ひて、一矢を射て死なばや。虎、かしこくは、ともにこそ死なめ。ただむなしうは、いかでか食らはれん。この国の人は、兵(つはもの)の道悪(わろ)きにこそはあめれ」と言ひけるを、人聞きて、国守に、「かうかうのことをこそ、この日本人申せ」と言ひければ、「かしこきことかな。呼べ」と言へば、人来て、「召しあり」と言へば、参りぬ。 |
- | かくて此男は、虎のあり所とひききて行てみれば、まことにをのはたけ、はるばるとおひわたりたり。をのたけ四五尺斗なり。その中をわけ行てみれば、まことに虎臥たり。とがり矢をはげて、かた膝をたててゐたり。虎、人の香をかぎて、ついひらがりて、猫のねずみうかがふやうにてあるを、おのこ矢をはげて、をともせでゐたれば、虎、大口をあきておどりて、おのこのうへにかかるを、おのこ、弓をつよくひきて、うへにかかるおりに、やがて矢をはなちたれば、おとがひのしたより、うなじに七八寸ばかり、とがり矢を射出しつ。虎さかさま臥て、たをれてあがくを、かりまきをつがひて、二たび腹をいる。二たびながら、土に射つけて、つゐに殺して、矢もぬかで国府に帰て、守に、かうかう射ころしつるよしをいふに、守感じののしりて、おほくの人をぐして、虎のもとへ行てみれば、まことに箭三ながら射とほされたり。みるに、いといみじ。 | + | 「まことにや、この虎の人食ふを、『やすく射ん』とは申すなる」と問はれければ、「しか申し候ひぬ」と答ふ。守、「いかで、かかることをば申すぞ」と問へば、この男の申すやう、「この国の人は『わが身をば全(また)くして、敵をば害せん』と思ひたれば、おぼろげにて、かやうの猛(たけ)き獣などには、わが身の損ぜられぬべければ、まかり合はぬにこそ候ふめれ。日本の人は、いかにもわが身をばなきになしてまかりあへば、よきことも候ふめり。弓矢にたづさはらん者、なにしかは、わが身を思はんことは候はん」と申しければ((底本「ば」なし。諸本により補う。))、守、「さて、虎をば必ず射殺してんや」と言ひければ、「わが身の生き生かずは知らず、必ずかれをば射取り侍りなん」と申せば、「いといみじうかしこきことかな。さらば、必ずかまへて射よ。いみじき悦びせん」と言へば、男申やう、「さても、いづくに候ふぞ。人をば、いかやうにて食ひ侍るぞ」と申せば、守のいはく、「いかなる折にかあるらん、国府の中に入り来て、人一人を頭を食ひて、肩にうちかけて去るなり」と。この男申すやう「さても、いかにしてか食ひ候ふ」と問へば、人の言ふやう、「虎は、まづ人を食はんとては、猫の鼠をうかがふやうにひれ伏して、しばしばかりありて、大口を開きて飛びかかりて、頭を食ひて、肩にうちかけて走り去る」と言ふ。「とてもかくても、さはれ、一矢射てこそは、食らはれ侍らめ。その虎のあり所教へよ」と言へば、「これより西に二十余町のきて、麻(を)の畠あり。それになん臥すなり。人怖(お)ぢて、あへてそのわたりに行かず」と言ふ。「おのれ、ただ知り侍らずとも、そなたを指してまからん」と言ひて、調度負ひていぬ。新羅の人々、「日本の人ははかなし。虎に食らはれなん」と集まりてそしりけり。 |
- | 誠に、百千の虎、おこりてかかるとも、日本の人、十人ばかり馬にてをしむかひて射ば、虎なにわざをかせん。此国の人は、一尺ばかりの矢に、きりのやうなる矢じりをすげて、それに毒をぬりていれば、つゐには、その毒のゆへにしぬれども、たちまちにその庭に射ふする事はえせず。日本人は、我命死なんをも、露おしまず、大なる矢にていれば、其庭にいころしつるを、兵の道は、日本の人にはあたるべくもあらず。されば、いよいよ、「いみじうおそろしくおぼゆる国也」とておぢけり。 | + | かくて、この男は、虎のあり所問ひ聞きて、行きて見れば、まことに麻(を)の畠、はるばると生ひわたりたり。麻のたけ四・五尺ばかりなり。その中を分け行きて見れば、まことに虎臥したり。尖り矢をはげて、片膝を立ててゐたり。虎、人の香をかぎて、つい平(ひら)がりて、猫の鼠うかがふやうにてあるを、男、矢をはげて、音もせでゐたれば、虎、大口を開きて踊りて男の上にかかるを、男、弓を強く引きて、上にかかる折に、やがて矢を放ちたれば、おとがひの下より、うなじに七・八寸ばかり、尖り矢を射出だしつ。虎、さかさま臥して、倒れてあがくを、雁股(かりまた)をつがひて、二度(ふたたび)腹を射る。二度ながら土に射付けて、つひに殺して、矢も抜かで、国府に帰りて、守にかうかう射殺しつるよしを言ふに、守、感じののしりて、多くの人を具して、虎のもとへ行きて見れば、まことに矢三つながら射通されたり。見るに、いといみじ。 |
+ | |||
+ | まことに、百千の虎おこりてかかるとも、日本の人十人ばかり、馬にて押し向ひて射ば、虎なにわざをかせん。この国の人は、一尺ばかりの矢に、錐(きり)のやうなる矢じりをすげて、それに毒を塗りて射れば、つひにはその毒のゆゑに死ぬれども、たちまちにその庭に射伏することはえせず。日本人は、わが命死なんをもつゆ惜しまず、大きなる矢にて射れば、その庭に射殺しつ、なほ兵の道は、日本の人にはあたるべくもあらず。されば、いよいよ、「いみじう恐しく覚ゆる国なり」とて怖ぢけり。 | ||
+ | |||
+ | さて、この男をば、なほ惜しみとどめて、いたはりけれども、妻子を恋ひて、筑紫に帰りて、宗行がもとに行きて、そのよしを語りければ、「日本の面(おもて)おこしたる者なり」とて、勘当も許してけり。多くの物ども、禄に得たりける、宗行にも取らす。 | ||
+ | |||
+ | おほくの商人ども、新羅の人の言ふを聞き継ぎて語りければ、筑紫にも、この国の人の兵は、いみじき者にぞしけるとか。 | ||
+ | |||
+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | いまはむかし壱岐守宗行か郎等をはかなき事によりて主の | ||
+ | 殺さんとしけれは小舟に乗て逃て新羅国へ渡りて隠てゐ | ||
+ | たりける程に新羅のきんかいといふ所のいみしうののしりさはくなに | ||
+ | 事そととへは虎のこうに入て人をくらふ也といふ此男とふ | ||
+ | とらはいくつはかりあるそとたた一あるか俄にいてきて人をくらひ | ||
+ | て逃ていきいきするなりと云をききて此男のいふ様あの虎に合 | ||
+ | て一矢を射てしなはや虎かしこくは共にこそしなめたたむなしうは/下60ウy374 | ||
+ | |||
+ | いかてかくらはれん此国の人は兵の道わろきにこそはあめれといひ | ||
+ | けるを人ききて国守にかうかうの事をこそ此日本人申せといひ | ||
+ | けれはかしこき事かなよへといへは人きてめしありといへはまいりぬ | ||
+ | まことにやこの虎の人くふをやすく射んとは申なるととはれ | ||
+ | けれはしか申候ぬとこたふ守いかてかかる事をは申そととへは | ||
+ | 此男の申やうこの国の人は我身をはまたくして敵をは害せんと | ||
+ | 思たれはおほろけにてかやうのたけき獣なとには我みの損 | ||
+ | せられぬへけれはまかりあはぬにこそ候めれ日本の人はいかにも我身をは | ||
+ | なきになしてまかりあへはよき事も候めり弓矢にたつさはらん | ||
+ | 物なにしかは我みを思はん事は候はんと申けれ守さて虎をは | ||
+ | かならす射ころしてんやといひけれは我身のいきいかすはしらす | ||
+ | 必かれをは射とり侍なんと申せはいといみしうかしこき事かな | ||
+ | さらは必かまへて射よいみしき悦せんといへはおのこ申やう/下61オy375 | ||
+ | |||
+ | さてもいつくに候そ人をはいかやうにてくひ侍そと申せは守 | ||
+ | のいはくいかなるおりにかあるらんこうの中に入きて人ひとりを | ||
+ | 頭を食て肩にうちかけて去なりとこの男申やうさてもいかに | ||
+ | してかくひ候ととへは人のいふやう虎は先人をくはんとては猫の | ||
+ | 鼠をうかかふやうにひれふしてしはし斗ありて大口をあきて | ||
+ | とひかかりて頭をくひて肩にうちかけてはしりさるといふ | ||
+ | とてもかくてもさはれ一矢射てこそはくらはれ侍らめその虎の | ||
+ | あり所をしへよといへはこれより西に廿余町のきてをの畠ありそれに | ||
+ | なんふす也人おちてあへてそのわたりにゆかすといふおのれたたしり | ||
+ | 侍らすともそなたをさしてまからんといひて調度をいていぬ | ||
+ | 新羅の人々日本の人ははかなし虎にくらはれなんと集りて | ||
+ | そしりけりかくて此男は虎のあり所とひききて行てみれは | ||
+ | まことにをのはたけはるはるとおひわたりたりをのたけ四五尺/下61ウy376 | ||
+ | |||
+ | 斗なりその中をわけ行てみれはまことに虎臥たりとかり矢 | ||
+ | をはけてかた膝をたててゐたり虎人の香をかきてついひら | ||
+ | かりて猫のねすみうかかふやうにてあるをおのこ矢をはけてをとも | ||
+ | せてゐたれは虎大口をあきておとりておのこのうへにかかるを | ||
+ | おのこ弓をつよくひきてうへにかかるおりにやかて矢をはなちたれ | ||
+ | はおとかひのしたよりうなしに七八寸はかりとかり矢を射出しつ虎 | ||
+ | さかさま臥てたをれてあかくをかりまたをつかひて二たひ腹を | ||
+ | いる二たひなから土に射つけてつゐに殺して矢もぬかて国府 | ||
+ | に帰て守にかうかう射ころしつるよしをいふに守感しのの | ||
+ | しりておほくの人をくして虎のもとへ行てみれはまことに | ||
+ | 箭三なから射とほされたりみるにいといみし誠に百千の虎 | ||
+ | おこりてかかるとも日本の人十人はかり馬にてをしむかひて | ||
+ | 射は虎なにわさをかせん此国の人は一尺はかりの矢にきりのやうなる/下62オy377 | ||
+ | |||
+ | 矢しりをすけてそれに毒をぬりていれはつゐにはその毒の | ||
+ | ゆへにしぬれともたちまちにその庭に射ふする事はえせす日本 | ||
+ | 人は我命死なんをも露おします大なる矢にていれは其庭にいこ | ||
+ | ろしつなを兵の道は日本の人にはあたるへくもあらすされはいよいよ | ||
+ | いみしうおそろしくおほゆる国也とておちけりさて此おのこをは | ||
+ | 猶おしみととめていたはりけれとも妻子を恋て筑紫に帰て宗行 | ||
+ | かもとに行てそのよしをかたりけれは日本のおもておこしたる物 | ||
+ | なりとて勘当もゆるしてけりおほくの物とも禄にえたりける | ||
+ | 宗行にもとらすおほくの商人とも新羅の人のいふをききつきて | ||
+ | かたりけれは筑しにも此国の人の兵はいみしき物にそしけるとか/下62ウy378 | ||
- | さて、此おとこをば、猶おしみとどめていたはりけれども、妻子を恋て、筑紫に帰て、宗行がもとに行て、そのよしをかたりければ、「日本のおもておこしたる物なり」とて、勘当もゆるしてけり。おほくの物ども、禄にえたりける。宗行にもとらす。おほくの商人ども、新羅の人のいふをききつぎて、かたりければ、筑紫にも、此国の人の兵はいみじき物にぞしけるとか。 |
text/yomeiuji/uji155.txt · 最終更新: 2019/10/23 23:28 by Satoshi Nakagawa