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宇治拾遺物語

第155話(巻12・第19話)宗行が郎等、虎を射る事

宗行郎等射虎事

宗行が郎等、虎を射る事

いまはむかし、壱岐守宗行が郎等を、はかなき事によりて、主の殺さんとしければ、小舟に乗て逃て、新羅国へ渡りて、隠てゐたりける程に、新羅のきんかいといふ所の、いみじうののしりさはぐ。

「なに事ぞ」ととへば、「虎のこうに入て、人をくらふ也」といふ。此男とふ、「とらはいくつばかりあるぞ」と。「ただ一あるが、俄にいできて、人をくらひて、逃ていきいきするなり」と云をききて、此男のいふ様、「あの虎に合て、一矢を射てしなばや。虎、かしこくは、共にこそしなめ。ただむなしうはいかでかくらはれん。此国の人は、兵の道わろきにこそはあめれ」といひけるを、人ききて、国守に、「かうかうの事をこそ、此日本人申せ」といひければ、「かしこき事かな。よべ」といへば、人きて「めしあり」といへば、まいりぬ。

「まことにや、この虎の人くふを『やすく射ん』とは申なる」と、とはれければ「しか申候はぬ」とこたふ。守、「いかでかかる事をば申ぞ」ととへば此男の申やう、「この国の人は『我身をばまたくして敵をば害せん』と思たれば、おぼろげにて、かやうのたけき獣などには、我みの損ぜられぬべければ、まかりあはぬにこそ候めれ。日本の人は、いかにも我身をばなきになしてまかりあへば、よき事も候めり。弓矢にたづさはらん物、なにしかは、我みを思はん事は候はん」と申けれ。守、「さて、虎をばかならず射ころしてんや」といひければ、「我身のいき、いかずはしらず、必かれをば射とり侍なん」と申せば、「いと、いみじうかしこき事かな。さらば、必、かまへて射よ。いみじき悦せん」といへば、おのこ申やう、「さても、いづくに候ぞ。人をば、いかやうにてくひ侍ぞ」と申せば、守のいはく、「いかなるおりにかあるらん。こうの中に入きて、人ひとりを頭を食て、肩にうちかけて去なり」と。この男申やう「さても、いかにしてかくひ候」ととへば、人のいふやう、「虎は先人をくはんとては、猫の鼠をうかがふやうにひきふして、しばし斗ありて、大口をあきてとびかかりて、頭をくひて肩にうちかけてはしりさる」といふ。「とてもかくても、さはれ、一矢射てこそは、くらはれ侍らめ。その虎のあり所をしへよ」といへば、「これより西に廿余町のきて、をの畠あり。それになんふす也。人、おぢて、あへてそのわたりにゆかず」といふ。「おのれ、ただしり侍らずとも、そなたをさしてまからん」といひて、調度をいていぬ。新羅の人々「日本の人は、はかなし。虎にくらはれなん」と集りてそしりけり。

かくて此男は、虎のあり所とひききて行てみれば、まことにをのはたけ、はるばるとおひわたりたり。をのたけ四五尺斗なり。その中をわけ行てみれば、まことに虎臥たり。とがり矢をはげて、かた膝をたててゐたり。虎、人の香をかぎて、ついひらがりて、猫のねずみうかがふやうにてあるを、おのこ矢をはげて、をともせでゐたれば、虎、大口をあきておどりて、おのこのうへにかかるを、おのこ、弓をつよくひきて、うへにかかるおりに、やがて矢をはなちたれば、おとがひのしたより、うなじに七八寸ばかり、とがり矢を射出しつ。虎さかさま臥て、たをれてあがくを、かりまきをつがひて、二たび腹をいる。二たびながら、土に射つけて、つゐに殺して、矢もぬかで国府に帰て、守に、かうかう射ころしつるよしをいふに、守感じののしりて、おほくの人をぐして、虎のもとへ行てみれば、まことに箭三ながら射とほされたり。みるに、いといみじ。

誠に、百千の虎、おこりてかかるとも、日本の人、十人ばかり馬にてをしむかひて射ば、虎なにわざをかせん。此国の人は、一尺ばかりの矢に、きりのやうなる矢じりをすげて、それに毒をぬりていれば、つゐには、その毒のゆへにしぬれども、たちまちにその庭に射ふする事はえせず。日本人は、我命死なんをも、露おしまず、大なる矢にていれば、其庭にいころしつるを、兵の道は、日本の人にはあたるべくもあらず。されば、いよいよ、「いみじうおそろしくおぼゆる国也」とておぢけり。

さて、此おとこをば、猶おしみとどめていたはりけれども、妻子を恋て、筑紫に帰て、宗行がもとに行て、そのよしをかたりければ、「日本のおもておこしたる物なり」とて、勘当もゆるしてけり。おほくの物ども、禄にえたりける。宗行にもとらす。おほくの商人ども、新羅の人のいふをききつぎて、かたりければ、筑紫にも、此国の人の兵はいみじき物にぞしけるとか。

text/yomeiuji/uji155.1413047785.txt.gz · 最終更新: 2014/10/12 02:16 by Satoshi Nakagawa