text:yomeiuji:uji151
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text:yomeiuji:uji151 [2019/10/08 22:19] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji151 [2021/11/19 23:36] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | 今は昔、河原の院は融の左大臣((源融))の家なり。陸奥(みちのく)の塩釜(しほがま)の形(かた)を作りて、潮(うしほ)を汲み寄せて、塩を焼かせなど、さまざまのをかしきことを尽して住み給ひける。大臣(おとど)失せて後、宇多院((宇多天皇))には奉りたるなり。延喜の御門((醍醐天皇))、たびたび行幸ありけり。 | + | 今は昔、河原の院は融の左大臣((源融))の家なり。陸奥(みちのく)の塩竈(しほがま)の形(かた)を作りて、潮(うしほ)を汲み寄せて、塩を焼かせなど、さまざまのをかしきことを尽して住み給ひける。大臣(おとど)失せて後、宇多院((宇多天皇))には奉りたるなり。延喜の御門((醍醐天皇))、たびたび行幸ありけり。 |
まだ院の住ませ給ひける折に、夜中ばかりに、西対(にしのたい)の塗籠(ぬりごめ)を開けて、そよめきて、人の参るやうに思されければ、見させ給へば、日の装束うるはしくしたる人の、太刀はき、笏とりて、二間ばかりのきて、かしこまりて居たり。 | まだ院の住ませ給ひける折に、夜中ばかりに、西対(にしのたい)の塗籠(ぬりごめ)を開けて、そよめきて、人の参るやうに思されければ、見させ給へば、日の装束うるはしくしたる人の、太刀はき、笏とりて、二間ばかりのきて、かしこまりて居たり。 |
text/yomeiuji/uji151.txt · 最終更新: 2021/11/19 23:36 by Satoshi Nakagawa