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text:yomeiuji:uji136 [2019/08/12 12:50] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji136 [2019/08/12 12:57] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa
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 ===== 校訂本文 ===== ===== 校訂本文 =====
  
-これも今は昔、筑紫に「たうさかのさへ」と申す、の神まします。その祠(ほこら)に修行しける僧の宿りて、寝たりける夜、「夜中ばかりにはなりぬらん」と思ふほどに、馬の足音あまたして、人の過ぐると聞くほどに、「はましますか」と問ふ声す。この宿りたる僧、「あやし」と聞くほどに、この祠の内より、「侍り」と答ふなり。+これも今は昔、筑紫に「たうさかのさへ」と申す、の神((道祖神))まします。その祠(ほこら)に修行しける僧の宿りて、寝たりける夜、「夜中ばかりにはなりぬらん」と思ふほどに、馬の足音あまたして、人の過ぐると聞くほどに、「はましますか」と問ふ声す。この宿りたる僧、「あやし」と聞くほどに、この祠の内より、「侍り」と答ふなり。
  
 また、「あさまし」と聞けば、「明日、武蔵寺にや参り給ふ」と問ふなれば、「さも侍らず。何事の侍るぞ」と答ふ。「明日、武蔵寺に新仏出で給ふべしとて、梵天・帝釈((帝釈天))・諸天・龍神集まり給ふとは知り給はぬか」と言ふなれば、「さることも、え承らざりけり。嬉しく告げ給へるかな。いかでか参らでは侍らん。かならず参らんずる」と言へば、「さらば、明日の巳時ばかりのことなり。必ず参り給へ。待ち申さん」とて過ぎぬ。 また、「あさまし」と聞けば、「明日、武蔵寺にや参り給ふ」と問ふなれば、「さも侍らず。何事の侍るぞ」と答ふ。「明日、武蔵寺に新仏出で給ふべしとて、梵天・帝釈((帝釈天))・諸天・龍神集まり給ふとは知り給はぬか」と言ふなれば、「さることも、え承らざりけり。嬉しく告げ給へるかな。いかでか参らでは侍らん。かならず参らんずる」と言へば、「さらば、明日の巳時ばかりのことなり。必ず参り給へ。待ち申さん」とて過ぎぬ。
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 「いかなることにか」と思ひゐたるほどに、年七十余りばかりなる翁の、髪もはげて、白きとてもおろおろある頭に、袋の烏帽子を引き入れて、もとも小さきが、いとど腰かがまりたるが、杖にすがりて歩む。尻に尼立てり。小さく黒き桶に、何かあるらん、物入れて引き下げたり。御堂に参りて、男は仏の御前にて、額(ぬか)二三度ばかりつきて、木欒子(もくれんず)の念珠の大きに長き、押しもみて候へば、尼、その持たる小桶を翁の傍らに置きて、「御房、呼び奉らん」とて往ぬ。 「いかなることにか」と思ひゐたるほどに、年七十余りばかりなる翁の、髪もはげて、白きとてもおろおろある頭に、袋の烏帽子を引き入れて、もとも小さきが、いとど腰かがまりたるが、杖にすがりて歩む。尻に尼立てり。小さく黒き桶に、何かあるらん、物入れて引き下げたり。御堂に参りて、男は仏の御前にて、額(ぬか)二三度ばかりつきて、木欒子(もくれんず)の念珠の大きに長き、押しもみて候へば、尼、その持たる小桶を翁の傍らに置きて、「御房、呼び奉らん」とて往ぬ。
  
-しばしばかりあれば、六十ばかりなる僧参りて、仏拝奉りて、「何せむに呼び給ふぞ」と問へば、「今日明日とも知らぬ身にまかりなりにたれば、この白髪の少し残りたるを剃りて、御弟子にならんと思ふなり」と言へば、僧、目押しすりて、「いと尊きことかな。さらば、とくとく」とて、小桶なりつるは湯なりけり、その湯にて頭洗ひて、剃りて、戒授けつれば、また仏拝み奉りて、まかり出でぬ。その後、また異事(ことごと)なし。 +しばしばかりあれば、六十ばかりなる僧参りて、仏拝奉りて、「何せむに呼び給ふぞ」と問へば、「今日明日とも知らぬ身にまかりなりにたれば、この白髪の少し残りたるを剃りて、御弟子にならんと思ふなり」と言へば、僧、目押しすりて、「いと尊きことかな。さらば、とくとく」とて、小桶なりつるは湯なりけり、その湯にて頭洗ひて、剃りて、戒授けつれば、また仏拝み奉りて、まかり出でぬ。その後、また異事(ことごと)なし。さは、この翁の法師になるを随喜して、天衆も集り給ひて、「新仏の出でさせ給ふ」とはあるにこそありけれ。
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-さは、この翁の法師になるを随喜して、天衆も集り給ひて、「新仏の出でさせ給ふ」とはあるにこそありけれ。+
  
 出家随分の功徳とは、今に始めたることにはあらねども、まして、若く盛りならん人の、よく道心起こして、随分にせん者の功徳、これにていよいよ推し量られたり。 出家随分の功徳とは、今に始めたることにはあらねども、まして、若く盛りならん人の、よく道心起こして、随分にせん者の功徳、これにていよいよ推し量られたり。
text/yomeiuji/uji136.txt · 最終更新: 2019/08/12 12:57 by Satoshi Nakagawa