text:yomeiuji:uji136
差分
このページの2つのバージョン間の差分を表示します。
両方とも前のリビジョン前のリビジョン | 最新のリビジョン両方とも次のリビジョン | ||
text:yomeiuji:uji136 [2019/08/12 12:50] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji136 [2019/08/12 12:50] – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
---|---|---|---|
行 16: | 行 16: | ||
「いかなることにか」と思ひゐたるほどに、年七十余りばかりなる翁の、髪もはげて、白きとてもおろおろある頭に、袋の烏帽子を引き入れて、もとも小さきが、いとど腰かがまりたるが、杖にすがりて歩む。尻に尼立てり。小さく黒き桶に、何かあるらん、物入れて引き下げたり。御堂に参りて、男は仏の御前にて、額(ぬか)二三度ばかりつきて、木欒子(もくれんず)の念珠の大きに長き、押しもみて候へば、尼、その持たる小桶を翁の傍らに置きて、「御房、呼び奉らん」とて往ぬ。 | 「いかなることにか」と思ひゐたるほどに、年七十余りばかりなる翁の、髪もはげて、白きとてもおろおろある頭に、袋の烏帽子を引き入れて、もとも小さきが、いとど腰かがまりたるが、杖にすがりて歩む。尻に尼立てり。小さく黒き桶に、何かあるらん、物入れて引き下げたり。御堂に参りて、男は仏の御前にて、額(ぬか)二三度ばかりつきて、木欒子(もくれんず)の念珠の大きに長き、押しもみて候へば、尼、その持たる小桶を翁の傍らに置きて、「御房、呼び奉らん」とて往ぬ。 | ||
- | しばしばかりあれば、六十ばかりなる僧参りて、仏拝奉りて、「何せむに呼び給ふぞ」と問へば、「今日明日とも知らぬ身にまかりなりにたれば、この白髪の少し残りたるを剃りて、御弟子にならんと思ふなり」と言へば、僧、目押しすりて、「いと尊きことかな。さらば、とくとく」とて、小桶なりつるは湯なりけり、その湯にて頭洗ひて、剃りて、戒授けつれば、また仏拝み奉りて、まかり出でぬ。その後、また異事(ことごと)なし。 | + | しばしばかりあれば、六十ばかりなる僧参りて、仏拝奉りて、「何せむに呼び給ふぞ」と問へば、「今日明日とも知らぬ身にまかりなりにたれば、この白髪の少し残りたるを剃りて、御弟子にならんと思ふなり」と言へば、僧、目押しすりて、「いと尊きことかな。さらば、とくとく」とて、小桶なりつるは湯なりけり、その湯にて頭洗ひて、剃りて、戒授けつれば、また仏拝み奉りて、まかり出でぬ。その後、また異事(ことごと)なし。さは、この翁の法師になるを随喜して、天衆も集り給ひて、「新仏の出でさせ給ふ」とはあるにこそありけれ。 |
- | + | ||
- | さは、この翁の法師になるを随喜して、天衆も集り給ひて、「新仏の出でさせ給ふ」とはあるにこそありけれ。 | + | |
出家随分の功徳とは、今に始めたることにはあらねども、まして、若く盛りならん人の、よく道心起こして、随分にせん者の功徳、これにていよいよ推し量られたり。 | 出家随分の功徳とは、今に始めたることにはあらねども、まして、若く盛りならん人の、よく道心起こして、随分にせん者の功徳、これにていよいよ推し量られたり。 |
text/yomeiuji/uji136.txt · 最終更新: 2019/08/12 12:57 by Satoshi Nakagawa