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宇治拾遺物語

第132話(巻11・第8話)則光、盗人を切る事

則光盗人ヲ切事

則光、盗人を切る事

校訂本文

今は昔、駿河前司橘季通が父に、陸奥前司則光1)といふ人ありけり。兵(つはもの)の家にはあらねども、人に所置かれ、力などぞいみじう強かりける。世に覚えなどありけり。

若くて衛府の蔵人にぞありける時、殿居所(とのゐどころ)より、「女のもとへ行く」とて、太刀ばかりをはきて、小舎人童をただ一人具して、大宮を下りに行きければ、大垣の内に人の立てる気色のしければ、「恐し」と思ひて過ぎけるほどに、八九日の夜更けて、月は西山に近くなりたれば、西の大垣の内は影にて、人の立てらんも見えぬに、大垣の方より声ばかりして、「あの過ぐる人、まかり止まれ。公達のおはしますぞ。え過ぎじ」と言ひければ、「さればこそ」と思ひて、すすどく歩みて過ぐるを、「おれは、さてはまかりなんや」とて、走りかかりて、物の来ければ、うつぶきて見るに、弓の影は見えず、太刀のきらきらとして見えければ、「木にはあらざりけり」と思ひて、かい伏して逃ぐるを、追ひ付きて来れば、「頭打ち割られぬ」と思ゆれば、にはかにかたはらざまに、ふと寄りたれば、追ふ者の走り早まりて、えとどまりあへず。先に出でたれば、過ごしたてて、太刀を抜きて打ちければ、頭を中より打ち破(わ)りたりければ、うつぶしに走りまろびぬ。

「ようしん」と思ふほどに、「あれは、いかにしつるぞ」と言ひて、また、者の走りかかりて来れば、太刀をもえさしあへず、脇に挟みて逃ぐるを、「けやけき奴かな」と言ひて、走りかかりて来る者、始めのよりは走りのとくに覚えければ、「これは、よもありつるやうにははかられじ」と思ひて、にはかに居たりければ、走り早まりたる者にて、われにけつまづきて、うつぶしに倒(たう)れたりけるを、違ひて立ちかかりて、起こし立てず、頭をまた打ち破りてけり。

「いまはかく」と思ふほどに、三人ありければ、いま一人が、「さては、えやらじ。けやけくしていく奴かな」とて、しうねく走りかかりて来ければ、「このたびは、われはあやまたれなんず。神仏、助け給へ」と念じて、太刀を桙(ほこ)のやうに取りなして、走り早まりたる者に、にはかにふと立ち向ひければ、はるばると合はせて、走り当りにけり。奴も切りけれども、あまりに近く走り当りてければ、衣(きぬ)だに切れざりけり。桙のやうに持ちたりける太刀なりければ、受けられて、中より通りたりけるを、太刀の束(つか)を返しければ、のけざまに倒(たう)れたりけるを、切りてければ、太刀持ちたる腕(かひな)を、肩より打ち落としてけり。

さて、走りのきて、また、「人やある」と聞きけれども、人の音もせざりければ、走りまひて、中御門の門より入りて、柱にかいそひて立ちて、「小舎人童は、いかがしつらん」と待ちければ、童は大宮を上(のぼ)りに、泣く泣く行きけるを、呼びければ、悦びて走り来にけり。殿居所にやりて、着替へ取り寄せて、着替へて、もと着たりける上の衣(きぬ)・指貫には、血の付きたりければ、童して深く隠させて、童の口よくかためて、太刀に血の付きたる、洗ひなどしたためて、殿居所にさりげなくて入り臥しにけり。

夜もすがら、「わがしたるなど、聞こえやあらんずらん」と、胸うち騒ぎて思ふほどに、夜明けて後、者ども言ひ騒ぐ。「大宮大炊御門辺に、大きなる男三人、いくほどもへだてず切り伏せたる。あさましく使ひたる太刀かな。『かたみに切り合ひて死にたるか』と見れば、同じ太刀の使ひざまなり。敵のしたりけるにや。されど、盗人と思しきさまぞしたる」など、言ひののしるを、殿上人ども、「いざ、行きて見て来ん」とて、誘ひて行けば、「行かじはや」と思へども、行かざらんも、また心得られぬさまなれば、しぶしぶに往ぬ。

車に乗りこぼれて、遣り寄せて見れば、いまだともかくもしなさで置きたりけるに、年四十余ばかりなる男の、かづら髭なるが、無文(むもん)の袴に、紺の洗ひさしの襖(あを)2)着(き)、山吹の衣の衫(かざみ)、よくさらされたる着たるが、猪のさやつかの尻鞘(しりさや)したる太刀はきて、牛の皮たびに、沓きり履きなして、脇をかき、指(および)をさして、と向きかう向き、もの言ふ男立てり。

「何男にか」と見るほどに、雑色の走り寄り来て、「あの男の、盗人敵(かたき)に会ひて、つかうまつりたると申す」と言ひければ、「嬉しくも言ふなる男かな」と思ふほどに、車の前に乗りたる殿上人の、「かの男、召し寄せよ。子細問はん」と言へば、雑色、走り寄りて、召し持てきたり。見れば、たかづら髭にて、おとがひそり、鼻下がりたり。赤髭なる男の、血目に見なして、片膝突きて、太刀の束に手をかけてゐたり。

「いかなりつることぞ」と問へば、「この夜中ばかりに、ものへまかるとて、ここをまかり過ぎつるほどに、物の三人、『おれは、まさにまかり過ぎなんや』と申して、走り続きて詣で来つるを、『盗人なめり』と思ひ給へて、あへくらべ伏せて候ふなり。今朝見れば、なにがしを、見なしと思ひ給ふべき奴ばらにて候ひければ、『敵にてつかまつりたりけるなめり』と思ひ給ふれば、しや頭どもをまつて、かく候ふなり」と立ち居ぬ。指(をよび)をさしなど語りたれば、人々、「さてさて」と言ひて問ひ聞けば、いとど狂ふやうにして語りをる。そのときにぞ、人にゆづり得て、面(おもて)もたげられて見ける。

「『気色やしるからん』と、人知れず思ひたりけれど、われと名乗る者の出で来たりければ、それに譲りて止みし」と、老いて後に子どもにぞ語りける。

翻刻

今は昔駿河前司橘季通か父に陸奥前司のりみつと云人
ありけり兵の家にはあらねとも人に所をかれ力なとそいみしう
つよかりける世におほえなとありけりわかくて衛府の蔵人にそ
ありける時殿居所より女のもとへ行くとて太刀はかりをはきて/下44オy341
小舎人童をたた一人くして大宮をくたりにいきけれは大垣の
内に人のたてるけしきのしけれはおそろしと思て過けるほとに
八九日の夜ふけて月は西山にちかくなりたれは西の大垣の内は
影にて人のたてらんもみえぬに大垣の方よりこゑ斗してあの
すくる人まかりとまれ公達のおはしますそえすきしといひけれは
されはこそと思てすすとくあゆみて過るをおれはさてはまかり
なんやとて走かかりて物のきけれはうつふきてみるに弓のかけは
みえす太刀のきらきらとしてみえけれは木にはあらさりけりと
おもひてかいふして逃るを追付てくれは頭うちわられぬとおほゆ
れは俄にかたはらさまにふとよりたれはをふ物の走はやまりて
えととまりあへすさきに出たれはすこしたてて太刀をぬきて
打けれは頭を中よりうち破たりけれはうつふしにはしりまろひぬ
ようしんとおもふ程にあれはいかにしつるそといひて又物の走/下44ウy342
かかりてくれは太刀をもえさしあへす脇にはさみてにくるを
けやけきやつかなといひて走かかりてくるものはしめのよりは
走のとくにおほえけれはこれはよもありつるやうにははかられしと
思て俄にゐたりけれは走はやまりたるものにて我にけつまつ
きてうつふしにたうれたりけるをちかひてたちかかりておこしたてす
頭を又打破てけりいまはかくとおもふ程に三人ありけれはいま独
かさてはえやらしけやけくしていく奴かなとてしうねく
走かかりてきけれはこのたひは我はあやまたれなんす神仏
たすけ給へと念て太刀を桙のやうにとりなして走はやまり
たるものに俄にふと立むかひけれははるはるとあはせて走あたりに
けりやつも切けれともあまりにちかく走あたりてけれはきぬたに
きれさりけり桙のやうに持たりける太刀なりけれはうけられて
中よりとほりたりけるを太刀の束を返しけれはのけさまに/下45オy343
たうれたりけるを切てけれは太刀もちたるかいなを肩より打
おとしてけりさて走のきて又人やあるとききけれとも人のを
ともせさりけれは走まひて中御門の門より入て柱にかひそひ
てたちて小舎人童はいかかしつらんと待けれは童は大宮をのほり
になくなくいきけるをよひけれは悦て走きにけり殿居所に
やりてきかへとりよせてきかへてもときたりけるうへのきぬ指貫
には血の付たりけれは童してふかくかくさせて童の口よく
かためて太刀に血のつきたるあらひなとしたためて殿ゐ所に
さりけなくて入ふしにけり夜もすから我したるなときこえや
あらんすらんとむねうちさはきておもふ程に夜明てのち物とも
いひさはく大宮大炊御門辺に大なる男三人いく程もへたてす
切ふせたるあさましくつかひたる太刀かなかたみに切合て死たるかと
みれはおなし太刀のつかひさま也敵のしたりけるにやされと盗人と/下45ウy344
おほしきさまそしたるなといひののしるを殿上人ともいさ
行てみてこんとてさそひてゆけはゆかしはやと思へともいかさらんも
又心えられぬさまなれはしふしふにいぬ車にのりこほれてやり
よせてみれはいまたともかくもしなさてをきたりけるに年四十余斗
なる男のかつらひけなるか無文の袴に紺のあらひさしの青き山吹
のきぬの衫よくさらされたるきたるか猪のさやつかのしりさやし
たる太刀はきて牛の皮たひに沓きりはきなしてわきをかきお
よひをさしてとむきかうむき物いふ男たてりなに男にかとみる
ほとに雑色の走よりきてあの男の盗人かたきにあひてつかう
まつりたると申といひけれはうれしくもいふなる男かなとおもふ
程に車の前に乗たる殿上人のかの男めしよせよ子細とはんと
いへは雑色走よりてめしもてきたりみれはたかつらひけにてをと
かひそり鼻さかりたり赤ひけなる男の血目にみなし/下46オy345
て片膝つきて太刀の束に手をかけてゐたりいかなりつる事
そととへは此夜中はかりに物へまかるとてここをまかり過つる程に
物の三人おれはまさにまかり過なんやと申て走つつきてまう
てきつるを盗人なめりと思給へてあへくらへふせて候也今朝みれは
なにかしを見なしと思たまふへきやつ原にてさふらひけれは敵にて
仕りたりけるなめりと思給れはしや頭ともをまつてかくさふらふなり
とたちゐぬをよひをさしなとかたりたれは人々さてさてと
いひてとひきけはいととくるふやうにしてかたりおるその時にそ人に
ゆつりえて面もたけられてみけるけしきやしるからんと人し
れす思たりけれと我となのるもののいてきたりけれはそれにゆつり
てやみしと老て後に子ともにそかたりける/下46ウy346
1)
橘則光
2)
「襖」は底本「青」
text/yomeiuji/uji132.txt · 最終更新: 2019/06/24 19:09 by Satoshi Nakagawa