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宇治拾遺物語

第130話(巻11・第6話)蔵人得業、猿沢池の竜の事

蔵人得業猿沢池竜事

蔵人得業、猿沢池の竜の事

これも今はむかし、奈良に蔵人得業恵印と云僧有けり。鼻大きにて赤かりければ、「大鼻の蔵人得業」といひけるを、後ざまには「事ながし」とて、「鼻蔵人」とぞいひける。猶、のちのちには「鼻くら」「鼻くら」とのみいひけり。

それが、若かりける時に、猿沢の池のはたに、「その月のその日、此池より竜ののぼらんずるなり」といふ簡をたてたりけるを、ゆききの物、若き老たる、さるべき人々、「ゆかしき事かな」とささめきあひたり。此鼻蔵人、「おかしき事かな。我したる事を人々さはぎあひたり。おこの事哉」と、心中におかしく思へども、「すかしふせん」とて、そらしらずして過行程に、その月になりぬ。

大かた、大和、河内、和泉、摂津国の物まで、ききつたへて、つどひあひたり。恵印、「いかにかくはあつまる。何かあらんやうのあるにこそ。あやしき事かな」と思へども、さりげなくて過行ほどに、すでにその日になりぬれば、道もさりあへず、ひしめきあつまる。

その時になりて、此恵印おもふやう、「ただ事にもあらじ。我したる事なれども、やうのあるにこそ」と思ければ、「此事さもあらんずらん。行てみん」と思て、頭つつみてゆく。大かた、ちかうよりつくべきにもあらず。興福寺の南大門の壇の上にのぼりたちて「今や竜の登る、今や竜の登る」とまちたれども、なにののぼらんぞ、日も入ぬ。

くらぐらになりて、さりとては、かくてあるべきならねば、帰ける道に、ひとつ橋に目くらがわたりあひたりけるを、此恵印、「あな、あぶなの目くらや」といひたりけるを、めくら、とりもあへず「あらじ、鼻くらななり」といひける。

この恵印を「はなくら」と云共しらざりけれども、目くらといふにつきて、「あらじ、はなくらななり」といひたるが、「鼻くら」にいひあはせたるが、おかしき事の一なりとか。

text/yomeiuji/uji130.1412959401.txt.gz · 最終更新: 2014/10/11 01:43 by Satoshi Nakagawa