text:yomeiuji:uji119
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text:yomeiuji:uji119 [2016/11/03 02:28] – [第119話(巻10・第6話)吾嬬人、生贄を止むる事] Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji119 [2019/03/15 02:56] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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宇治拾遺物語 | 宇治拾遺物語 | ||
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====== 第119話(巻10・第6話)吾嬬人、生贄を止むる事 ====== | ====== 第119話(巻10・第6話)吾嬬人、生贄を止むる事 ====== | ||
**吾嬬人止生贄事** | **吾嬬人止生贄事** | ||
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**吾嬬人、生贄を止むる事** | **吾嬬人、生贄を止むる事** | ||
- | 今は昔、山陽道美作国に中さん・かうやと申神おはします。かうやはくちなわ、中さむは猿丸にてなんおはする。その神、年ごとの祭に、かならずいけにゑをたてまつる。人のむすめのかたちよく、かみながく、色しろく、身なりおかしげに、すがたらうたげなるをぞえらびもとめて、たてまつりける。昔より今にいたるまで、その祭おこたり侍らず。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
+ | |||
+ | 今は昔、山陽道美作国に中山(ちゆうざん)・高野(かうや)と申す神おはします。高野は蛇(くちなは)、中山は猿丸にてなんおはする。その神、年ごとの祭に、かならず生贄(いけにゑ)を奉る。人の女(むすめ)の、形よく、髪長く、色白く、身なりをかしげに、姿らうたげなるをぞ選び求めて、奉りける。昔より今に至るまで、その祭、怠り侍らず。 | ||
+ | |||
+ | それに、ある人の女、生贄にさし当てられにけり。親ども泣き悲しむことかぎりなし。人の親子となることは、先の世の契りなりければ、あやしきをだにも、おろかにやは思ふ。まして、よろづにめでたければ、身にもまさりておろかならず思へども、さりとて逃るべからねば、歎きながら月日を過ぐすほどに、やうやう命つづまるを、「親子とあひ見んこと、今いくばくならず」と思ふにつけて、日を数へて、明け暮れただ音(ね)をのみ泣く。 | ||
+ | |||
+ | かかるほどに、東(あづま)の人の、狩といふことのみ役として、猪(ゐのしし)といふものの、腹立ちしかりたるはいと恐しきものなり、それをだに何とも思ひたらず、心にまかせて殺し取り食ふことを役とする者の、いみじう身の力強く、心猛(たけ)う、むくつけき荒武者の、おのづから出で来て、そのわたりにうちめぐるほどに、この女の父母のもとに来にけり。 | ||
+ | |||
+ | 物語するついでに、女の父の言ふやう、「おのれが女の、ただ一人侍るをなん、かうかうの生贄にさし当てられ侍れば、思ひ暮らし歎き明かしてなん、月日を過ぐし侍る。世にはかかることも侍りけり。先の世にいかなる罪を作りて、この国に生まれて、かかる目を見侍るらん。かの女子(をんなご)も、『心にもあらず、あさましき死をし侍りなんずるかな』と申す。いとあはれに悲しう侍るなり。さるは、おのれが女とも申さじ、いみじう美しげに侍るなり」と言へば、東の人、「さて、その人は、今は死給ひなんずる人にこそはおはすなれ。人は命にまさることなし。身のためにこそ、神も恐しけれ。このたびの生贄を出ださずして、その女君を、みづからに預け賜ぶべし。死に給はんも同じことにこそおはすれ。いかでか、ただ一人持ち奉り給へらん御女を、目の前に生きながら膾(なます)に作り、切り広げさせては見給はん。ゆゆしかるべきことなり。さる目見給はんも同じことなり。ただ、その君をわれに預け給へ」と、ねんごろに言ひければ、「げに、前にゆゆしきさまにて死なんを見んよりは」とて取らせつ。 | ||
+ | |||
+ | かくて、東人(あづまびと)、この女のもとに行きて見れば、形・姿をかしげなり。愛敬(あひぎやう)めでたし。もの思ひたる姿にて、寄り臥して手習ひをするに、涙の袖の上にかかりて濡れたり。かかるほどに、人の気配のすれば、髪を顔に振りかくるを見れば、髪も濡れ、顔も涙に洗はれて、思ひ入りたるさまなるに、人の来たれば、いとどつつましげに思ひたる気配して、少しそば向きたる姿、まことにらうたげなり。およそ、気高く品々しう、をかしげなること、田舎人の子と言ふべからず。 | ||
+ | |||
+ | 東人、これを見るに、かなしきこと、いはんかたなし。されば、「いかにも、いかにも、わが身なくは、ならばなれ。ただ、これに代りなん」と思ひて、この女の父母に言ふやう、「思ひかまふることこそ侍れ。もし、この君の御ことによりて亡びなどし給はば、苦しとや思さるべき」と問へば、「子のために、みづからはいたづらにもならばなれ、さらに苦しからず。生きても何にかはし侍らんずる。ただ、思(おぼ)されんままに、いかにもいかにもし給へ」といらふれば、「さらば、この御祭の御浄めするなり」とて、四目(しめ)引きめぐらして、「いかにもいかにも人な寄せ給ひそ。また、『これにみづから侍る』と、な人にゆめゆめ知らせ給ひそ」と言ふ。さて、日ごろこもり居て、この女房と思ひ住むこといみじ。 | ||
+ | |||
+ | かかるほどに、年ごろ山に使ひ馴らはしたる犬の、いみじき中に賢きを、二つ選(え)りて、それに生きたる猿丸を捕へて、明け暮れは、やくやくと食ひ殺させて習はす。さらぬだに、猿と犬とは敵(かたき)なるに、いとかうのみ習はせば、猿を見ては踊りかかりて、食ひ殺すことかぎりなし。 | ||
+ | |||
+ | さて、明け暮れは、いらなき太刀を磨き、刀を研ぎ、剣をまうけつつ、ただこの女(め)の君とことぐさにするやう、「あはれ、先の世にいかなる契をして、御命に代はりて、いたづらになり侍りなんとすらん。されど、御代りと思へば、命はさらに惜しからず。ただ、別れ聞こえなんずと思ひ給ふるが、いと心細く、あはれなる」などいへば、女も、「まことに、いかなる人の、かくおはして思ひものし給ふにか」と、言ひ続けられて、かなしうあはれなることいみじ。 | ||
+ | |||
+ | さて、過ぎ行くほどに、その祭の日になりて、宮司(みやづかさ)より始め、よろづの人々、こぞり集りて、迎へにののしり来て、新しき長櫃(ながびつ)を、この女の居たる所にさし入れて言ふやう、「例のやうに、これに入れて、その生贄出だされよ」と言へば、この東人、「ただ、こののたびのことは、みづからの申さんままにし給へ」とて、この櫃にみそかに入り臥して、左右のそばに、この犬どもを取り入れて言ふやう、「おのれら、この日ごろ、いたはり飼ひつるかひありて、このたびのわが命に代はれ。おのれらよ」と言ひて、かき撫づれば、うちうめきて、脇にかひ添ひて、みな伏しぬ。 | ||
+ | |||
+ | また、日ごろ研ぎ磨きつる太刀・刀、みな取り入れつ。さて、櫃の蓋を覆ひて、布して結ひて、封付けて、わが女を入れたるやうに思はせて、さし出だしたれば、桙(ほこ)・榊(さかき)・鈴・鏡をふり合はせて、先追ひののしりて、持(も)て参るさま、いといみじ。 | ||
+ | |||
+ | さて、女、これを聞くに、「われに代はりて、この男の隠して居ぬるこそ、いとあはれなれと思ふに、また、無為に事出(ことい)で来(こ)ば、わが親たちいかにおはせん」と、かたがたに歎き居たり。されども、父母の言ふやうは、「身のためにこそ、神も仏も恐しけれ。死ぬる君のことなれば、今は恐しきこともなし。同じことを、かくてをなくなりなん。今は亡びんも苦しからず」と言ひ居たり。 | ||
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+ | かくて、生贄を御社に持て参り、神主、祝詞(のと)いみじく申して、神の御前の戸を開けて、この長櫃をさし入れて、戸をもとのやうにさして、それより外の方に、宮司(みやづかさ)をはじめて、次々の司ども、次第にみな並び居たり。 | ||
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+ | さるほどに、この櫃を、刀の先してみそかに穴を開けて、東人見ければ、まことにえもいはず大きなる猿の、たけ七・八尺ばかりなる、顔と尻とは赤くして、むしり綿を着たるやうに、いらなく白きが、毛は生ひ上がりたるさまにて、横座に寄り居たり。 | ||
+ | |||
+ | つぎつぎの猿ども、左右に二百ばかり並み居て、さまざまに顔を赤くなし、眉を上げ、声々(こゑごゑ)に鳴き叫びののしる。いと大きなるまな板に、長やかなる包丁刀(はうちやうがたな)を具して置きたり。めぐりには、酢、酒、塩入りたる瓶どもなめりと見ゆる、あまた置きたり。 | ||
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+ | さて、しばしばかりあるほどに、この横座に居たるおけ猿、寄り来て、長櫃の結ひ緒(を)を解きて、蓋を開けんとすれば、次々の猿ども、みな寄らんとするほどに、この男、「犬ども、喰らへ。おのれ」と言へば、二つの犬踊り出でて、中に大きなる猿を食ひて、うち伏せて、ひきはりて食ひ殺さんとするほどに、この男、髪を乱りて、櫃より踊り出でて、氷のやうなる刀を抜きて、その猿をまな板の上に引き伏せて、首に刀を当てて言ふやう、「わおのれが人の命を立ち、その肉(ししむら)を食ひなどするものは、かくぞある。おのれら、承はれ。確かに、しや首切りて、犬に飼ひてん」と言へば、顔を赤くなして、目をしばたたきて、歯を真白(ましろ)に食ひ出だして、目より血の涙を流して、まことにあさましき顔つきして、手をすり、悲しめども、さらに許さずして、「おのれが、そこばくの多くの年ごろ、人の子どもを食ひ、人の種を断つ代りに、しや頭切り捨てんこと、ただ今にこそあめれ。おのれが身、さらば、われを殺せ。さらに苦しからず」と言ひながら、さすがに首をばとみに切りやらず。 | ||
- | それにある人の女、いけにゑにさしあてられにけり。おやどもなきかなしむ事かぎりなし。人のおや子となる事は、さきの世の契なりければ、あやしきをだにもおろかにやは思ふ。ましてよろづにめでたければ、身にもまさりておろかならず思へども、さりとてのがるべからねば、なげきながら月日を過す程に、やうやう命つづまるを、おや子と逢みん事、いまいくばくならずと思ふにつけて、日をかぞへて、明暮ただねをのみなく。 | + | さるほどに、この二つの犬どもに追はれて、多くの猿ども、みな木の上に逃げ登り、まどひ騒ぎ叫びののしるに、山も響きて地も返りぬべし。 |
- | かかる程に、あづまの人の狩といふことのみやくとして、猪のししといふ物の、腹立しかりたるはいとおそろしき物なり、それをだに何とも思たらず、心にまかせてころしとりくふ事を役とするものの、いみじう身の力つよく、心たけう、むくつけきあら武者の、をのづからいできて、そのわたりにうちめぐる程に、この女の父母のもとにきにけり。 | + | かかるほどに、一人の神主に、神憑きて言ふやう、「今日より後、さらにさらにこの生贄をせじ。長く止(とど)めてん。人を殺すこと、懲りとも懲りぬ。命を断つこと、今より長くし侍らじ。また、われをかくしつとて、この男とかくし、また、今日の生贄に当たりつる人のゆかりを、れうじわづらはすべからず。あやまりて、その人の子孫の末々(すゑずゑ)に至るまで、われ、守りとならん。ただ、とくとく、このたびのわが命を乞ひ受けよ。いとかなし。われを助けよ」とのたまへば、宮司・神主より始めて、多くの人ども、驚きをなして、みな社の内に入り立ちて、騒ぎ慌てて、手をすりて、「ことわり、おのづからさぞ侍る。ただ御神に許し給へ。御神も、よくぞ仰せらるる」と言へるも、この東人、「さなすかされそ。人の命を断ち、殺すものなれば、きやつに、もののわびしさ知らせんと思ふなり。わが身こそあなれ、ただ殺されん、苦しからず」と言ひて、さらに許さず。 |
- | 物がたりするつゐでに、女の父のいふやう「をのれがむすめのただ独侍をなん、かうかうのいけにゑにさしあてられ侍れば、思くらしなげきあかしてなん、月日をすぐし侍る。世にはかかる事も侍けり。さきの世にいかなる罪をつくりて、この国にむまれて、かかる目をみ侍るらん。かの女ごも、『心にもあらず、あさましき死をし侍りなんずるかな』と申。いとあはれにかなしう侍なり。さるは、をのれが女とも申さじ、いみじううつくしげに侍なり」といへば、あづまの人、「さて、その人は、今は死給ひなんずる人にこそはおはすなれ。人は命にまさる事なし。身のためにこそ、神もおそろしけれ。このたびのいけにゑを出さずして、その女君をみづからにあづけたぶべし。死給はんもおなじことにこそおはすれ。いかでかただひとりもちたてまつらり給へらん。御女を目のまへにいきながらなますにつくり、切ひろげさせては見給はん。ゆゆしかるべき事也。さるめみたまはんもおなじ事也。ただ、その君を我にあづけ給へ」とねん比にいひければ、「げに、まへにゆゆしきさまにてしなんをみんよりは」とてとらせつ。 | + | かかるほどに、「この猿の首は切り離されぬ」と見ゆれば、宮司も手まどひして、まことにすべきかたなければ、いみじき誓言(ちかごと)どもを立てて、祈り申して、「今より後はかかること、さらにさらにすべからず」など、神も言へば、「さらば、よしよし。今より後はかかる事なせそ」と言ひ含めて許しつ。さて、それより後は、すべて生贄にせずなりにけり。 |
- | かくて、あづま人、この女のもとに行てみれば、かたちすがたおかしげなり。あひぎやうめでたし。物思たる姿にて、よりふして手習をするに、涙の袖のうへにかかりてぬれたり。かかる程に、人のけはひのすれば、髪をかほにふりかくるをみれば、髪もぬれ、かほも涙にあらはれて、思いりたるさまなるに、人のきたればいとどつつましげに思たるけはひして、すこしそばむきたる姿、まことにらうたげなり。凡、けだかく、しなじなしうおかしげなる事、ゐ中人の子といふべからず。 | + | さて、その男、家に帰りて、いみじう男女あひ思ひて、年ごろの妻夫(めをと)になりて過ぐしけり。男はもとよりゆゑありける人の末なりければ、口惜しからぬさまにて侍りけり。 |
- | あづま人、これをみるに、かなしき事いはんかたなし。「されば、いかにもいかにも、我身なくはならばなれ。ただ、これにかはりなん」と思て、此女の父母にいふやう、「思かまふる事こそ侍れ。もし、此君の御事によりてほろびなどし給はば、くるしとやはおぼさるべき」と問へば、「このためにみづからはいたづらにもならばなれ。更にくるしからず。いきてもなににかはし侍らんずる。ただ、おぼされんままに、いかにもいかにもし給へ」といらふれば、「さらば、此御祭の御きよめするなり」とて、四目引めぐらして、「いかにもいかにも人なよせ給そ。また、『これにみづから侍る』と、な人にゆめゆめしらせ給そ」といふ。さて、日比こもりゐて、此女房とおもひすむ事いみじ。 | + | その後は、かの国に、猪・鹿をなん生贄にし侍りけるとぞ。 |
- | かかる程に、としごろ山につかひならしたる犬の、いみじきなかにかしこきを、ふたつえりて、それにいきたる猿丸をとらへて明くれば、やくやくと食ころさせてならはす。さらぬだに、猿と犬とはかたきなるに、いとかうのみならはせば、猿をみてはおどりかかりてくひころす事かぎりなし。 | + | ===== 翻刻 ===== |
- | さて明暮は、いらなき太刀をみがき、刀をとぎ、釼をまうけつつ、ただこのめの君とことぐさにするやう、「あはれ、先の世にいかなる契をして、御命にかはりて、いたづらになり侍りなんとすらん。されど、御かはりと思へば、命は更におしからず。ただ、別きこえなんずとおもひ給ふるが、いと心ぼそくあはれなる」などいへば、女も、「まことにいかなる人のかくおはして思ものし給にか」といひつづけられて、かなしうあはれなる事いみじ。 | + | 今は昔山陽道美作国に中さんかうやと申神おはします |
+ | かうやはくちなわ中さむは猿丸にてなんおはするその神年ことの | ||
+ | 祭にかならすいけにゑをたてまつる人のむすめのかたちよくかみ | ||
+ | | ||
+ | | ||
+ | おこたり侍らすそれにある人の女いけにゑにさしあてられにけり/下25オy303 | ||
- | さて過行程に、その祭の日になりて、宮つかさよりはじめ、よろづの人々こぞりあつまりて、迎にののしりきてあたらしき長櫃をこの女のゐたる所にさし入ていふやう、「例のやうにこれに入て、その生贄いだされよ」といへば、このあづま人、「ただ此のたびの事はみづからの申さんままにし給へ」とて、此櫃にみそかに入ふして、左右のそばにこの犬どもをとりいれていふやう「をのれら、この日比いたはりかひつるかひありて、此たびのわが命にかはれ。をのれらよ」といひて、かきなづれば、うちうめきて、脇にかひそひてみなふしぬ。又、日比とぎみがきつる太刀、刀みなとりいれつ。さて、櫃のふたをおほひて、布して、ゆひて、封つけてわがむすめを入たるやうに思はせて、さし出したれば、桙、榊、鈴、鏡をふりあはせて、さきをひののしりて、もてまいるさまいといみじ。 | + | おやともなきかなしむ事かきりなし人のおや子となる事は |
+ | | ||
+ | ましてよろつにめてたけれは身にもまさりておろかならす思へ | ||
+ | ともさりとてのかるへからねはなけきなから月日を過す程にやうやう | ||
+ | 命つつまるをおや子と逢みん事いまいくはくならすと思ふ | ||
+ | | ||
+ | の人の狩といふことのみやくとして猪のししといふ物の腹立 | ||
+ | しかりたるはいとおそろしき物なりそれをたに何とも思たらす心に | ||
+ | まかせてころしとりくふ事を役とするもののいみしう身の力 | ||
+ | つよく心たけうむくつけきあら武者のをのつからいてきてその | ||
+ | わたりにうちめくる程にこの女の父母のもとにきにけり物かたり | ||
+ | するつゐてに女の父のいふやうをのれかむすめのたた独侍をなん | ||
+ | かうかうのいけにゑにさしあてられ侍れは思くらしなけきあかして/下25ウy304 | ||
- | さて、女是をきくに「我にかはりてこの男のかくしていぬるこそ、いとあはれなれとおもふに、又、無為にこといでこば、わがおやたちいかにおはせん」と、かたがたになげきゐたり。されども、父母のいふやうは、「身のためにこそ神も仏もおそろしけれ。しぬる君の事なれば、今はおそろしき事もなし。おなじことを。かくてをなくなりなん。今はほろびんもくるしからず」といひゐたり。 | + | なん月日をすくし侍る世にはかかる事も侍けりさきの世に |
+ | いかなる罪をつくりてこの国にむまれてかかる目をみ侍るらん | ||
+ | かの女こも心にもあらすあさましき死をし侍りなんするか | ||
+ | なと申いとあはれにかなしう侍なりさるはをのれか女とも申さし | ||
+ | いみしううつくしけに侍なりといへはあつまの人さてその人は今は | ||
+ | 死給ひなんする人にこそはおはすなれ人は命にまさる事なし | ||
+ | | ||
+ | | ||
+ | にこそおはすれいかてかたたひとりもちたてまつり給へらん御女 | ||
+ | | ||
+ | 給はんゆゆしかるへき事也さるめみたまはんもおなし事也たたその | ||
+ | 君を我にあつけ給へとねん比にいひけれはけにまへにゆゆしき | ||
+ | さまにてしなんをみんよりはとてとらせつかくてあつま人この/下26オy305 | ||
- | かくて、いけにゑを御社にもてまいり、神主のといみじく申て、神の御まへの戸をあけて、この長櫃をさし入て、戸をもとのやうにさして、それより外のかたに、宮つかさをはじめて、次々の司ども、次第にみなならびゐたり。 | + | 女のもとに行てみれはかたちすかたおかしけなりあひきやうめ |
+ | てたし物思たる姿にてよりふして手習をするに涙の袖のうへ | ||
+ | にかかりてぬれたりかかる程に人のけはひのすれは髪をかほに | ||
+ | ふりかくるをみれは髪もぬれかほも涙にあらはれて思いりたるさ | ||
+ | | ||
+ | そはむきたる姿まことにらうたけなり凡けたかくしなしなしう | ||
+ | おかしけなる事ゐ中人の子といふへからすあつま人これをみるに | ||
+ | かなしき事いはんかたなしされはいかにもいかにも我身なくはならは | ||
+ | なれたたこれにかはりなんと思て此女の父母にいふやう思かまふる | ||
+ | 事こそ侍れもし此君の御事によりてほろひなとし給はは | ||
+ | くるしとやおほさるへきと問へはこのためにみつからはいたつらにもならは | ||
+ | | ||
+ | れんままにいかにもいかにもし給へといらふれはさらは此御祭の御きよめ/下26ウy306 | ||
- | さる程に、この櫃を刀のさきしてみそかに穴をあけて、あづま人みければ、まことにえもいはず大きなる猿の、たけ七八尺ばかりなる、かほとしりとはあかくして、むしり綿をきたるやうにいらなくしろきが、毛はおひあがりたるさまにて、よこ座により居たり。 | + | するなりとて四目引めくらしていかにもいかにも人なよせ給そまた |
+ | | ||
+ | | ||
+ | につかひならはしたる犬のいみしきなかにかしこきをふたつえり | ||
+ | てそれにいきたる猿丸をとらへて明くれはやくやくと食ころさせ | ||
+ | てならはすさらぬたに猿と犬とはかたきなるにいとかうのみなら | ||
+ | はせは猿をみてはおとりかかりてくひころす事かきりなしさて明暮 | ||
+ | はいらなき太刀をみかき刀をとき釼をまうけつつたたこのめの | ||
+ | 君とことくさにするやうあはれ先の世にいかなる契をして御命にか | ||
+ | はりていたつらになり侍りなんとすらんされと御かはりと思へは命 | ||
+ | は更におしからすたた別きこえなんすとおもひ給ふるかいと心ほ | ||
+ | そくあはれなるなといへは女もまことにいかなる人のかくおはし | ||
+ | | ||
- | つぎつぎの猿ども、左右に二百斗なみゐて、さまざまにかほをあかくなし、眉をあげ、こゑごゑになきさけびののしる。いと大なるまないたに、ながやかなる包丁刀をぐして置たり。めぐりには、す、酒、しほ入たる瓶どもなめりとみゆる、あまた置たり。 | + | 事いみしさて過行程にその祭の日になりて宮つかさ |
+ | よりはしめよろつの人々こそりあつまりて迎にののしりきて | ||
+ | | ||
+ | 例のやうにこれに入てその生贄いたされよといへはこのあつま | ||
+ | 人たた此のたひの事はみつからの申さんままにし給へとて此櫃に | ||
+ | みそかに入ふして左右のそはにこの犬ともをとりいれていふやう | ||
+ | をのれらこの日比いたはりかひつるかひありて此たひのわか | ||
+ | 命にかはれをのれらよといひてかきなつれはうちうめきて脇に | ||
+ | | ||
+ | いれつさて櫃のふたをおほひて布してゆひて封つけて | ||
+ | わかむすめを入たるやうに思はせてさし出したれは桙榊鈴鏡 | ||
+ | をふりあはせてさきをひののしりてもてまいるさまいといみし | ||
+ | さて女是をきくに我にかはりてこの男のかくしていぬるこそいと/下27ウy308 | ||
- | さて、しばしばかりあるほどに、この横座に居たるをけ猿、よりきて長櫃のゆひををときて、ふたをあけんとすれば、次々のさるども、みなよらんとする程に、此男、「犬どもくらへ。をのれ」といへば、二の犬おどりいでて、なかに大なる猿をくひてうちふせて、ひきはりて食ころさんとする程に、此男、髪をみだりて櫃よりおどりいでて、氷のやうなる刀をぬきて、そのさるをまな板の上にひきふせて、くびにかたなをあてていふやう、「わおのれが人の命をたち、そのししむらを食などする物は、かくぞある。をのれらうけ給はれ。たしかにしやくび切て犬にかひてん」といへば、かほをあかくなして、目をしばたたきて、歯をましろにくひ出して、目より血の泪をながして、まことにあさましきかほつきして、手をすり、かなしめども、さらにゆるさずして、「をのれがそこばくのおほくの年比、人の子どもをくひ、人のたねをたつかはりに、しや頭きりてすてん事、ただ今にこそあめれ。をのれが身、さらば、我をころせ。更にくるしからず」といひながら、さすがにくびをばとみにきりやらず。 | + | |
+ | おはせんとかたかたになけきゐたりされとも父母のいふやうは身のため | ||
+ | にこそ神も仏もおそろしけれしぬる君の事なれは今はおそろしき | ||
+ | 事もなしおなしことをかくてをなくなりなん今はほろひんも | ||
+ | | ||
+ | 神主のといみしく申て神の御まへの戸をあけてこの長櫃を | ||
+ | さし入て戸をもとのやうにさしてそれより外のかたに宮つか | ||
+ | さをはしめて次々の司とも次第にみなならひゐたりさる程に | ||
+ | この櫃を刀のさきしてみそかに穴をあけてあつま人みけれは | ||
+ | まことにえもいはす大きなる猿のたけ七八尺はかりなるかほとしり | ||
+ | とはあかくしてむしり綿をきたるやうにいらなくしろきか毛は | ||
+ | おひあかりたるさまにてよこ座により居たりつきつきの猿とも | ||
+ | 左右に二百斗なみゐてさまさまにかほをあかくなし眉を/下28オy309 | ||
- | さる程に、この二の犬どもにおはれて、おほくの猿ども、みな木のうへに逃のぼり、まどひさはぎさけびののしるに、山もひびきて地もかへりぬべし。 | + | あけこゑこゑになきさけひののしるいと大なるまないたになかやか |
+ | なる包丁刀をくして置たりめくりにはす酒しほ入たる瓶とも | ||
+ | なめりとみゆるあまた置たりさてしはしはかりあるほとにこの横座 | ||
+ | に居たるをけ猿よりきて長櫃のゆひををときてふたをあけん | ||
+ | とすれは次々のさるともみなよらんとする程に此男犬ともくらへをの | ||
+ | れといへは二の犬おとりいててなかに大なる猿をくひてうちふせて | ||
+ | ひきはりて食ころさんとする程に此男髪をみたりて櫃より | ||
+ | おとりいてて氷のやうなる刀をぬきてそのさるをまな板の上に | ||
+ | | ||
+ | たちそのししむらを食なとする物はかくそあるをのれらうけ給 | ||
+ | はれたしかにしやくひ切て犬にかひてんといへはかほをあかくなして | ||
+ | 目をしはたたきて歯をましろにくひ出して目より血の泪を | ||
+ | なかしてまことにあさましきかほつきして手をすりかなし/下28ウy310 | ||
- | かかる程に、一人の神主に神つきていふやう、「かふより後、さらにさらにこの生贄をせじ。ながくとどめてん。人をころす事、こりともこりぬ。命をたつこと、今よりながくし侍らじ。又、我をかくしつとて、この男、とかくし、又、けふの生贄にあたりつる人のゆかりを、れうじわづらはすべからず。あやまりて、その人の子孫のすゑずゑにいたるまで、我まもりとならん。ただ、とくとく此たびのわが命をこひうけよ。いとかなし。我をたすけよ」とのたまへば、宮司、神主より初て、おほくの人ども、おどろきをなして、みな社の内に入たちてさはぎあはてて、手をすりて、「ことはりおのづからさぞ侍る。ただ御神にゆるし給へ。御神もよくぞ仰らるる」といへるも、このあづま人、「さなすかされそ。人の命をたち、ころす物なれば、きやつにもののわびしさしらせんとおもふなり。我身こそあなれ、ただころされん、くるしからず」といひて、更にゆるさず。 | + | めともさらにゆるさすしてをのれかそこはくのおほくの年比人の |
+ | 子ともをくひ人のたねをたつかはりにしや頭きりてすてん事 | ||
+ | たた今にこそあめれをのれか身さらは我をころせ更にくるし | ||
+ | からすといひなからさすかにくひをはとみにきりやらすさる程に | ||
+ | この二の犬ともにおはれておほくの猿ともみな木のうへに逃の | ||
+ | ほりまとひさはきさけひののしるに山もひひきて地もかへり | ||
+ | ぬへしかかる程に一人の神主に神つきていふやうけふより後さらにさらに | ||
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- | かかる程に、此猿のくびはきりはなされぬと見ゆれば、宮つかさも手まどひして、まことにすべきかたなければ、いみじきちかごとどもをたてて、祈申て、「今より後はかかる事、更に更にすべからず」など神もいへば、「さらばよしよし。今より後はかかる事なせそ」といひふくめてゆるしつ。さて、それよりのちは、すべて人をいけにゑにせずなりにけり。 | + | おほくの人ともおとろきをなしてみな社の内に入たちてさはき |
+ | あはてて手をすりてことはりおのつからさそ侍るたた御神に | ||
+ | ゆるし給へ御神もよくそ仰らるるといへるもこのあつま人さな | ||
+ | すかされそ人の命をたちころす物なれはきやつにもののわひしさ | ||
+ | しらせんとおもふなり我身こそあなれたたころされんくるしからす | ||
+ | といひて更にゆるさすかかる程に此猿のくひはきりはなされぬと見 | ||
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+ | しきちかことともをたてて祈申て今より後はかかる事更に更に | ||
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+ | 思て年比の妻夫に成てすくしけり男はもとよりゆへありける人の | ||
+ | すゑなりけれはくちおしからぬさまにて侍りけりその後はかの/下29ウy312 | ||
- | さて、その男、家に帰ていみじう男女あひ思て、年比の妻夫に成てすぐしけり。男はもとよりゆへありける人のすゑなりければ、くちおしからぬさまにて侍りけり。 | + | 国に猪鹿をなん生贄にし侍りけるとそ/下30オy313 |
- | その後は、かの国に猪、鹿をなん生贄にし侍りけるとぞ。 |
text/yomeiuji/uji119.txt · 最終更新: 2019/03/15 02:56 by Satoshi Nakagawa