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text:yomeiuji:uji110 [2014/10/07 19:14] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji110 [2015/05/24 17:39] – [第110話(巻9・第5話)つねまさが郎等、仏供養の事] Satoshi Nakagawa
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 「こなたへまいれ」といへば、庭中にまいりてゐたるに、つねまさ、「かのまうとは、なに仏を供養したてまつらんずるぞ」といへば、「いかでかしりたてまつらんずる」といふ。「とは、いかに。たがしるべきぞ。もしこと人のくやうしたてまつるを、ただ供養の事のかぎりをするか」ととへば、「さも候はず。まさゆきまろがくやうし奉るなり」といふ。「さては、いかでかなに仏とはしりたてまつらぬぞ」といへば「仏師こそは、しりて候らめ」といふ。あやしけれど、「げにさもあるらん。此男仏の御名をわすれたるならん」とおもひて、「その仏師はいづくにかある」ととへば「ゑいめいぢにさぶらふ」といへば、「さては近かんなり。よべ」といへば、この男、帰いりてよびてきたり。 「こなたへまいれ」といへば、庭中にまいりてゐたるに、つねまさ、「かのまうとは、なに仏を供養したてまつらんずるぞ」といへば、「いかでかしりたてまつらんずる」といふ。「とは、いかに。たがしるべきぞ。もしこと人のくやうしたてまつるを、ただ供養の事のかぎりをするか」ととへば、「さも候はず。まさゆきまろがくやうし奉るなり」といふ。「さては、いかでかなに仏とはしりたてまつらぬぞ」といへば「仏師こそは、しりて候らめ」といふ。あやしけれど、「げにさもあるらん。此男仏の御名をわすれたるならん」とおもひて、「その仏師はいづくにかある」ととへば「ゑいめいぢにさぶらふ」といへば、「さては近かんなり。よべ」といへば、この男、帰いりてよびてきたり。
  
-ひらづらなる法師のふとりたるが、六十ばかりなるにてあり。「物に心えたる覧かし」とみえず。いできて、まさゆきにならびてゐたるに、「此僧は仏師か」ととへば、「さに候」と云。「まさゆきが仏や作たる」ととへば、「五頭作たてまつるれり」といふ。「さて、それはなに仏を作奉りたるぞ」ととへば、「えしり候はず」とこたふ。「とはいかに。まさゆきしらずと云。仏師しらずば、たがしらんぞ」といへば、仏師は、「いかでかしり候はん。仏師のしるやうは候はず」といへば、「さは、たがしるべきぞ」といへば、「講師の御房こそしらせ給はめ」といふ。+ひらづらなる法師のふとりたるが、六十ばかりなるにてあり。「物に心えたる覧かし」とみえず。いできて、まさゆきにならびてゐたるに、「此僧は仏師か」ととへば、「さに候」と云。「まさゆきが仏や作たる」ととへば、「作りたてまつりたり」といふ。「いくかしら造たてまつりたるぞ」ととへば、「五頭作たてまつるれり」といふ。「さて、それはなに仏を作奉りたるぞ」ととへば、「えしり候はず」とこたふ。「とはいかに。まさゆきしらずと云。仏師しらずば、たがしらんぞ」といへば、仏師は、「いかでかしり候はん。仏師のしるやうは候はず」といへば、「さは、たがしるべきぞ」といへば、「講師の御房こそしらせ給はめ」といふ。
  
 「こはいかに」とて、あつまりてわらひののしれば、仏師ははら立て、「物のやうだいもしらせ給はざりけり」とてたちぬ。「こはいかなる事ぞ」とてたづぬれば、はやう、「ただ、仏、つくりてたてまつれ」といへば、ただ、まろがしらにて、斎の神の冠もなきやうなる物を、五かしらきざみたてて、供養したてまつらん。講師して、その仏、かの仏と、名を付たてまつる也けり。それをとひききて、おかしかりし中にも、おなじ功徳にもなればとききし。 「こはいかに」とて、あつまりてわらひののしれば、仏師ははら立て、「物のやうだいもしらせ給はざりけり」とてたちぬ。「こはいかなる事ぞ」とてたづぬれば、はやう、「ただ、仏、つくりてたてまつれ」といへば、ただ、まろがしらにて、斎の神の冠もなきやうなる物を、五かしらきざみたてて、供養したてまつらん。講師して、その仏、かの仏と、名を付たてまつる也けり。それをとひききて、おかしかりし中にも、おなじ功徳にもなればとききし。
  
 あやしのものどもは、かく希有の事どもをし侍りけるなり。 あやしのものどもは、かく希有の事どもをし侍りけるなり。
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text/yomeiuji/uji110.txt · 最終更新: 2019/01/17 22:08 by Satoshi Nakagawa