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text:yomeiuji:uji108 [2015/05/09 16:45] – [第108話(巻9・第3話)越前敦賀女、観音助給ふ事] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji108 [2018/12/26 14:33] Satoshi Nakagawa
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 **越前敦賀女、観音助給ふ事** **越前敦賀女、観音助給ふ事**
  
-越前国につるがといふ所に、住ける人ありけり。とかくして身一つばかり、わびしからですぐしけり。女ひとりより外に、又子もなかりければ、このむすめをぞ、又なき物にかなしくしける。此女を、「わがあらんおり、たのもしくみをかむ」とておとこあはせけれど、男もたまらざりければ、これやこれやと、四五人まではあはせけれども、猶たまらざりければ、思わびてのちはあはせざりけり。+===== 校訂本文 =====
  
-居た家のうしろ堂をたてて、「此女たす給へ」とて観音をすへたてまつりけ供養し奉りなどして、いくくもへぬ程に父うせにけり。それだに思ひ嘆に、引つづくやうに母失にければ、なきかなしども、いふかひもな+越前国に敦賀(つが)といふ所住みる人ありけとかくして、身一つかりわびしからで過ぐしけり。女(むすめ)一人よりほかに、また子なかりければ、この女をぞ、またなきものにかなしくしける。この女を、「わがあらん折、頼もしく見置かむ」とて、男(おとこ)合はせけれ、男たまらざりければこれやこれやと、四・五人までは合はせけれどほたまらざりければ、思ひわびて後は合はせざりけり
  
-所などもなくて、かまへて過しれば、やもめな女ひとあらんには、いしてかはかばかしき事あらんおやの物の少ありる程は、つかはるる物四五人あどもうせはててければ、はるる物、独もなかりけり+居た家の後ろに堂を建てて、「この女、助け給」と、観音据ゑ奉りける。供養し奉などして、いくばくも経ぬほどに、父、失せにけり。そだに思ひ歎くに引き続くやに母も失ければ、泣き悲しめども、いふもな
  
-物くふ事かたくなりなどて、をのづからいでたおりは、手づからとふばにして、くひては、「我おやかひありてたす給へ」と観音に向奉て、なくなく申ゐた程に夢にみやう、このうしろの堂よ老たる僧の来て、「いみじういとをしけれ男あはんと思ひ、よびにやたれば、あすぞここにきつかんずる。それがいんにしたがひてあべき也」との給とみてさめぬ。「此仏の助給べき」と思ひて、水うちあみて参て、なくなく申て、夢を頼てその人を待とてうちはきなどしてゐたり。+知る所などもなくて、かまへて世過ぐしければ、やもめ女一人あらんには、いかにしてかばかしきことあらん物の少しありけるほどは使はる者四・五人ありけれども物失てければ、使はるる者一人もり。
  
-家は大に作たりければ、親うせは、すみつきるべかしき事なけれど、屋ばかりは大きなりければ、かたすみにりける。しべき筵だにかりけり。+もの食ふこと難(か)くななどして、おのづから求め出でたる折は、手づからといふかりにして食ひては、「わが親の思ひしかひりて、助け給へ」と、観音に向ひ奉りて、泣く泣く申居たるほ夢に見るやう、この後ろの堂よ、老いたる僧の来て、「いみじういとほしければ、男合はせんと思ひ、呼びにやれば、明日ぞここに来着かんずる。それが言はんにたがひてあるべきなり」とのたまふと見て覚めぬ
  
-かかるほどに、そ夕がたになりて、馬の足をとどもして、あまた入るに、そきなどするをみれば、旅人のやどかるなりけり。「すみやか居よ」といへば、みな入て、「ここよりけり。家広。『いかにぞや』など、物いふべあるじもくて我ままもやど」などいひあひけり。+「こ助け給ふべき」と思ひて、水うち浴みて参りて、泣く申して夢を頼みて、その人を待つとて、うち掃きなどして居たり。家は大き作りたりければ、親失せて後は、住あるべかしきことけれど、屋ばかりは大きなりければ片隅て居た。敷くべき筵(むしろ)だにかりけり。
  
-ぞきみれば、あるじは卅ばかおとこのときよげなる也。郎等二三十ばかり。などとりぐして、七八十人斗あらむとぞゆる。ただゐゐるに「筵畳をとらせばや」とども「はづかし」と思ゐたるに皮子筵をひて皮にさねてきて、幕引まはしてゐぬそそめく程日もくれぬれ物くふとみえねば「物のなやあらん」とぞみゆる。+かかるほどに、そ日の夕方になりて、馬の足音どもして、あまた入に、人のぞきなどすを見れば、旅の宿借るなり。すみやか居よ」とみな入り来て、「ここ、りけり。家広し。『いかぞや』など、もの言ふべき主(あるじ)もくて、わがままも宿りゐかな」など言ひ合ひけり
  
-「物あらばとらせてまし」と思ひゐた程に夜うちふけて、この旅のけはひて、此おはします人、よらせ給へ。物申さん」と、「何事に侍らん」とていざりよりたるを、のさはりもなければ、ふといりきてひかへつ。「こはいかに」といへどいはすべくもなに、あはせ夢にみし事もありしかば、とかくおもひいふべきにもあらず+のぞきてみれ、主は三十ばかりなる男の、い清げななり。郎等二・三十人ばかりあり。下種(げす)などとり具して、七・八十ばかりあらむとぞ見ゆる。ただ居に居るに「筵・畳を取らせばや」とども、「恥づ」と思ひたるに、皮子筵乞ひて重ねて敷きて、幕引回し居ぬ
  
-此男は、美濃国に猛将ありけり。れが独子にて、の親うせよろづ物うけつたへておやもおと有ける妻子をくれて、やもめにてありけるを、「これかれ聟にとらん」「らん」といふものあまりけれども「あし妻子似たらむ人を」と思てにて過しけるが若狭沙汰すべき事あり行なりけり+そそめくほど、日も暮ぬれども食ふとも見えねば「物の無きやあん」とぞ見ゆる。「あらば、取らせまし」と思ひ居たほどに夜うち更けて、この旅人の気配にて、「このおはします人、寄せ給へ。もの申さん」と言へば、何事か侍らん」といざり寄りるを、何のさはもなけれふと入来て、ひかへつ。「こはいかに」と言へど言はすべくなき合はせて、見しこともありしかばとかく思ひ言ふべきにもあらず
  
-ひるやどゐる程にかたすみゐたる所もなにかくれもなかりければ「いかなるもののゐたるぞ」と、のぞきみるにただ「ありありけるか」とおぼえければ、目くれ、心もさはぎて、「いつく暮よか。近からんも心みん」とて入きたる也+この男は美濃国に猛将ありけり、それが一人子親失せにければ、よろづ物うけ伝へて、親にも劣らぬ者にてありけるが、思ひけるにおくれて、やもめにてありけるを、これれ、「聟にとらん」、「妻にならん」と言ふ者あまたありけれも、「あり妻に似たらむ人を」思ひて、やもめにて過ぐしけるが、若狭に沙汰すべあり行くなりけり
  
-うちひたるよりはじめ、たがふ所なかりければ「あさましく、かかりけるもありけり」とて、「若狭へとおもたざらましかば、この人をましやは」とうれしきにぞありける。+昼、宿り居るほどに、片隅に居たる所も、何の隠れもなかりければ、「いかなる者の居たるぞ」とのぞきて見るに、ただ、「ありし妻のありけるか」と思えければ、目も暗れ心も騒ぎて、「いつしか、とく暮れよかし。近からん気色(けしき)も心みん」とて、入り来たるなり。ものうちひたるよりめ、つゆ違(たが)ふ所なかりければ「あさましく、かかりけることもありけり」とて、「若狭へとたざらましかば、この人をましやは」と、嬉しきにぞありける。
  
-若狭にも十日あるべかりけれども、この人のうしろめたさに、「けば行て、の日帰べきぞ」と返々契置て、さむげなりければ衣もき、郎等四五人ばかり、それが従者などとりして、廿の人のあるに、物くはすべきやうもなく、馬に草はすべきやうもなかりければ、「いかにせまし」と思なげきけるに、おやのみづしつかひける女の、むすめのありとばかりはきけれども、きかよふもなくて、よきおとこしてことかなひてありとはききわたりけるが、おもひもかけぬにたりけるが、誰にかあらんと思て、「いかなる人のたるぞ」とひければ、「あな心うや。御覧じられぬは、身のとがにこそさぶらへ。のれは、故うへのおはしまししおりみづし所つかまつり候しのむすめに候。年、『いかでまいらん』など思て過候を、けふはよろづをてて参候つる。かくたよりなくおはしますとならば、あやしくとも、居て候所にもおはしましかよひて、四五日づつもおはしませかし。心ざしは思たてまつれども、よそながらは明れとぶらひたてまつらんもおろかなるやうにおもはれ奉りぬべければ」など、こまごまとかたらひて、「このさぶらふ人々はいかなる人ぞ」とへば、「ここにやどりたる人の、『若狭へ』とてぬるが、あすここへ帰かんずれば、そのとて、ある物どもをとどめ置てぬるに、これにもくうべき物はせざりけり。ここにもはすべき物もなきに、日はたかくなれば『いとし』と思へども、すべきやうもなくてたるなり」とへば、「あつかたてまつるべき人にやおはしますらん」とへば、「わざとさは思はねど、ここにやどりたらん人の、物くはでたらんを見ぐさんもうたてあるべう。おもはなつべきやうもなき人にてあるなり」とへば、「さてはいとやすきなり。けふしも、かしこくまいり候にけり。さらばまかりて、さるべきさまにてまいらむ」とて、ちてぬ。+若狭にも十日ばかりあるべかりけれども、この人のうしろめたさに、「けば行て、またの日べきぞ」と、かへすがへすて、げなりければ衣もき、郎等四五人ばかり、それが従者などとりして、二十ばかりの人のあるに、もの食はすべきやうもなく、馬に草はすべきやうもなかりければ、「いかにせまし」と思ひ歎きけるほどに、御厨子所(みづしどころ)使ひける女の、「娘のありとばかりはきけれども、来()かよふこともなくて、よきしてことかなひてありばかりりけるが、ひもかけぬにたりけるが、誰にかあらんと思て、「いかなる人のたるぞ」とひければ、「あな心憂(こころ)や。御覧じられぬは、わが身の過(とが)にこそへ。のれは、故のおはしましし御厨子所つかまつり候に候。年ごろ、『いかでらん』など思て過を、今日はよろづをてて参つるなり。かくりなくおはしますとならば、あやしくとも、居て候所にもおはしましかよひて、四五日づつもおはしませかし。心ざしは思ひ奉れども、よそながらは明け暮れとぶらひらんことおろかなるやうにはれ奉りぬべければ」など、こまごまとらひて、「このさぶらふ人々はいかなる人ぞ」とへば、「ここに宿りたる人の、『若狭へ』とてぬるが、明日(あす)ここへ帰り着かんずれば、そのほどとて、このある物どもをめ置ぬるに、これにも食ふべき物はせざりけり。ここにもはすべき物もなきに、日はくなれば『いとし』と思へども、すべきやうもなくてたるなり」とへば、「るべき人にやおはしますらん」とへば、「わざとさは思はねど、ここに宿りたらん人の、もの食はでたらんを見ぐさんもうたてあるべう。またつべきやうもなき人にてあるなり」とへば、「さてはいとやすきことなり。今日しも、かしこくり候にけり。さらばまかりて、さるべきさまにてらむ」とて、ちてぬ。
  
-「いとしかりつる事をおもひかけぬ人のて、たのもしげにひてぬるは、とかく、ただ観音のみちびかせ給なめり」と思て、いとど手をすりて、念じたてまつに、、物どもたせてたりければ、ひ物どもなど多かり。馬の草までこしらへ持てたり。いふかぎりなく「うれ、おぼゆ。+「いとしかりつる事を、思ひかけぬ人のて、もしげにひてぬるは、とかく、ただ観音のかせ給なめり」と思て、いとど手をすりて、念じほどに、すなはち、物どもたせてたりければ、ひ物どもなど多かり。馬の草までこしらへ持てたり。いふかぎりなくしとゆ。
  
-この人々、もてきやうようし、物くはせ、酒ませてて入たれば、「こはいかに。我おやき返おはしたるなめり。とにかくにあさましくて、すべきかたなく、いとしかりつる恥をかくし給ふること」とひて、悦きければ、女もうちきてふやう、「年も、『いかでかおはしますらん』と思給へながら、世中ぐしさぶらふ人は、心とたがやうにてぎ候つるを、けふ、かかるおりまいひて、いかでかおろかには思ひまいらせん。若狭へえ給にけん人は、いつか帰き給はんぞ。御人は、いくらばかりか候。」とへば、「いさ、まことにやあらんあすの夕さり、ここにくべかんなる。ともには、このあるどもして、七八十人ばかりぞありし」とへば、「さてはその御まうけこそ、つかまつるべかんなれ」とへば、「これだにおもひがけずうれしきに、さまではいかがあらん」とふ。「いかなるなりとも、今よりはいかでかつかまつらであらんずる」とて、たのもしくきてぬ。この人々の、夕さり、つとめてのひ物まで、さたし置たり。おぼえなくあさましきままには、ただ観音を念じ奉るに、その日もれぬ。+この人々、もて饗応(きやうよう)し、もの食はせ、酒ませててり来たれば、「こはいかに。わが親き返おはしたるなめり。とにかくにあさましくて、すべきなく、いとしかりつる恥をし給ふること」とひて、悦び泣きければ、女もうちきてふやう、「年ごろも、『いかでかおはしますらん』と思給へながら、世ぐしふ人は、心と違(たが)ふやうにてぎ候つるを、今日かかるひて、いかでかおろかには思ひらせん。若狭へえ給にけん人は、いつか帰り着き給はんぞ。御(ともびと)は、いくらばかりか候。」とへば、「いさ、まことにやあらんあすの夕さり、ここに来()べかんなる。には、このあるどもして、七八十人ばかりぞありし」とへば、「さてはその御まうけこそ、つかまつるべかんなれ」とへば、「これだにひがけずしきに、さまではいかがあらん」とふ。「いかなることなりとも、今よりはいかでかつかまつらであらんずる」とて、もしくきてぬ。この人々の、夕さり、つとめてのひ物まで沙汰し置たり。おぼえなくあさましきままには、ただ観音を念じ奉るほどに、その日もれぬ。
  
-の日になりて、このあるものども、「けふは殿おはしまさんずらんかし」とちたるに、さるの時ばかりにぞきたる。「つきたるやをそとこの女、物どもおほたせてて、申ののしれば、物たのもし。男、いつしか入て、おぼつかなかりつるなどしたり。暁はやがてして行べきよしなどふ。+またの日になりて、このあるども、「今日は殿おはしまさんずらんかし」とちたるに、の時ばかりにぞきたる。きたるやきとこの女、物どもたせてて、申ののしれば、もし。この男、いつしか入り来て、おぼつかなかりつることなどしたり。暁はやがてして行べきよしなどふ。
  
-「いかなるべきにか」などおもへども、仏の、「ただ、まかせられてあれ」と夢にえさせ給しをたのみて、ともかくもふにしたがひてあり。この女、暁たんずるまうけなどもしにやりて、いそぎくるめくがいとしければ、「なにがならせん」と思へども、らすべきなし。「のづから入事もやある」とて紅なるすずしのはかまぞ一あるを、「これをらせてん」と思て、は男のぎたるすずしはかまて、女をせて、「とし比は、さる人あらんとだにらざりつるに、思もかけぬおりしもきあひて、恥がましかりぬべかりつるかくしつるの、この世ならずうれしきも、『なににつけてからせん』と思へば、心ざしばかりに、これを」とてらすれば、「あな心や。あやまりて人の見たてまつらせ給に、御さまなども心く侍れば、たてまつらんとこそおもひ給るに、こは、なにしにか給はらん」とてらぬを、「このとし比も、『さそふ水あらば』とおもひわたりつるに、思もかけず『してなん』とこの人のへば、あすらねども、したがひなんずれば、かたみともし給へ」とて猶とらすれば、「御心ざしのは、返々もおろかには思まじけれども、かたみなど仰らるるが、かたじけなければ」とてりなんとするをも、なき所なれば、この男ききふしたり。+「いかなるべきことにか」などへども、仏の、「ただ、せられてあれ」と夢にえさせ給しをみて、ともかくもふにしたがひてあり。この女、暁たんずるまうけなどもしにやりて、ぎくるめくがいとしければ、「がな、取らせん」と思へども、らすべきものなし。「のづからいることもやある」とて(くれなゐ)なる生絹(すずし)ぞ一あるを、「これをらせてん」と思て、われは男のぎたる生絹て、この女をせて、「年ごろは、さる人あらんとだにらざりつるに、思もかけぬしも来合ひて、恥がましかりぬべかりつることしつることの、この世ならずうれしきも、『につけてからせん』と思へば、心ざしばかりに、これを」とて、取らすれば、「あな心や。あやまりて人の見らせ給に、御さまなども心く侍れば、『奉らんとこそひ給るに、こはしにか給はらん」とてらぬを、「この年ごろも、『さそふ水あらば』とひわたりつるに、思もかけず『してなん』とこの人のへば、明日らねども、したがひなんずれば、形見ともし給へ」とて、なほ取らすれば、「御心ざしのほどは、かへすがへすもおろかには思まじけれども、形見など仰らるるが、かたじけなければ」とて、取りなんとするをも、ほどなき所なれば、この男、聞したり。
  
-きぬれば、いそぎ立て、この女のしきたる物くひなどして、馬にくらをき、引だしてせんとするほどに、「人の命らねば、おがたてまつらぬやうもぞある」とて、旅装束しながら手あらひて、うしろのだうまいりて、「観音をおがたてまつらん」とてみたてまつるに、観音の御かたあかき物かかりたり。「あやし」と思てれば、この女にらせし袴けり。「こはいかに。この女と思つるは、さは、観音のせさせ給なりけり」とおもふに、の雨しづくとりて、しのぶとすれど、しまろびけしきを、男き付て、「あやし」と、おもひて走て、「なに事ぞ」とふに、くさまおぼろげならず。+きぬれば、ぎ立て、この女のしきたるもの食ひなどして、馬に鞍置き、引き出だしてせんとするほどに、「人の命らねば、またらぬやうもぞある」とて、旅装束しながらひて、ろのりて、「観音をらん」とて見奉るに、観音の御き物かかりたり。「あやし」と思れば、この女にらせし袴なりけり。「こはいかに。この女と思つるは、さは、観音のせさせ給なりけり」とふに、の雨しづくとりて、ぶとすれど、しまろび気色を、男き付て、「あやし」とひてり来て、「事ぞ」とふに、くさまおぼろげならず。
  
-「いかなるのあるぞ」とてみまはすに、観音の御肩に赤袴かかりたり。これをるに、「いかなるのあらん」とて、ありさまをへば、女の思もかけずてしつるありさまを、こまかにかたりて「それにらすと思つるはかまの、この観音の御かたにかかりたるぞ」とひもやらず、声をててけば、をのこも空ねしてきしに、「女にらせつる袴にこそあんなれ」とおもふがかなしくて、おなじやうにく。郎等も、物の心りたるは、手をすりきけり。かくて、たておさめ奉て、美濃へにけり。+「いかなることのあるぞ」とて、見回すに、観音の御肩に赤袴かかりたり。これをるに、「いかなることのあらん」とて、ありさまをへば、この女のもかけずてしつるありさまを、かにりて「それにらすと思つるの、この観音の御にかかりたるぞ」とひもやらず、声をててけば、男(をのこ)も空寝(そら)してきしに、「女にらせつる袴にこそあんなれ」とふがかなしくて、じやうにく。郎等どもも、物の心りたるは、手をすりきけり。かくて、たてめ奉て、美濃へおもむきにけり。
  
-後、おもひかはして、又、よこめするなくてみければ、子どもつづけなどして、このつるがにもつねにきかよひて、観音に返々つかまつりけり。ありし女は、「さるやある」とて、ちかとをく尋させけれども、さらにさる女なかりけり。それよりのち又をとづるもなかりければ、ひとへにこの観音のせさせ給へるなりけり。+その後、ひかはして、また横目することなくてみければ、子どもけなどして、この敦賀にも来()通ひて、観音にかへすがへすつかまつりけり。ありし女は、「さるやある」とて、く尋させけれども、さらにさる女なかりけり。それよりまた訪づるることもなかりければ、ひとへにこの観音のせさせ給へるなりけり。
  
-この男女、たがひに七八十にまでさかへて、をのこご女ごみなどして、死の別にぞ別ける。+この男女、たがひに七八十になるまで栄えて、男子(をのこご)・子(をんな)生みなどして、死の別にぞ別れにける。 
 + 
 +===== 翻刻 ===== 
 + 
 +  越前国につるかといふ所に住ける人ありけりとかくして身一つ 
 +  はかりわひしからてすくしけり女ひとりより外に又子もなかりけれは 
 +  このむすめをそ又なき物にかなしくしける此女をわかあらんおり 
 +  たのもしくみをかむとておとこあはせけれと男もたまらさりけれは 
 +  これやこれやと四五人まてはあはせけれとも猶たまらさりけれは思わひ 
 +  てのちはあはせさりけり居たる家のうしろに堂をたてて此女た 
 +  すけ給へとて観音をすへたてまつりける供養し奉りなとして 
 +  いくはくもへぬ程に父うせにけりそれたに思ひ歎に引つつくやうに 
 +  母も失にけれはなきかなしめともいふかひもなししる所なともなくて 
 +  かまへて世を過しけれはやもめなる女ひとりあらんにはいかにしてか 
 +  はかはかしき事あらんおやの物の少ありける程はつかはるる物四五 
 +  人ありけれとも物うせはててけれはつかはるる物独もなかりけり物 
 +  くふ事かたくなりなとしてをのつからもとめいてたるおりは手つからと/下8ウy270 
 + 
 +  いふはかりにしてくひては我おやの思しかひありてたすけ給へと 
 +  観音に向奉てなくなく申ゐたる程に夢にみるやうこのうしろの 
 +  堂より老たる僧の来ていみしういとをしけれは男あはせんと 
 +  思ひてよひにやたれはあすそここにきつかんするそれかいはん 
 +  にしたかひてあるへき也との給とみてさめぬ此仏の助給へき 
 +  なめりと思ひて水うちあみて参てなくなく申て夢を頼て 
 +  その人を待とてうちはきなとしてゐたり家は大に作たりけれは 
 +  親うせて後はすみつきあるへかしき事なけれと屋はかりは大きなり 
 +  けれはかたすみにてゐたりけるしくへき筵たになかりけりかかる 
 +  ほとにその日の夕かたになりて馬の足をとともしてあまた入 
 +  くるに人そとのそきなとするをみれは旅人のやとかるなりけり 
 +  すみやかに居よといへはみな入きてここよかりけり家広しいか 
 +  にそやなと物いふへきあるしもなくて我ままにもやとりゐるかななと/下9オy271 
 + 
 +  いひあひけりのそきてみれはあるしは卅はかりなるおとこのいと 
 +  きよけなる也郎等二三十人はかりあり下すなととりくして七 
 +  八十人斗あらむとそみゆるたたゐにゐるに筵畳をとらせはやと 
 +  思へともはつかしと思てゐたるに皮子筵をこひて皮にかさねて 
 +  しきて幕引まはしてゐぬそそめく程に日もくれぬれとも物くふ 
 +  ともみえねは物のなきにやあらんとそみゆる物あらはとらせてまし 
 +  と思ひゐたる程に夜うちふけてこの旅人のけはひにて此おはし 
 +  ます人よらせ給へ物申さんといへは何事にか侍らんとていさり 
 +  よりたるをなにのさはりもなけれはふといりきてひかへつこはいか 
 +  にといへといはすへくもなきにあはせて夢にみし事もありしかは 
 +  とかくおもひいふへきにもあらす此男は美濃国に猛将ありけり 
 +  それか独子にてその親うせにけれはよろつの物うけつたへておやにも 
 +  おとらぬ物にて有けるか思ける妻にをくれてやもめにてありけるを/下9ウy272 
 + 
 +  これかれ聟にとらん妻にならんといふものあまたありけれとも 
 +  ありし妻に似たらむ人をと思てやもめにて過しけるか若狭に 
 +  沙汰すへき事ありて行なりけりひるやとりゐる程にかたすみに 
 +  ゐたる所もなにのかくれもなかりけれはいかなるもののゐたるそと 
 +  のそきてみるにたたありし妻のありけるかとおほえけれは目もく 
 +  れ心もさはきていつしかとく暮よかし近からんけしきも心 
 +  みんとて入きたる也物うちいひたるよりはしめ露たかふ 
 +  所なかりけれはあさましくかかりける事もありけりとて若狭 
 +  へとおもひたたさらましかはこの人をみましやはとうれしき 
 +  旅にそありける若狭にも十日斗あるへかりけれともこの人の 
 +  うしろめたさにあけは行て又の日帰へきそと返々契置て 
 +  さむけなりけれは衣もきせをき郎等四五人はかりそれか従者 
 +  なととりくして廿人斗の人のあるに物くはすへきやうもなく/下10オy273 
 + 
 +  馬に草くはすへきやうもなかりけれはいかにせましと思なけき 
 +  ける程におやのみつし所につかひける女のむすめのありとはかりは 
 +  ききけれともきかよふ事もなくてよきおとこしてことかなひて 
 +  ありと斗はききわたりけるかおもひもかけぬにきたりけるか誰にか 
 +  あらんと思ていかなる人のきたるそととひけれはあな心うや御 
 +  覧ししられぬは我身のとかにこそさふらへをのれは故うへのおはし 
 +  まししおりみつし所つかまつり候しもののむすめに候年比いかてま 
 +  いらんなと思て過候をけふはよろつをすてて参候つる也かく 
 +  たよりなくおはしますとならはあやしくとも居て候所にもおはしまし 
 +  かよひて四五日つつもおはしませかし心さしは思たてまつれとも 
 +  よそなからは明くれとふらひたてまつらん事もおろかなるやうにおも 
 +  はれ奉りぬへけれはなとこまこまとかたらひてこのさふらふ人々は 
 +  いかなる人そととへはここにやとりたる人の若狭へとていぬるか/下10ウy274 
 + 
 +  あすここへ帰つかんすれはその程とて此ある物ともをととめ置て 
 +  いぬるにこれにもくうへき物はくせさりけりここにもくはすへき 
 +  物もなきに日はたかくなれはいとをしと思へともすへきやうも 
 +  なくてゐたるなりといへはしりあつかひたてまつるへき人にやお 
 +  はしますらんといへはわさとさは思はねとここにやとりたらん 
 +  人の物くはてゐたらんを見すくさんもうたてあるへう又おもひ 
 +  はなつへきやうもなき人にてあるなりといへはさてはいとやすき 
 +  事なりけふしもかしこくまいり候にけりさらはまかりてさる 
 +  へきさまにてまいらむとてたちていぬいとをしかりつる事を 
 +  おもひかけぬ人のきてたのもしけにいひていぬるはとかくたた 
 +  観音のみちひかせ給なめりと思ていとと手をすりて念し 
 +  たてまつる程に則物とももたせてきたりけれはくひ物ともなと多 
 +  かり馬の草まてこしらへ持てきたりいふかきりなくうれしとおほゆ/下11オy275 
 + 
 +  この人々もてきやうようし物くはせ酒のませはてて入きたれは 
 +  こはいかに我おやのいき返おはしたるなめりとにかくにあさましくて 
 +  すへきかたなくいとおしかりつる恥をかくし給ふることといひて悦 
 +  なきけれは女もうちなきていふやう年比もいかてかおはしますらん 
 +  と思給へなから世中すくしさふらふ人は心とたかふやうにてすき候 
 +  つるをけふかかるおりにまいりあひていかてかおろかには思ひまいらせん 
 +  若狭へこえ給にけん人はいつか帰つき給はんそ御共人はいくら 
 +  はかりか候ととへはいさまことにやあらんあすの夕さりここにくへかんなる 
 +  ともにはこのある物ともくして七八十人はかりそありしといへはさては 
 +  その御まうけこそつかまつるへかんなれといへはこれたにおもひかけす 
 +  うれしきにさまてはいかかあらんといふいかなる事なりとも今 
 +  よりはいかてかつかまつらてあらんするとてたのもしくいひをきて 
 +  いぬこの人々の夕さりつとめてのくひ物まてさたし置たりおほえ/下11ウy276 
 + 
 +  なくあさましきままにはたた観音を念し奉る程にその日も 
 +  くれぬ又の日になりてこのあるものともけふは殿おはしまさんす 
 +  らんかしとまちたるにさるの時はかりにそつきたるつきたるや 
 +  をそきとこの女物ともおほくもたせてきて申ののしれは物たの 
 +  もし此男いつしか入きておほつかなかりつる事なといひふし 
 +  たり暁はやかてくして行へきよしなといふいかなるへき事にか 
 +  なとおもへとも仏のたたまかせられてあれと夢にみえさせ給し 
 +  をたのみてともかくもいふにしたかひてありこの女暁たたんする 
 +  まうけなともしにやりていそきくるめくかいとをしけれはなにかな 
 +  とらせんと思へともとらすへき物なしをのつから入事もやある 
 +  とて紅なるすすしのはかまそ一あるをこれをとらせてんと思て 
 +  我は男のぬきたるすすしのはかまをきて此女をよひよせて 
 +  とし比はさる人あらんとたにしらさりつるに思もかけぬおりしも/下12オy277 
 + 
 +  きあひて恥かましかりぬへかりつる事をかくしつる事のこの世 
 +  ならすうれしきもなににつけてかしらせんと思へは心さしはかり 
 +  にこれをとてとらすれはあな心うやあやまりて人の見たてまつら 
 +  せ給に御さまなとも心うく侍れはたてまつらんとこそおもひ給う 
 +  るにこはなにしにか給はらんとてとらぬをこのとし比もさそふ水 
 +  あらはとおもひわたりつるに思もかけすくしていなんとこの人の 
 +  いへはあすはしらねともしたかひなんすれはかたみともし給へとて 
 +  猶とらすれは御心さしの程は返々もおろかには思ましけれとも 
 +  かたみなと仰らるるかかたしけなけれはとてとりなんとするをも 
 +  程なき所なれはこの男ききふしたり鳥なきぬれはいそき立 
 +  てこの女のしをきたる物くひなとして馬にくらをき引いたし 
 +  てのせんとするほとに人の命しらねは又おかみたてまつらぬやう 
 +  もそあるとて旅装束しなから手あらひてうしろのたうに/下12ウy278 
 + 
 +  まいりて観音をおかみたてまつらんとてみたてまつるに観音 
 +  の御かたにあかき物かかりたりあやしと思てみれはこの女にとら 
 +  せし袴也けりこはいかにこの女と思つるはさは観音のせさせ 
 +  給なりけりとおもふに泪の雨しつくとふりてしのふとすれと 
 +  ふしまろひなくけしきを男きき付てあやしとおもひて走 
 +  きてなに事そととふになくさまおほろけならすいかなる 
 +  事のあるそとてみまはすに観音の御肩に赤袴かかりたり 
 +  これをみるにいかなる事のあらんとてありさまをとへは此女の 
 +  思もかけすきてしつるありさまをこまかにかたりてそれにとら 
 +  すと思つるはかまのこの観音の御かたにかかりたるそといひもや 
 +  らす声をたててなけはをのこも空ねしてききしに 
 +  女にとらせつる袴にこそあんなれとおもふかかなしくておなしやうになく 
 +  郎等共も物の心しりたるは手をすりなきけりかくてたておさ/下13オy279 
 + 
 +  め奉て美濃へ趣にけり其後おもひかはして又よこめする 
 +  事なくてすみけれは子ともうみつつけなとしてこのつるかにも 
 +  つねにきかよひて観音に返々つかまつりけりありし女はさる物 
 +  やあるとてちかくとをく尋させけれともさらにさる女なかりけり 
 +  それよりのち又をとつるる事もなかりけれはひとへにこの観音の 
 +  せさせ給へるなりけりこの男女たかひに七八十に成まてさかへて 
 +  をのここ女こうみなとして死の別にそ別にける/下13ウy280
  
text/yomeiuji/uji108.txt · 最終更新: 2018/12/26 14:37 by Satoshi Nakagawa