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text:yomeiuji:uji101 [2015/04/09 14:44] – [第101話(巻8・第3話)信濃国の聖の事] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji101 [2018/09/29 12:40] Satoshi Nakagawa
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 **信濃国の聖の事** **信濃国の聖の事**
  
-今はむかし、信濃国に法師有けり。さる田舎にて法師になりにければ、まだ受戒もせで、「いかで京にのぼりて、東大寺といふ所にて受戒をせん」と思て、とかくしてのぼりて受戒してけり。+===== 校訂本文 =====
  
-さて、「もとの国へ帰らん」とれども、「よしなし。さる無仏世界のやうなる所帰らじ。ここん」とおふ心付て東大寺の仏の御前に候て「いづくにか、行してのどやかに住ぬべき所ある」と、よろづの所を見まはしけるに、坤のかたにあたりて、山かすかみゆ。「そこらにおこなひすまん」と思て行て、山の中にえもいはず行て過す程に、すずろにちいさやなる厨子仏をおこなひいだ。毘沙門にぞおはしましけ+今は昔信濃国に法師((通常命蓮」と表記する。[[:text:k_konjaku:k_konjaku11-36|『今昔物語集』11-36]]では明練))あり。さる田舎て法師になりにければ、まだ受戒せで、「いかで京りて、東大寺といふ所にて受戒をせん」と思て、て上りて受戒
  
-こにをたて、すへたてまつりて、えもいはず行ひて年月をふる程に、此山のふもとに、いみじき下徳人ありけり、そこ聖の鉢はつねに飛行つつ入てき+さて、「もとの国へ帰らん」と思ひけれども、「よしなし。さる無仏世界のやうなる所に帰らじ。ここに居なん」と思ふ心付きて、東大寺の仏の御前に候ひて「づくにか行ひして、のどやかに住みぬべ所ある」と、よろづの所見回しけるに、坤(ひつじさる)の方(か)に当りて、山かかに見ゆ。「そこらに行なひん」と思ひ、行きて、山の中に、えもいはず行ひて過ぐすほどに、すずろに小さやかなる厨子仏(づしぼと)を行ひ出だした。毘沙門((毘沙門天))てぞしまし
  
-大なるあぜ倉のあるあけて、物とりいだす程に、此鉢飛て、例の物こひきたりけるを「例鉢きにたり。ゆゆしく、くつけき鉢よ」て取て倉のすになをきて、物もいれざりければ、鉢は待ゐたりける程に、倉の戸をさし、主帰ぬる程に、とばかありて、この蔵、すずろにゆさゆさとゆるぐ+そこに小さき堂建てて、据ゑ奉て、えもはず行ひて、年月を経るほどに、山の麓()にじき下種徳人(ん)ありけり。そこに聖の鉢はつね飛行つつ物は入きけり。
  
-「いかにいかに」と見さはぐ程に、ゆぎゆて、土よ一尺斗ゆるぎあがる時に、はいかなる事ぞ」とあやしがりさはぐ。まことりつをわて、とりいでずな。それがしわざにや」ないふ程に、鉢、蔵よりもり此鉢に蔵て、ただのぼりに空ざまに一二丈ばかりのる。+大きな校倉(あぜくら)のあを開けて、物取出だすほどに、この鉢飛び、例の物乞ひに来たりけるを、例の鉢、来。ゆゆしく、ふくけきよ」とて、取りて、倉のみに投げ置きて、とみに物も入れざければ、鉢は待ち居たどに、物どもしたため果てて、このを忘れて入れず、取も出ださで、戸をさして、主(ぬし)帰ぬるほど、とばかりありて、こ蔵、すずろにゆさゆさと揺(ゆ)ぐ
  
-さて、飛行程に、人々みののしり、あさみさはあひたり。蔵のぬしもさらにすべきやうもなければ、「此倉のいかん所をみん」とて、尻たちゆく。そたり人々もみなはし。さみればやうやう飛て、河内国に此聖のおこのふ山の中飛行て、聖の坊のかたにどうとおちぬ+「いかにいかに」と見騒ぐほどに、揺ぎて土より一尺かり揺ぎ上がる時に、「こはいかなることぞ」と怪しがり騒ぐ。「まことまことに、ありつる鉢を忘れ、取り出でずなりぬる。それがしざにや」など言ふほどに、こ蔵よ出でて、この蔵乗りて、ただ昇り、空ざまに一・二丈ばかり昇る
  
-いとどあましく思て、とてるべきならねばぬし、聖のとによりて申やう「かかるあましき事なんさぶふ。此鉢のつねまうでくれば、物入つつまいらるを、まぎらはしく候つる程に、倉にうちをて忘て、とりもいださで、じやうをさして候ければ、この蔵、ただゆるぎにゆるぎて、ここにな飛てまうできておちて候。此くら返し給候はん」と申時に「まことあやしき事なれど、飛きにければ、蔵はえ返しとらせじここにか様のもなきに、おのづから物をもをかんによし中ならん物はさながらと」との給へば、ぬしのいふやう、「いかしてかたちまちにはこびとり返さん。千石つみ候也」といへば「それいとやすき事也。た我はこびてとらせん」とて此鉢に一俵を入て飛すれば、雁なのつづきたるやに、のこりの俵どもつづきたり+さて、飛び行くほどに、人々、見ののしさみ騒ぎあひたり。蔵主(ぬし)も、さらにすきやうもなければ、この倉の行か所を見ん」と立ち行くわたり人々、み走りけりさてれば、やうやう飛びて河内国に、この聖の行(おこの)ふ山の中に飛行きて、聖の坊のかたはしに、どうと落ちぬ
  
-むらすずめなどのやうに、飛つづきたるをみるに、いとどあさましく、たうければ、ぬしいふやう、「しばしみななつはし候そ。米二三百は、とつかはせ」といへばある事也。それ、ここにをきては、なにはせん」とへば、「さらばただつはせ給斗十廿をもたてまつらん」とへば、「さまでも入べ事のあらば」とて、にたしかみなおちゐにけり。+いとどあさましく思ひてさりて、あるべきならねば、蔵主、聖のもとに寄りて申すやう、「かかるあさまきことん候(さぶら)ふ。この鉢の常に詣で来れば、物入れつ参らするを、まぎらはしひつるほに、倉にうち置き、忘れて、取りも出ださで、錠(じやう)をさして候ひければ、この蔵、ただ揺ぎに揺ぎて、ここになん飛びて詣で来て、落ちて候ふ。この蔵、返しひ候はん」と申す時に、「まことにあやしことな飛びて来にければ、蔵はえ返し取らせじ。ここにかやうのものも、おのづから物をも置かんによし。中ならん物は、さながら取れ」とのたまへば、主の言ふやう「いにしか、たちちに運び取り返さ。千石積みて候ふなり」とへば、「それはいとやすきことなり。たしかに、われ運びて取らせん」とて、一俵を入れて飛ばすれば、雁などの続きるやう、残りの俵ども続きたり。
  
-やうにたうとく行てすぐす程に、其比、延喜御門、をもくわづらはせ給て、さまざまの御祈ども御修法、御読経など、よろづにせらる更にえおこたらせ給はず。ある人やう「河内の信貴と申所に此年来行て里へ出る事もせぬ聖それこそいみじくたうくしるしありて、鉢を飛し、さてゐながらよろづりがた事をし候。それを召せさせ給はば、おこせ給なん」と申せば、「さらば」とて、蔵人を御使につはす+むら雀などのやうに、飛び続きるを見るに、いとどあさましく尊け言ふやうしばしみななつかはしひそ米二・三百は、とどめつかはせ給へ」と言へばるまじこと。それ、ここに置きは、何にかはん」といへば、「ば、ただつかはせ給ふばり、十・二十をも奉らん」と言へば、「さまでも、入るべきことのあらばこそ」とて、主の家に、しかにみな落ち居にけり
  
-いきみるに、のさま、こと貴くめで「かかう宣旨にてめす也。とくまいべきよ」いへば聖「なににめすぞ」とて、更にうごげもれば、「かうかう御悩大事にはします。祈まいらせ給」といへば、「それがまいここながら祈まいらせ候ん」といふ+かやうに尊く行ひ過ぐすほどに、ころ、延喜の御門((醍醐天皇))、重くわづらはせ給ひて、さまざまの御祈りども御修法(みしほふ)、御読経など、よろづせらるれど、さらにえおこらせ給はずある人の申すや、「河内の信貴と申す所、この年ごろ行ひ、里へ出でるこもせぬ聖候ふなり。それこそ、いみじ、しるしありて鉢を飛ば、さて、居ながらよろづありがたことをし候ふなれ。それを召して祈りせさせ給はば、おこたらせ給ひなんかし」と申せば、「ば」蔵人を御使にて、召しにつか
  
-「さもしおこたらせおはましたりとも、い聖のしるしはしるべき」といへば、「それはたがしるしといふ事せ給はずと、ただ御心ちだにおこたらせ給なば、よく候なん」といへば、蔵人、「さるにても、いあまたの祈の中も、そのるしとみえんこそよからめ」といふに、「さらばいのりいらせんに、剣の護法をまいらせんおのづから御夢にも、まぼろしにも御らんぜば、さとはしらせ給へ。剣をあみつつきぬにきたる護法なり。我は更に京へはえいでじ」とへば、勅使帰まいりてかうかう」申程に三日といふひるつかた、ちとまどろませ給ふともきに、きとある物のみえければ、「いかなる物にか」とて御覧ずれば、「あの聖のいひけ剣の護法なり」とおぼしめすより、御心ちさはさはとなりて、いささか心くるしき御こともなく、例ざまにならせ給ぬ+行き見るに、聖のさま、ことに貴くめでたしう、宣旨にて召すなり。くとく参るべきよし言へば、聖、「に召すぞ」に動きげもなければ、「か悩(ごなう)大事おはしま祈り参らせ給へ」とへば、「それが参らずここ祈り参せ候はん」と言ふ
  
-人々悦て、聖をうとがりめであひたり。御門もかぎりなくたうとくおぼ人をつかはして「僧正僧都なるべき。又庄などやすべき」と仰つかはうけ給はりて「僧都僧正更に候事也。又かか所に庄などよりぬれば、別当なにれなどいできて、中々むつかしく罪得がましく候。ただかくて候はん」とてやみけり+「さもしおこらせおはしましたり、いでか聖のとは知るべき」と言へば「それ誰(た)がるしといふこと知らせ給はずとも、ただ御心地だおこたらせ給ひば、よく候ひなん」と言へば、蔵人、「さにてもいかでか、あまた御祈りの中も、そのしるしと見えんこそからめ」と言ふに、「さらば祈り参らせんに、剣の護法を参らせん。おのづら、御夢にも、幻(まぼろし)にも御覧ぜば、さと知らせ給へ剣を編みつつ衣(きぬ)に着たる護法なり。われはさらに京へえ出でじ」と言へば、勅使、帰り参りて「かうかう」と申すほどに三日といふ昼つかたちとどろませ給ふともなきらきらとあ者の見えければ、「いかる者か」とて御覧ずば、「あの聖の言ひけん剣の護法り」と思し召すより、御心地さはさはとなりて、いささ心苦き御こともなく、例ざまならせ給ひぬ
  
-かかる程にこのの姉ぞ一人ありける此聖「受戒せん」とて、のぼりしまま見えぬ。「うまで年比みえぬは、いかになりぬやらんおぼつかなきに((底本「に」衍字))尋てみん」とてのぼりて、東大寺、山階寺のわたりをうれんいんいふ人やあ」と尋ぬれど、らず」とのみいひて」といふ人なし+人々、悦びて、聖を尊がり、めでひたり。御門もかぎなく尊く思召して、人をつかはして「僧正・僧都なるべきまた、その寺に庄どや寄すべき」と仰せつかはす。聖、うけ給はりて、「僧都・僧正さらに候ふじきことなり。また、かか所に庄など寄りぬれば、別当なにくれな出で来てなかなかむつか罪得がまく候ふ。だ、かくて候はん」とてやみにけり
  
-尋わびて、「いかにん。これが行ゑききてこそ帰らめ」とて、その夜、東大寺の大仏の御前にて、「まうれんが所、をしへさせ給へ」夜一夜申て、うちまどろみたる夢に、この仏仰らるるう、「たづぬる僧のり所は、これよりひつじさのかたに山あり。其山のくもたなびきたる所を行て尋よ」とるるとみてさめければ暁方に成にけり。+かかる程に、この聖の姉ぞ一人ありける。「この聖、『受戒せん』とて、上りしまま見えぬ。かうまで年ごろ見えぬは、いかになりぬるやらん。おぼつかなに((「おぼつかなに」は底本「おぼつかなきにに」。衍字とみ「に」を削除))、尋ねてみん」とて、上りて、東大寺・山階寺のわたりを、「まうれん小院いふ人やある」と尋ぬれど、「知ず」言ひて、「知たる」といふ人なし
  
-「いつしかとく夜の明けかし」と思て見たれば、ほのぼのと明がたになりぬ。ひつじさるかたやりたれば、山かすかにゆるに、紫の雲たなびきたり。+尋ねわびて、「いかにせん。これが行方(ゆくへ)聞きてこそ帰らめ」と思ひて、その夜、東大寺の大仏の御前にて、「このまうれんが所、教へさせ給へ」と夜一夜申して、うちまどろみたる夢に、この仏、仰せらるるやう、「尋ぬる僧のあり所は、これより坤(ひつじさる)の方に山あり。その山の雲たなびきたる所を行きて尋ねよ」と仰せらるると見て覚めければ、暁方になりにけり。「いつしかとく夜の明けかし」と思たれば、ほのぼのと明け方になりぬ。やりたれば、山かすかにゆるに、紫の雲たなびきたり。
  
-うれしくて、そなたをして行たれば、まことに堂などあり。人ありとゆる所へりて、「まうれんこいんやいまする」とへば、「たそ」とて出てれば、信濃なりしわが姉なり。「こはいかにして尋いましたるぞ。思がけず」とへば、ありつるさまをかたる。+しくて、そなたをして行たれば、まことに堂などあり。人ありとゆる所へりて、「まうれん小院やいまする」とへば、「誰()そ」とてれば、信濃なりしわが姉なり。「こはいかにして尋いましたるぞ。思がけず」とへば、ありつるありさまを語る。「さて、いに寒くておはしつらん。『これを着せ奉らん』とて、持りつ物なり」とて、引き出でたるをみれば、ふくたいといふ物を、なべてにも似ず太き糸して、厚々(あつあつ)と細かに強げにしたるを持て来たり。悦びて、取りて着たり。もとは紙きぬ一重をぞ着たりける。さて、いと寒かりけるに、これを下に着たりければ、暖かにてよかりけり。さて、おほくの年ごろ行ひけり
  
-さて、いかにさむくておはしつらん。れをきせたてまつらんとて、もたりつる物也」て、引出たるをみれば、ふくたいといふ物を、なべてにも似ふときいとしてあつあつかにつよげにしたるをもてきた。悦てとりてきたり。もとは紙きぬ一重をぞきたりける。さて、いとさむかりけるに、れをしたきたりければ、たたかにてよかりけ+さて、この姉の尼ぎみも、もとの国へ帰らず、とまりて、こに行ひてぞありけ
  
-さて、おほくの年比おこなひけり。さて、この尼ぎももの国へ帰ずとまて、そおこありる。+さて、くの年ごろ、このふくたいをのみ着て行ひければ、果てには破(や)れ破れ着なしてありけり。鉢に乗りて着たりし蔵をば「飛蔵(とびくら)」とぞ言ひける。の蔵ぞ、ふくたいの破れどは納め、まだんな。その破れの端(はし)を、つゆばかりなど、おのづから縁に触れて得た人は、守りにしけり
  
-さて、おほく年比此ふくたいをのみきて、行ひけば、はにはやれやれときなしてありけり。鉢にのりてきたりし蔵をば「飛くら」とぞひける。その蔵にぞ、ふくたいのやれなどはおさめてまだあんなり。そのやれはしつゆ斗などをのづら縁ふれたる人は、まもにしけり。+蔵も朽ち破れて、いまだあんなり。そのをつゆり得たる人は、守りし、毘沙門を作り奉り、持たる人は、必ず徳付かぬはなかりけり。されば、聞く人、縁を尋ねて、その倉の木の端をば買ひ取りける
  
-その蔵朽ちやぶれてまだんなり。その木のはしを露斗えた人はまもりし、毘沙門を作たてまつりて、持たる人は、かならず徳つかぬはなかりけり。さば、きく人縁を尋て、其倉木のはをば買とりける。+さて、信貴とて、えもいはず験ある所にて人々明け暮れ参る。この毘沙門は、まうん聖行ひ出だりけるとか
  
-さて信貴とてえもいは験ある所にて今に人々あけくれ参此毘沙門はまうれん聖のおこなひいしたてまつりけるとか+===== 翻刻 ===== 
 + 
 +  今はむかし信濃国に法師有けりる田舎に法 
 +  師になりにけれはまた受戒もせていかて京にのほりて東大 
 +  寺といふ所にて受戒をせんと思てとかくしてのほりて受戒 
 +  してけりさてもとの国へ帰らんと思けれともよしなしさる無仏 
 +  世界のやうなる所に帰らしここにゐなんとおもふ心付て東 
 +  大寺の仏の御前に候ていつくにか行してのとやかに住ぬへ/113オy229 
 + 
 +  き所あるとよろつの所を見まはしけるに坤のかたにあたり 
 +  て山かすかにみゆそこらにおこなひてすまんと思て行て山 
 +  の中にえもいはす行て過す程にすすろにちいさやかなる厨子 
 +  仏をおこなひいたしたり毘沙門にてそおはしましけるそこにちいさき 
 +  堂をたててすへたてまつりてえもいはす行ひて年月をふる程に 
 +  此山のふもとにいみしき下す徳人ありけりそこに聖の鉢は 
 +  つねに飛行つつ物は入てきけり大なるあせ倉のあるをあけ 
 +  て物とりいたす程に此鉢飛て例の物こひにきたりけるを例 
 +  の鉢きにたりゆゆしくふくつけき鉢よとて取て倉のすみに 
 +  なけをきてとみに物もいれさりけれは鉢は待ゐたりける程に 
 +  物ともしたためはてて此鉢をわすれて物もいれすとりもいたさて 
 +  倉の戸をさして主帰ぬる程にとはかりありてこの蔵すすろに 
 +  ゆさゆさとゆるくいかにいかにと見さはく程にゆるきゆるきて土より/113ウy230 
 + 
 +  一尺斗ゆるきあかる時にこはいかなる事そとあやしかりて 
 +  さはくまことにまことにありつる鉢をわすれてとりいてすなり 
 +  ぬるそれかしわさにやなといふ程に此鉢蔵よりもりいてて 
 +  此鉢に蔵のりてたたのほりに空さまに一二丈はかりのほる 
 +  さて飛行程に人々みののしりあさみさはきあひたり蔵 
 +  のぬしもさらにすへきやうもなけれは此倉のいかん所をみんとて 
 +  尻にたちてゆくそのわたりの人々もみなはしりけりさてみれ 
 +  はやうやう飛て河内国に此聖のおこのふ山の中に飛行て聖の 
 +  坊のかたはしにとうとおちぬいととあさましく思てさりとてあるへ 
 +  きならねはこの蔵ぬし聖のもとによりて申やうかかるあさましき 
 +  事なんさふらふ此鉢のつねにまうてくれは物入つつまいら 
 +  するをまきらはしく候つる程に倉にうちをきて忘てとりもいた 
 +  さてしやうをさして候けれはこの蔵たたゆるきにゆるきてここ/114オy231 
 + 
 +  になん飛てまうてきておちて候此くら返し給候はんと申 
 +  時にまことにあやしき事なれと飛てきにけれは蔵はえ返し 
 +  とらせしここにか様のものもなきにおのつから物をもをかんによし 
 +  中ならん物はさなからとれとの給へはぬしのいふやういかにしてかたち 
 +  まちにはこひとり返さん千石つみて候也といへはそれはいと 
 +  やすき事也たしかに我はこひてとらせんとて此鉢に一俵 
 +  を入て飛すれは雁なとのつつきたるやうにのこりの俵ともつつ 
 +  きたりむらすすめなとのやうに飛つつきたるをみるにいととあさま 
 +  しくたうとけれはぬしのいふやうしはしみななつかはし候そ米二三 
 +  百はととめてつかはせ給へといへは聖あるましき事也それここに 
 +  をきてはなににかはせんといへはさらはたたつかはせ給斗十廿をも 
 +  たてまつらんといへはさまても入へき事のあらはこそとて主の 
 +  家にたしかにみなおちゐにけりかやうにたうとく行てすくす/114ウy232 
 + 
 +  程に其比延喜御門をもくわつらはせ給てさまさまの御祈とも 
 +  御修法御読経なとよろつにせらるれと更にえおこたらせ給 
 +  はすある人の申やう河内の信貴と申所に此年来行て里へ出る 
 +  事もせぬ聖候也それこそいみしくたうとくしるしありて鉢を 
 +  飛しさてゐなからよろつありかたき事をし候なれそれを召 
 +  て祈せさせ給ははおこたらせ給なんかしと申せはさらはとて蔵 
 +  人を御使にてめしにつかはすいきてみるに聖のさまことに貴く 
 +  めてたしかうかう宣旨にてめす也とくとくまいるへきよしいへは聖 
 +  なにしにめすそとて更にうこきけもなけれはかうかう御悩大事 
 +  におはします祈まいらせ給へといへはそれかまいらすともここ 
 +  なから祈まいらせ候はんといふさてはもしおこたらせおはしまし 
 +  たりともいかてか聖のしるしとはしるへきといへはそれはたかしる 
 +  しといふ事知らせ給はすともたた御心ちたにおこたらせ給/115オy233 
 + 
 +  なはよく候なんといへは蔵人さるにてもいかてかあまたの御祈 
 +  の中にもそのしるしとみえんこそよからめといふにさらはいのり 
 +  まいらせんに剣の護法をまいらせんおのつから御夢にもまほ 
 +  ろしにも御らんせはさとはしらせ給へ剣をあみつつきぬにきた 
 +  る護法なり我は更に京へはえいてしといへは勅使帰まいりて 
 +  かうかうと申程に三日といふひるつかたちとまとろませ給ふ 
 +  ともなきにきらきらとある物のみえけれはいかなる物にかとて御 
 +  覧すれはあの聖のいひけん剣の護法なりとおほしめすより 
 +  御心ちさはさはとなりていささか心くるしき御事もなく例さまに 
 +  ならせ給ぬ人々悦て聖をたうとかりめてあひたり御門もか 
 +  きりなくたうとくおほしめして人をつかはして僧正僧都にやなる 
 +  へき又その寺に庄なとやよすへきと仰つかはす聖うけ給はりて 
 +  僧都僧正更に候ましき事也又かかる所に庄なとよりぬれ/115ウy234 
 + 
 +  は別当なにくれなといてきて中々むつかしく罪得かまし 
 +  く候たたかくて候はんとてやみにけりかかる程にこの聖の姉 
 +  そ一人ありける此聖受戒せんとてのほりしまま見えぬかう 
 +  まて年比みえぬはいかになりぬるやらんおほつかなきにに尋 
 +  てみんとてのほりて東大寺山階寺のわたりをまうれん 
 +  こいんといふ人やあると尋ぬれとしらすとのみいひてしりたる 
 +  といふ人なし尋わひていかにせんこれか行ゑききてこそ 
 +  帰らめと思てその夜東大寺の大仏の御前にて此まうれんか 
 +  所をしへさせ給へと夜一夜申てうちまとろみたる夢にこの 
 +  仏仰らるるやうたつぬる僧のあり所はこれよりひつしさるのかたに 
 +  山あり其山のくもたなひきたる所を行て尋よと仰らるると 
 +  みてさめけれは暁方に成にけりいつしかとく夜の明よかし 
 +  と思て見ゐたれはほのほのと明かたになりぬひつしさるのかたを/116オy235 
 + 
 +  みやりたれは山かすかにみゆるに紫の雲たなひきたりうれしくて 
 +  そなたをさして行たれはまことに堂なとあり人ありとみゆる所へ 
 +  よりてまうれんこいんやいまするといへはたそとて出てみれは 
 +  信濃なりしわか姉なりこはいかにして尋いましたるそ思かけす 
 +  といへはありつる有さまをかたるさていかにさむくておはし 
 +  つらんこれをきせたてまつらんとてもたりつる物也とて引出 
 +  たるをみれはふくたいといふ物をなへてにも似すふときいとして 
 +  あつあつとこまかにつよけにしたるをもてきたり悦てとりてきたり 
 +  もとは紙きぬ一重をそきたりけるさていとさむかりけるに 
 +  これをしたにきたりけれはあたたかにてよかりけりさておほく 
 +  の年比おこなひけりさてこの姉の尼きみももとの国へ帰す 
 +  とまりゐてそこにおこなひてそありけるさておほくの年比 
 +  此ふくたいをのみきて行ひけれははてにはやれやれときなして/116ウy236 
 + 
 +  ありけり鉢にのりてきたりし蔵をは飛くらとそいひける 
 +  その蔵にそふくたいのやれなとはおさめてまたあんなりその 
 +  やれのはしをつゆ斗なとをのつから縁にふれてえたる人は 
 +  まもりにしけりその蔵も朽ちやふれていまたあんなりその木 
 +  のはしを露斗えたる人はまもりにし毘沙門を作たてまつ 
 +  りて持たる人はかならす徳つかぬはなかりけりされはきく人 
 +  縁を尋て其倉の木のはしをは買とりけるさて信貴 
 +  とてえもいは験ある所にて今に人々あけくれ参此毘沙 
 +  門はまうれん聖のおこなひいしたてまつりけるとか/117オy237
  
text/yomeiuji/uji101.txt · 最終更新: 2018/09/29 12:42 by Satoshi Nakagawa