text:yomeiuji:uji083
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text:yomeiuji:uji083 [2014/10/05 17:43] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji083 [2018/06/16 21:20] (現在) – Satoshi Nakagawa | ||
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**広貴、妻の訴に依て、炎魔宮ヘ召さるる事** | **広貴、妻の訴に依て、炎魔宮ヘ召さるる事** | ||
- | これも今はむかし、藤原広貴と云物ありけり。 | + | ===== 校訂本文 ===== |
- | 死て、閻魔の庁にめされて、王の御前とおぼしき所に参たるに、王、の給やう、「汝が子を孕て産をしそこなひたる女、死たり。地獄に落て、苦をうくるに、これへ申事のあるによりて、汝をばめしたる也。まづ、さる事あるか」ととはるれば、ひろたか「さる事さぶらひき」と申。王、の給はく、「妻のうたへ申心は、『われ、男にぐして、ともに罪をつくりて、しかもかれが子を産そこなひて、死して地獄に落て、かかるたへがたき苦をうけ候へども、いささかも、我後世をもとぶらひさぶらはず。されば、我一人、苦をうけさぶらふべきやうなし。広貴を諸共にめして、おなじやうにこそ、苦をうけさぶらはめ』と申によりて、めしたるなり」との給へば、広貴が申やう、「此うたへ申事、尤ことはりに候。大やけわたくし、世をいとなみ候あひだ、思ながら後世をばとぶらひ候はで、月日はかなく過さぶらふ也。ただし、今にをき候てはともにめされて、苦をうけ候ども、かれがために苦のたすかるべきに候はず。されば、このたびはいとまを給はりて、娑婆に罷帰て、妻のためによろづをすてて仏経を書供養してとぶらひ候はん」と申せば、王、「しばしさぶらへ」との給て、かれが妻をめし出て、汝が夫、ひろたかが申やうを問給へば、「実々、『経仏をだに書供養せん』と申候はば、とくゆるし給へ」と申。時に又広貴をめし出て、申ままの事を仰きかせて「さらば、このたびはまかり帰れ。たしかに妻のために、仏経を書供養してとぶらふべき也」とてかへしつかはす。 | + | これも今は昔、藤原広貴((『日本霊異記』下9では「藤原広足」。))といふ者ありけり。 |
- | 広貴、かかれども、是はいづく、たれかの給ぞともしらず。ゆるされて、庭を立て帰る道にておもふやう、「此玉の簾のうちにゐさせ給て、かやうに物のさたして、我をかへさるる人はたれにかおはしますらん」といみじくおぼつかなくおぼえければ、又まいりて庭にゐたれば、簾の内より、「あの広貴は返しつかはしたるにはあらずや。いかにして、又まいりたるぞ」ととはるれば、ひろたか申やう、「はからざるに御恩をかうぶりて、帰がたき本国へかへり候事を、いかにおはします人の仰ともえしり候はん事の、きはめていぶせく口惜候へば、恐ながらこれをうけ給はりに又まいりて候なり」と申せば、「汝不覚なり。閻浮提にしては、われを地蔵菩薩と称す」との給をききて、「さは、炎魔王と申は地蔵にこそおはしましけれ。此菩薩に仕らば、地獄の苦をばまぬがるべきにこそあんめれ」と思ふ程に、三日といふに生帰て、そののち妻のために仏経かき供養してけりとぞ。 | + | 死にて、閻魔の庁に召されて、王の御前とおぼしき所に参りたるに、王、のたまふやう、「なんぢが子を孕みて、産をしそこなひたる女、死にたり。地獄に落ちて、苦を受くるに、これへ申すことのあるによりて、なんぢをば召したるなり。まづ、さることあるか」と問はるれば、広貴、「さること候ひき」と申す。王、のたまはく、「妻の訴(うた)へ申す心は、『われ、男に具して、ともに罪を作りて、しかも、かれが子を産みそこなひて、死して、地獄に落ちて、かかる耐へがたき苦を受け候へども、いささかも、わが後世をも弔(とぶら)ひ候(さぶら)はず。されば、われ一人、苦を受け候ふべきやうなし。広貴をもろともに召して、同じやうにこそ、苦を受け候はめ』と申すによりて、召したるなり」とのたまへば、広貴が申すやう、「この訴へ申すこと、もつともことわりに候ふ。公私(おほやけわたくし)、世を営み候ふ間、思ひながら、後世をば弔ひ候はで、月日はかなく過ぎ候ふなり。ただし、今におき候ひては、ともに召されて、苦を受け候ふとも、かれがために苦の助かるべきに候はず。されば、このたびは暇(いとま)を給はりて、娑婆にまかり帰りて、妻のために、よろづを捨てて、仏経を書き供養して、弔ひ候はん」と申せば、王、「しばし候(さぶら)へ」とのたまひて、かれが妻を召し出だして、なんぢが夫、広貴が申すやうを問ひ給へば、「げにげに、『経仏をだに書き供養せん』と申し候はば、とく免し給へ」と申す時に、また、広貴を召し出だして、申すままのことを仰せ聞かせて、「さらば、このたびはまかり帰れ。たしかに、妻のために、仏経を書き供養して、弔ふべきなり」とて、返しつかはす。 |
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+ | 広貴、かかれども、これはいづく、誰(たれ)かのたまふぞとも知らず、免されて、庭を立ちて、帰る道にて思ふやう、「この玉の簾の内に居させ給ひて、かやうにものの沙汰して、われを返さるる人は、誰にかおはしますらん」と、いみじく、おぼつかなく思えければ、また参りて、庭に居たれば、簾の内より、「あの広貴は、返しつかはしたるにはあらずや。いかにして、また参りたるぞ」と問はるれば、広貴申すやう、「はからざるに御恩をかうぶりて、帰りがたき本国へ帰り候ふことを、いかにおはします人の仰せともえ知り候はで((「候はで」は底本「候はん」。諸本により訂正。))、まかり帰り候はんことの、きはめていぶせく口惜しく候へば、恐れながら、これを承りに、また参りて候ふなり」と申せば、「なんぢ、不覚なり。閻浮提にしては、われを地蔵菩薩と称す」とのたまふを聞きて、「さは、炎魔王と申すは、地蔵にこそおはしましけれ。この菩薩につかまつらば、地獄の苦をばまぬがるべきにこそあんめれ」と思ふほどに、三日といふに生き返りて、その後、妻のために仏経書き供養してけりとぞ。 | ||
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+ | 『日本法華験記』に見えたるとなん。 | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | これも今はむかし藤原広貴と云物ありけり死て閻 | ||
+ | 魔の庁にめされて王の御前とおほしき所に参たるに | ||
+ | 王の給やう汝か子を孕て産をしそこなひたる女死たり | ||
+ | 地獄に落て苦をうくるにこれへ申事のあるによりて汝をはめし | ||
+ | たる也まつさる事あるかととはるれはひろたかさる事さふらひき | ||
+ | と申王の給はく妻のうたへ申心はわれ男にくしてともに罪を | ||
+ | つくりてしかもかれか子を産そこなひて死して地獄に落てかかる | ||
+ | たへかたき苦をうけ候へともいささかも我後世をもとふらひさふら | ||
+ | はすされは我一人苦をうけさふらふへきやうなし広貴を諸共に/86オy175 | ||
+ | |||
+ | めしておなしやうにこそ苦をうけさふらはめと申によりてめし | ||
+ | たるなりとの給へは広貴か申やう此うたへ申事尤ことはりに候 | ||
+ | 大やけわたくし世をいとなみ候あひた思なから後世をはと | ||
+ | ふらひ候はて月日はかなく過さふらふ也たたし今にをき候ては | ||
+ | ともにめされて苦をうけ候ともかれかために苦のたすかるへき | ||
+ | に候はすされはこのたひはいとまを給はりて娑婆に罷帰 | ||
+ | て妻のためによろつをすてて仏経を書供養してとふらひ候 | ||
+ | はんと申せは王しはしさふらへとの給てかれか妻をめし出て汝か | ||
+ | 夫ひろたかか申やうを問給へは実々経仏をたに書供養せん | ||
+ | と申候ははとくゆるし給へと申時に又広貴をめし出て申まま | ||
+ | の事を仰きかせてさらはこのたひはまかり帰れたしかに妻の | ||
+ | ために仏経を書供養してとふらふへき也とてかへしつかはす広 | ||
+ | 貴かかれとも是はいつくたれかの給そともしらすゆるされて庭を立/86ウy176 | ||
+ | |||
+ | て帰る道にておもふやう此玉の簾のうちにゐさせ給てかやうに | ||
+ | 物のさたして我をかへさるる人はたれにかおはしますらんといみしく | ||
+ | おほつかなくおほえけれは又まいりて庭にゐたれは簾の内よ | ||
+ | りあの広貴は返しつかはしたるにはあらすやいかにして又 | ||
+ | まいりたるそととはるれはひろたか申やうはからさるに御恩 | ||
+ | をかうふりて帰かたき本国へかへり候事をいかにおはします人の | ||
+ | 仰ともえしり候はんまかり帰候はん事のきはめていふせく | ||
+ | 口惜候へは恐なからこれをうけ給はりに又まいりて候なりと申せは | ||
+ | 汝ふかくなり閻浮提にしてはわれを地蔵菩薩と称すとの | ||
+ | 給をききてさは炎魔王と申は地蔵にこそおはしましけれ此 | ||
+ | 菩薩に仕らは地獄の苦をはまぬかるへきにこそあんめれと思ふ | ||
+ | 程に三日といふに生帰てそののち妻のために仏経かき供 | ||
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- | 『日本法華験記』にみえたるとなん。 |
text/yomeiuji/uji083.txt · 最終更新: 2018/06/16 21:20 by Satoshi Nakagawa