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text:yomeiuji:uji077 [2015/03/02 01:35] – [第77話(巻5・第8話)実子に非ざる人、実子の由たる事] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji077 [2018/05/09 23:29] (現在) Satoshi Nakagawa
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 **実子に非ざる人、実子の由たる事** **実子に非ざる人、実子の由たる事**
  
-これも今は昔、その人の一定子ともきこえぬ人有けり。世の人は、そのよしをしりて、おこがましく思けり。+===== 校訂本文 =====
  
-そのててときゆる人、失にける後、その人のもとに年比ありける侍の妻にぐして田舎へにけり。そのめせにければすべきやうなく成て、京へのぼけり。よろづあるべきやうもなくてたよりなかりけるに、「此子といふ人こ、一定のよしいひて、親の家にゐたなれ」とききて、この侍まいりたりけり。「故殿に年ごろさぶらひし、なにしと申ものこそ、いりて候へ。御見参にいりたがり候」といへば、この子「さる事ありとおぼゆ。ばしさぶらへ。御対面あらんずるぞ」とい出したりければ、侍、「しおほせつ」と思て、ねぶりゐたる程に、ちかうめしつかふ侍いできて、「御でいへまいらせ給へ」と云ければ、悦て、まいりにけり。+れも今は昔、その人の、一定(ちぢや)子と聞こえぬ人ありけり。世の人は、そのよしを知りて、こがましく思ひけり。
  
-この召次しつる侍、ばし候はせ給」とひてあなたへゆきぬ。見まはせば、いのさまことののおはしましししつらひ露かはらずみさうじなどは「すこしふりた程に」とみるほどに、中のさじをひきあぐればきとみあげたるに、この子となのるあゆみ出たり。れをうちみるままに此とごろの侍、さくもよよになく。袖もしぼあへぬほどなり。+その父(てて)と聞ゆる人、失せにける後、そ人のもとに、年ごろありける侍妻に具て田舎往()にけり。その妻(め)にければ、すべきやうもなくなりて、京へ上りけりよろづべきやうもなくて頼りなかりけるに、この子といふ人こ一定のよ言ひて、親の家に居たなれ」と聞きて、この侍、り。
  
-このあるじ「いかかくは泣なん」と思て、ついゐて、「とは、などかくなくぞ」と問ければ、「故殿のおはしましし、たはせおはまさぬが、あはれにおぼえて」いふ。「さればこそ、我も故殿は、たがはぬやうにおぼゆるを、此人々の『あらぬ』などいなる、あさましき事」と思て此なく侍にいふやう、「おのれこそ、のほかに老にけれ。世中はいかやうにてすぐるぞ。我はまだおさなくて、母のもとにこそありしば、故殿のありやうよくも覚ぬなりをのれをこそ、故殿と憑であるべかりけれ。何事も申せ。又、ひとへにたのみてあらんずるぞ。まづ当時さむげなり。このきぬきよ」とて、綿くよかなるぬ一ぬぎてたびて「いまはさうなし。これまいるべき也」といふ。この侍しおふせゐたり。+「故殿()年ごろさぶひし、なにがしと申す者こそ、まいりて候へ。御見参入りたがり候ふ」と言へばこの子、「さる事ありと思ゆ。しばさぶらへ御対面あらんずるぞ」と言ひ出だしたりければ侍、「しおほせつ」と思ひて、眠(ねぶ)り居たるほどに、近う召し使侍、出で、「御出居(おんで)へ参らせ給へ」と言ひければ悦び、参りにけり。
  
-昨日、けふのものの、かくいんだにあり、いはんや、このの年ごろの物のかくいへば、家主えみて、「此おのこの、年来ずちなくてありけん、不便の事なり」とて、うしろみめしいでて、「これは故殿のいとおしものなりまづかく京に旅だちたるにこそ。思はからひて、さたし」といへば、こゑて「む」いらへて立ぬ。この侍は「そらごとせじ」といふ事をぞ申きてける+召し次ぎしつる侍「しばし候せ給へ」言ひてあなた行きぬ。見回せば、御出居さま、故殿のおはしましししつらひに、つゆ変らず「御障子(みさうじ)などは少し古(ふ)りたるほどにや」と見るほどに、中の障子を引き開くれば、きと見上るに、この子名乗る人、歩(あゆ)み出でたり。これをうち見るままに、この年ごろの侍、さくりもよよ泣く。袖も絞りあへぬほどなり。
  
-さて、このあるじ、我を不定げにる人々よびて、「事の次第はせてきかせん」と、うしろみめしいでてあさてこれへ人々わたらんといはるるに、さるやうに引つろひて、もてなすさまじらぬやうにせいひけれむ」とて、ざまにたしまたり。+この主(あるじ)かにかくは泣くらん」と思ひて、ついゐて、「とは、などかく泣くぞ」と問ひければ、「故殿おはしまししに、たがはせおはしまさぬが、あはれに思えて」と言ふ。「さればこそわれも故殿には、たがはぬやに思ゆるを、この人々の、『あらぬ』など言ふなる、あさましきこと」と思ひの泣く侍に言ふやう、「おのこそ、このほかに老いにけれ。世の中はいかやうにて過ぐるぞ。われはまだ幼くて、母のとにこそありしかば、故殿のありやうくも覚えぬなり。おのれをこそ、故殿憑(たの)みてあるべかりけれ。何事も申せ。またひとへに頼みてあらんずるぞ。まづ、当時、寒(さ)げなり。この衣(きぬ)着よ」とて、綿ふくよかなる衣一つ、脱ぎて賜びて、「いさうなし。これへ参るべきなり」と言ふ。この侍、しおほせて居たり。
  
-此とくい人々、四五人ばりきつまりにけり。あるじつねよりもひきつろひて出合て御酒たびたびまいり後、いふやう、「我おやもとに、年比おいたちたる物候をや御らんべからん」といへば此あつまりたる人々、心ちよげにかほさきあかめあひて、「もめいださるべ故殿似けも、かつあはれに候」とへば、「人やあ。ながしまいれ」といへば、ひとりたてめすなりみれば鬢はげたり。おのこの六十余斗なるが、まみの程など、そらごとすべうもなきがうちたるぎぬに、ねり色のきぬのさるほどなる、きたり。これは給はりたる衣とおぼゆ。めしいだされ、事うはしく扇を笏にとりて、うずくまりゐたり+昨日・今日の者のかく言はんだにあり。いはんや故殿の年ごろの者のか言へば家主笑みて、「この男(をのこ)の、年ごろ、ずちなくてありけ、不便のことなり」と後見(うしろみ)召し出でて、「これは、故殿のいしくし給ひし者なりまづ、かく京旅立ちたにこそ。思ひからひて、沙汰(さた)しやれ」とへば、ひげなて、「む」といて立。この侍はそらごとせじ」といふことをぞ仏に申しきりてる。
  
-家主のいふやう「ややこのててのそのかみよりおのは老たちた物ぞかし」などいへば、「む」といふ。「みえたるか。いかに」いへば此侍いふやう「その事に候。故殿に十三よりまいり候。五十までよるひるはなれまいら候はず。こ殿の「小冠者、小冠者」と候き。無下に候し時もとにふせせおはしまして、夜中、暁、大つぼまいせなどし候し。その時は、わびしたへがたおぼえ候をくれらせて後はなどおぼえ候けんと、くやしうさぶらふな」と、いふ+さて、この主(あるじ)を不定げに言ふな人々呼びて、「この侍、この次第聞か」とて、後見召出でて「明後日(あさて)これへ人々渡んと言るるにさるやに引きつろひて、もてなし、すさじかぬやうによ」と言ひければ、「む」と申して、さまざまに沙汰けたり。
  
-あるじのいふやう「抑、ひひ、汝をよびたりしおり障子を引あげて出たりしおり、うちみあげて、ほろほろと泣しは、いかなりし事ぞ」といふ。その時、侍がいふやう、「それ別の事さぶらは。ゐ中にさぶひて、故殿うせ給にきと、うけ給て、『い一どまい、心ありさまをだにおがみ候はん』思て恐恐まいり候うな御ていへめし入させおはしまして大方、かたじけなくしに御障子を引けさえ給候を、きと見げまいらせて候しに御ゑぼしのまくろまづさしでさせおはしまして候しが、故殿かくごとく出せおはしましたりしも、御烏帽子まくろにみえさせおはしまし候が、思いでらおはしまして、おぼえず涙のぼれさぶらひ」といふに此あつまりたる人々も、えみをふくみたり。+この得意の人々、四・五人ばかり来集まりにけり。主(あるじ)常よりもきつくろ出で合ひて御酒、たびたび参りてふやう、「わが親の、年ごろ生ひたちたる者候ふをや、御覧べかん」言へばこの集まりたる人々、心地よげに顔さき赤めひて、「もとも召出だるべく候故殿に似けるも、かつあはれにふ」と言へば「人やる。なにが参れ」言へば、一人立ちて召すなり。れば、鬢はたり。男(をのこ)の六十余ばかりなるが、みのほどなどそらごとすべもなきが打ちたる白き狩衣に、練色(ねりろ)衣きぬのさるほどなる着たり。これりたる衣と思ゆ。召出だされて、ことうるはく、扇を笏にとうづくまりたり。
  
-此あるじも気色かはりて「さて、又、いづくか故殿には似たる」とひければ、侍「そのほかは、かた似させおはしましたる所、おはしまさず」とひければ、人々ほをえみてひとりふたりつこそ逃失にけれ+家主の言ふやう「ややここの父(てて)のそのかみより、おのれは老いたちた者ぞかし」など言へば、「む」と言ふ。「見えにたるか。いかに」と言へば、この侍、言ふやう、「そのことに候ふ。故殿には十三より参りて候ふ。五十まで、夜昼(よるひる)離れ参らせ候はず。故殿の『小冠者、小冠者』と召し候ひき。無下に候ひし時も、御あとに臥せさせおはしまして、夜中、暁、大つぼ参らせなどし候ひし。その時は、わびしう、たへがたく思え候ひしが、おくれ参らせて後は、など、さ思え候ひけんと、くやしう候(さぶら)ふなり」と言ふ。 
 + 
 +主の言ふやう、「そもそも、一日(ひとひ)、なんぢを呼び入れたりし折、われ、障子を引き開けて出でたりし折、うち見上げて、ほろほろと泣きしは、いかなりしことぞ」と言ふ。その時、侍が言ふやう、「それも別のことに候(さぶら)はず。田舎に候(さぶら)ひて、『故殿失せ給ひにき』と承はりて、『今一度参りて、心ありさまをだにも、拝み候はん』と思ひて、恐れ恐れ参り候ひし。さうなく御出居へ召し入れさせおはしまして候ひし。おほかた、かたけなく候ひしに、御障子を引き開けさせ給ひ候ひしを、きと見上げ参らせて候ひしに、御烏帽子(ゑぼうし)の真黒(まくろ)にて、まづさし出でさせおはしまして候ひしが、故殿のかくのごとく出でさせおはしましたりし、御烏帽子は真黒に見えさせおはしまし候ふが、思ひ出でられおはしまして、思えず、涙のこぼれ候ひしなり」と言ふに、この集まりたる人々も、笑みを含みたり。 
 + 
 +また、この主も、気色りて「さてまた、いづくか故殿には似たる」とひければ、この「そのほかは、おほかた似させおはしましたる所、おはしまさず」とひければ、人々ほお笑みて、一人、二人づつこそ逃げ失せにけれ。 
 + 
 +===== 翻刻 ===== 
 + 
 +  これも今は昔その人の一定子ともきこえぬ人有けり世の人 
 +  はそのよししりておこかましく思けりそのててときこゆ 
 +  る人失にける後その人のもとに年比ありける侍の妻にく 
 +  して田舎へいにけりそのめうせにけれはすへきやうもなく成 
 +  て京へのほりにけりよろつあるへきやうもなくてたよりなかり 
 +  けるに此子といふ人こそ一定のよしいひて親の家にゐたなれ 
 +  とききてこの侍まいりたりけり故殿に年ころさふらひし 
 +  なにかしと申ものこそまいりて候へ御見参に入たかり候と 
 +  いへはこの子さる事ありとおほゆしはしさふらへ御対面あらん 
 +  するそといひ出したりけれは侍しおほせつと思てねふりゐたる/79オy161 
 + 
 +  程にちかうめしつかふ侍いてきて御ていへまいらせ給へと云け 
 +  れは悦てまいりにけりこの召次しつる侍しはし候はせ給へとい 
 +  ひてあなたへゆきぬ見まはせは御ていのさまことののおはしま 
 +  しししつらひに露かはらすみさうしなとはすこしふりたる程に 
 +  やとみるほとに中のさうしをひきあくれはきとみあけたるに 
 +  この子となのる人あゆみ出たりこれをうちみるままに 
 +  此としころの侍さくりもよよになく袖もしほりあへぬほとなり 
 +  このあるしいかにかくは泣ならんと思てついゐてとはなとかく 
 +  なくそと問けれは故殿のおはしまししにたかはせおはしま 
 +  さぬかあはれにおほてといふされはこそ我も故殿にはた 
 +  かはぬやうにおほゆるを此人々のあらぬなといふなるあさまし 
 +  き事と思て此なく侍にいふやうおのれこそ事のほかに老に 
 +  けれ世中はいかやうにてすくるそ我はまたおさなくて母のもとに/79ウy162 
 + 
 +  こそありしかは故殿のありやうよくも覚ぬなりをのれをこそ 
 +  故殿と憑てあるへかりけれ何事も申せ又ひとへにたのみて 
 +  あらんするそまつ当時さむけなりこのきぬきよとて綿 
 +  ふくよかなるきぬ一ぬきてたていまはさうなしこれへまいる 
 +  へき也いふこの侍しおふせてゐた昨日けのもののかく 
 +  いはんにあいはんやことのの年ころの物のかくいへは家主 
 +  えみて此おのこの年来すちなくてありけん不便の事 
 +  なりとてうしろみめしいててこれは故殿のいとおしくし給し 
 +  ものなりまつかく京に旅たちたるにこそ思はからひてさたしやれ 
 +  といへはひけなるこゑにてむといらへて立ぬこの侍はそらことせし 
 +  といふ事をそ仏に申きりてけるさてこのあるし我を不定 
 +  けにいふなる人々よひてこの侍に事の次第いはせてきかせん 
 +  とてうしろみめしいててあさてこれへ人々わたらんといはるるに/80オy163 
 + 
 +  さるやうに引つくろひてもてなしすさましからぬやうにせよと 
 +  いひけれはむと申てさまさまにさたしまうけたり此とくいの人々 
 +  四五人はかりきあつまりにけりあるしつねよりもひきつく 
 +  ろひて出合て御酒たひたひまいりて後いふやう我おやのもと 
 +  に年比おいたちたる物候をや御らんすへからんといへは此あつまり 
 +  たる人々心ちよけにかほさきあかめあひてもともめしいた 
 +  さるへく候故殿に似けるもかつあはれに候といへは人やあるなに 
 +  かしまいれといへはひとりたちてめすなりみれは鬢はけたり 
 +  おのこの六十余斗なるかまみの程なとそらことすへうもなき 
 +  かうちたるしろきかりきぬにねり色のきぬのさるほとなるきたり 
 +  これは給はりたる衣とおほゆめしいたされて事うるはしく 
 +  扇を笏にとりてうすくまりゐたり家主のいふやうややここの 
 +  ててのそのかみよりおのれは老たちたる物そかしなといへはむと/80ウy164 
 + 
 +  いふみえにたるかいかにといへは此侍いふやうその事に候故殿には 
 +  十三よりまいりて候五十まてよるひるはなれまいらせ候はす 
 +  こ殿の小冠者小冠者とめし候き無下に候し時も御あとにふ 
 +  せさせおはしまして夜中暁大つほまいらせなとし候しその 
 +  時はわひしうたへかたくおほえ候しかをくれまいらせて後 
 +  はなとさおほえ候けんとくやしうさふらふなりといふあるしの 
 +  いふやう抑ひとひ汝をよひ入たりしおり我障子を引あけて 
 +  出たりしおりうちみあけてほろほろと泣しはいかなりし事そ 
 +  といふその時侍かいふやうそれも別の事にさふらはすゐ中にさふ 
 +  らひて故殿うせ給にきとうけ給ていま一とまいりて心あり 
 +  さまをたにもおかみ候はんと思て恐恐まいり候しさうなく御 
 +  ていへめし入させおはしまして候し大方かたしけなく候しに御障 
 +  子を引あけさせ給候しをきと見あけまいらせて候しに御ゑほう/81オy165 
 + 
 +  しのまくろにてまつさしいてさせおはしまして候しか故殿のかくの 
 +  ことく出させおはしましたりしも御烏帽子はまくろにみえ 
 +  させおはしまし候か思いてられおはしましておほえす涙の 
 +  こほれさふらひしなりといふに此あつまりたる人々もえみをふく 
 +  みたり又此あるしも気色かはりてさて又いつくか故殿には 
 +  似たるといひけれは此侍そのほかは大かた似させおはしまし 
 +  たる所おはしまさすといひけれは人々ほをえみてひとり 
 +  ふたりつつこそ逃失にけれ/81ウy166
  
text/yomeiuji/uji077.txt · 最終更新: 2018/05/09 23:29 by Satoshi Nakagawa