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宇治拾遺物語

第47話(巻3・第15話) 長門前司女、葬送の時本処に帰る事

長門前司女葬送時帰本処事

長門前司女、葬送時本処に帰る事

校訂本文

今は昔、長門前司といひける人の、女(むすめ)二人ありけるが、姉は人の妻にてありける。妹はいと若くて、宮仕へぞしけるが、後には家に居たりけり。わざとありつきたる男もなくて、ただ時々通ふ人などぞありける。

高辻室町わたりにぞ、家はありける。父母のなくなりて、奥の方(かた)には、姉ぞ居たりける。南の面(おもて)の、西の方なる妻戸口にぞ、常に人に会ひ、ものなど言ふ所なりける。

二十七・八ばかりなりける年、いみじくわづらひて、失せにけり。「奥は所狭(ところせ)し」とて、その妻戸口にて、やがて臥したりける。さて、あるべきことならねば、姉などしたてて、鳥部野へ率(ゐ)て往ぬ。

さて「例の作法に、とかくせん」とて、車より取りおろすに、櫃(ひつ)、軽々(かろがろ)として、蓋(ふた)、いささか開きたり。怪しくて、開けて見るに、いかにもいかにも、つゆ物なかりけり。「道などにて落ちなどすべきことにもあらぬに、いかなることにか」と、心得ずあさまし。すべきかたもなくて、「さりとて、あらんやは」とて、人々走り帰りて、「道におのづからや」と見れども、あるべきならねば、家へ帰りぬ。

「もしや」と見れば、この妻戸口に、もとのやうにてうち臥したり。いとあさましくも、恐しくて、親しき人々集まりて、「いかがすべき」と言ひ合はせ騒ぐほどに、夜もいたく更けぬれば、「いかがせん」とて、夜明て、また櫃に入れて、この度(たび)は、よくまことにしたためて、「夜さり、いかにも」など思ひてあるほどに、夕つ方見るほどに、この櫃の蓋、細めに開きたりけり。いみじく恐しく、ずちなけれど、親しき人々、「近くて、よく見ん」とて、寄りて見れば、棺(ひつぎ)より出でて、また妻戸口に臥したり。

「いとどあさましきわざかな」とて、また「かき入れん」とて、よろづにすれど、さらにさらに揺がず。土より生ひたる大木などを、引き揺がさんやうなれば、すべきかたなくて、「ただ、ここにあらんとてか」と思ひて、おとなしき人、寄りて言ふ、「ただ、ここにあらんと思すか。さらば、やがて、ここにも置き奉らん。かくては、いと見苦しかりなん」とて、妻戸口の板敷をこぼちて、そこに下さんとしければ、いと軽(かろ)やかに下されたれば、すべなくて、その妻戸口一間を板敷など、去りのけ、こぼちて、そこに埋(うづ)みて、高々(たかだか)と塚にてあり。家の人々も、さてあひ居てあらん、ものむつかしく思えて、みな、ほかへ渡りにけり。

さて、年月経にければ、寝殿もみなこぼれ失せにけり。いかなることにか、この塚の傍ら近くは、下種なども、え居付かず1)、「むつかしきことあり」と言ひ伝へて、おほかた人もえ居付かねば、そこはただ、その塚一つぞある。高辻よりは北、宝町よりは西、高辻面(おもて)に、六・七間ばかりがほどは小家もなくて、その塚一つぞ、高々としてありける。

いかにしたることにか、塚の上に神の社ぞ一つ、祝ひ据ゑてあなる。このごろも今にありとなん。

翻刻

今は昔長門前司といひける人の女二人ありけるか姉は人の妻
にてありける妹はいとわかくて宮仕そしけるか後には家に居たり
けりわさとありつきたる男もなくてたた時々かよふ人なとそあり
ける高辻室町わたりにそ家はありける父母のなく成ておくのかた
には姉そゐたりける南のおもての西のかたなる妻戸口にそ常に
人にあひ物なといふ所なりける廿七八はかりなりける年いみしくわつ
らひてうせにけりおくはところせしとてその妻戸口にてやかてふし
たりけるさてあるへき事ならねは姉なとしたてて鳥部野へいていぬ
さて例の作法にとかくせんとてくるまよりとりおろすにひつかろかろと
してふたいささかあきたりあやしくてあけてみるにいかにもいかにも
露物なかりけり道なとにて落なとすへき事にもあらぬに
いかなる事にかと心えすあさましすへきかたもなくてさりとて
あらんやはとて人々走帰て道にをのつからやとみれともあ/52ウy108
るへきならねは家へ帰ぬもしやとみれは此妻戸口にもとのやうにて
うちふしたりいとあさましくもおそろしくてしたしき人々あつ
まりていかかすへきといひあはせさはく程に夜もいたくふけぬ
れはいかかせんとて夜明て又ひつに入てこのたひはよく実にしたた
めてよさりいかにもなと思てある程に夕つかたみる程に此櫃
のふたほそめにあきたりけりいみしくおそろしくすちなけれとした
しき人々ちかくてよくみんとてよりてみれはひつきよりいてて
又妻戸口に臥たりいととあさましきわさかなとて又かき
入んとてよろつにすれとさらにさらにゆるかすつちよりおひたる
大木なとをひきゆるかさんやうなれはすへきかたなくてたた
ここにあらんとてかと思ておとなしき人よりていふたたここに
あらんとおほすかさらはやかてここにもをきたてまつらんかくて
はいとみくるしかりなんとて妻戸口の板敷をこほちてそこ/53オy109
におろさんとしけれはいとかろやかにおろされたれはすへなくてその
妻戸口一間をいたしきなとさりのけこほちてそこにうつみて
たかたかと塚にてあり家の人々もさてあひゐてあらん物むつか
しくおほえてみなほかへわたりにけりさて年月へにけれはしん
てんもみなこほれうせにけりいかなる事にかこの塚のかたはらち
かくはけすなともえゐかすむつかしき事ありと云つたへて大かた
人もえゐつかねはそこはたたそのつか一そある高辻よりは北宝
町よりは西高辻おもてに六七間斗か程は小家もなくてその
塚一そ高々としてありけるいかにしたる事にかつかの上に神
のやしろそ一いはひすへてあなる此比も今にありとなん/53ウy110
1)
「え居付かず」は底本「えゐかず」。諸本により補入。
text/yomeiuji/uji047.txt · 最終更新: 2018/03/08 21:21 by Satoshi Nakagawa