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宇治拾遺物語

第41話(巻3・第9話)伯の母の事

伯母事

伯の母の事

校訂本文

今は昔、多気大夫(たけのたゆふ)1)といふ者の、常陸より上りて、うれへするころ、向ひに越前守といふ人2)のもとに、逆修(ぎやくす)しけり。この越前守は、伯の母3)とて、世にめでたき人、歌詠みの親なり。妻は伊勢の太夫、姫君たちあまたあるべし。

多気大夫、つれづれに思ゆれば、聴聞に参りたりけるに、御簾を風の吹き上げたるに、なべてならず美しき人の、紅(くれなゐ)の単衣、重ね着たるを見るより、「この人を妻(め)にせばや」と、いりもみ思ひければ、その家の上童(うへわらは)を語らひて、問ひ聞けば、「大姫御前の紅は奉りたる」と語りければ、それに語らひつきて「われに盗ませよ」と言ふに、「思ひかけず。えせじ」と言ひければ、「さらば、その乳母(めのと)を知らせよ」と言ひければ、「それは、さも申してん」とて、知らせてけり。

さて、いみじく語らひて、金(かね)、百両取らせなどして、「この姫君を盗ませよ」と、責め言ひければ、さるべき契りにやありけん、盗ませてけり。やがて、乳母うち具して、常陸へ急ぎ下りにけり。あとに泣き悲しめど、かひもなし。

ほど経て、乳母、訪れたり。「あさましく、心憂し」と思へども、いふかひなきことなれば、時々うち訪れて過ぎけり。

伯の母、常陸へかく言ひやり給ふ。

  匂ひきや都の花は東路にこちのかへしの風の付けしは

返し、姉、

  吹き返すこちのかへしは身にしみき都の花のしるべと思ふに

年月へだたりて、伯の母、常陸の守4)の妻(め)にて下りけるに、姉は失せにけり。女(むすめ)二人ありけるが、「かく」と聞きて、参りたりけり。田舎人とも見えず、いみじくしめやかに、恥しげに、よかりけり。常陸の守の上を、「昔の人に、似させ給ひたりける」とて、いみじく泣きあひたりけり。四年が間、名聞にも思ひたらず、用事なども言はざりけり。

任果てて、上る折に、常陸の守、「無下なりける者どもかな。かくなん上ると言ひにやれ」と、男には言はれて、伯の母、上るよし、言ひにやりたりければ、「承りぬ。参り候はん」とて、明後日(あさて)上らんとての日、参りたりけり。

えもいはぬ馬、一つを宝にするほどの馬、十疋づつ、二人して、また、皮子負ほせたる馬ども、百疋づつ、二人して奉りたり。何とも思ひたらず、「かばかりのことしたり」とも思はず、うち奉りて、帰りにけり。

常陸の守の「ありける常陸、四年が間のものは何ならず。その皮子の物どもしてこそ、よろづの功徳も何もし給ひけれ。ゆゆしかりける者どもの、心の大きさ、広さかな」と語られけるとぞ。

この伊勢の大夫の子孫は、めでたき幸ひ人、多く出で来給ひたるに、大姫君の、かく田舎人になられたりける、あはれに心憂くこそ。

翻刻

いまは昔たけのたゆふといふものの常陸よりのほりてうれへする比/47ウy98
むかひに越前守といふ人のもとにきやくすしけり此越前守は伯母とてよ
にめてたき人哥よみのおやなり妻は伊勢の太夫ひめきみたちあまた
あるへしたけのたゆふつれつれにおほゆれはちやうもんにまいりたりけるに
みすを風の吹あけたるになへてならすうつくしき人のくれなゐのひとへ
かさねきたるをみるよりこの人をめにせはやといりもみ思けれはその家
のうへわらはをかたらひてとひきけは大ひめこせんの紅はたてまつりたると
かたりけれはそれにかたらひつきてわれにぬすませよといふにおもひかけす
えせしといひけれはさらはそのめのとをしらせよといひけれはそれはさも申
てんとてしらせてけりさていみしくかたらひてかね百両とらせなとして此
ひめきみをぬすませよとせめいひけれはさるへき契にやありけんぬすま
せてけりやかてめのとうちくしてひたちへいそきくたりにけりあとになきかなし
めとかひもなしほとへてめのとをとつれたりあさましく心うしとおもへとも
いふかひなき事なれは時々うちをとつれてすきけりはくの母ひたちへかく/48オy99
いひやり給
  にほひきや宮この花はあつまちにこちのかへしの風のつけしは
かへし姉
  吹かへすこちのかへしはみにしみき都の花のしるへとおもふに
年月へたたりてはくのははひたちのかみのめにて下りけるにあねは
うせにけりむすめふたり有けるかかくと聞てまいりたりけり田舎人
ともみえすいみしくしめやかにはつかしけによかりけりひたちのかみのうへ
をむかしの人ににさせ給たりけるとていみしくなきあひたりけり四年か
間みやうもんにもおもひたらすようしなともいはさりけり任はててのほる
おりにひたちのかみむけなりけるものともかなかくなんのほるといひにやれと
男にはいはれて伯のははのほるよしいひにやりたりけれは承りぬまいり候はん
とてあさてのほらんとての日まいりたりけりえもいはぬ馬一をたからに
するほとの馬十疋つつふたりして又皮子おほせたる馬とも百疋つつ/48ウy100
ふたりしてたてまつりたりなにとも思たらすか斗のことしたりともおもはす
うちたてまつりて帰にけりひたちのかみのありける常陸四年か間の物
は何ならすそのかはこの物ともしてこそよろつのくとくもなにもし給けれ
ゆゆしかりける物ともの心のおほきさひろさかなとかたられけるとそこの
いせのたゆふの子孫はめてたきさいはい人おほくいてき給たるに大
姫公のかくゐ中人になられたりけるあはれに心うくこそ/49オy101
1)
平惟幹
2)
高階成順
3)
神祇伯康資王の母
4)
藤原基房
text/yomeiuji/uji041.txt · 最終更新: 2017/12/21 00:06 by Satoshi Nakagawa