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text:yomeiuji:uji030 [2015/01/31 14:46] – [翻刻] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji030 [2017/12/21 00:01] (現在) – [第30話(巻2・第12話)唐、卒都婆に血付く事] Satoshi Nakagawa
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 **唐、卒都婆に血付く事** **唐、卒都婆に血付く事**
  
-むかし、もろこしに大なる山ありけり。その山のいただきに大きなる卒塔婆一たてりけり。+===== 校訂本文 =====
  
-そのやまの麓の里、年八十斗なる女住けるが、日に一度そののみねにる卒塔婆をかならず見けり。たかく大なるなれば麓よりみねへぼるほど、さがしく、はげしく、道遠かりけるを、雨ふり、雪ふり、風ふ、雷なり、しみ氷たるも、又、あつくくるし夏も、一日もかかさず、からずのぼりて、此卒塔婆を見けり。+昔、唐土(もろこし)大きなる山あけり。その山の頂(いただ)きな卒塔婆一つ建てりけり。
  
-かくするを人えしらざりけるに、若き男ど童部の、夏あつかりける、峰にのぼりて卒塔婆のもとに居つつすける此女、あせをのごひて腰ふた者の杖にすがりそとばのもとにそとばをめぐければ「おがみたてまつか」とみればそとばをうちめぐりては帰帰する事度にあら。あまたたび此すむ男どもにみえけり。+その山の麓(ふと)里に年八十ばかりなる女住みける日に一度、その山の峰にある卒塔婆を必り。高く大きな山なれば麓より峰ほどしく、はげしく、道遠かけるを雨降り、雪降り、風吹き、雷鳴り、氷りたるにもまた暑く、苦しき夏も、一欠かさず、登りて、この卒塔婆を見けり。
  
-「此女は、何の心ありてかくはくるしきにするにか」とあやしがて「けふみえば、此事をとはん」といひ合けるに、常の事なれば、此女、はうはうのぼりけり。男ども、女にいふやう「わ女は何心によて、我らがすずみにくだにあつくくるしく大事なる道を、『すずまん』とおもふりてのぼりくるにこそあれ、すずむ事なし、別する事もなくて、そとばをめぐを事日々にのぼりおるるそ、あやしき女しわざなれ。此ゆへしらせ給へ」といひければ、此「わかきぬしたちはげに『あやし』と思ひ給らん。かくまうできて此そとばみる事は此比事にしも侍らず。物の心しりはじめてより後、此七十余年、日とにかくのぼりて、そとばを見てまつる也」といば、「その事のあやしく侍り。そゆへをのたまへ」ととへば、「をのれが親は百廿てなんうせ侍にし。祖父は百卅斗にてぞうせ給へりし。それ又、父、祖父などは二百余斗までぞ、いきて侍ける。その人々のいひをかれたけるとて、『此卒塔婆に血つかんおり、なん此山はくづれて、ふかき海となるべき』となん、父の申しかば、『麓に侍身なれば、山崩なば、うちおほれて死もぞする思へば『もし血つかば逃げてのがん』とて、かく日毎見侍なり」といへば、此きく男ども、がり、あざけりて、「おそろしき事哉。崩ん時は告給へ」な笑けるを、我をあざけりていふとも心ずして「さら也。いかでかは我独逃がんと思て告申さざるべき」といひて帰くだりにけり。+かくする人え知らざりけるに、若き男ども、童部、夏暑かころりて、卒塔婆のも居つつ涼るに、この女、汗をのごて、腰二重(ふたへ)る者の、がりて、卒塔婆のもとて、卒塔婆巡りければ、「拝み奉か」と見れば、卒塔婆をうち巡りて、すなはち、帰り帰りすると、一度にもあらず。あまた度(たび)、この涼む男どもに見えにけり。
  
-此男ども女はけふはよもこじ。す又きみんにおどしてはしらせてわらはん」といひ合て、血をあやて、卒塔婆によくぬつけて、此男共、帰おりて里の物どもに此麓なる女の日ごとに峰にぼりてそばみるあやしさにとへば、しかじかなんいへば『あすおどしてしらせて、そとばに血を塗つ也。さぞくづるらんものや」など、いひ笑を、里物どもきき伝てなる事ためしにひき笑けり。+この女は、何の心て、かくきにするにか」とりて、「今日見えばとをはん言ひ合ひけことなれば、この女、はうはう登りけり。
  
-かくて又の日、女、のりてみるに、そとに、血のおほらか付たりければ、女ままたが、たうれろびはしりて、さけびいふやう「此里の人々きて命いきよ。此山はただ今崩て、ふかき海とななんとす」とあまねく告まは行て子孫共家の具足どおほせたせてれも持て、手まどひして里うつしぬ。是をみて血つけし男ども、など程にその事ともな、ささめののしりあり。+男ども、女に言ふやう、「わ女は心によりて、われらが涼に来に、暑く、苦しく、大事なる道を、『涼まん』と思ふによりて登り来るにこあれ、涼むこもなし、別することもなくて卒塔婆を見巡るをことて、日々に登降るるこそ、怪しき女のしわざなれ。このゆゑ知らせ給へ」と言ひければ、この、「若きぬしたは、げに『怪し』と思ひ給ふらん。かく詣で来て、この卒塔婆見ことは、このごろのことしも侍らず。物の心知り始めてより後、この七十余年、日ごとにかく登りて、卒塔婆見奉るなり」と言「そのことの怪しく侍るなり。そのゆゑをのたまへ」と問へば、「おのれが親、百二十にてなん失せ侍りに。祖父は百三十ばかぞ失せ給へりし。それがまた父・祖父などは二百余ばかりまでぞ生きて侍りける。その人々の言ひ置かれたりけるて、『この卒塔婆付かん折になんこの山は崩て、き海となるべき』となん、父の申おかれしかば『麓侍る身なれば山崩れなば、うち覆はれて死にもぞする』と思へば、『し血付かば逃げて退()かん』とて、かく日ごとに見侍るな」と言へば、この聞く男ども、をこがり、嘲(あざけ)り、「恐しきことかな。崩れん時は告げ給へ」など笑ひけをもわれを嘲りて言ふとも心得ずして、「さらり。いかでかは『われ一人逃れん』と思ひて、告げ申ざるべ」と言て帰り下(くだ)りにけり。
  
-のふきくるか、のなると、あしむに、空もつつやみて、あさましく、おそろしげにてゆるぎたちにけり。「こはいかに。こはいかに」とののしりあひたるに、ただくづれに崩もてゆけば、「女はまことしけるを」などひて、にげえたるもあれども、親のゆくゑらず、子をもうしなひ、家の物の具もらずなどして、めきさけひたり。ひとりぞ、子まごも引して、家の物の具一もうしなはずして、かねて逃きて、しづかにたりける。+男ども、「この女は今日はよも来じ。明日、また来て見んに、脅して走らせて笑はん」と言ひ合ひて、血をあやして、卒塔婆によく塗り付けて、この男ども、帰り降りて、里の者どもに、「この麓なる女の、日ごとに峰に登りて、卒塔婆見るを、怪しさに問へば、しかじかなん言へば、『明日、脅して走らせん』とて、卒塔婆に血を塗りつるなり。さぞ崩るらんものや」など言ひ笑を、里の者ども聞伝へて、をこなることのためしに引き、笑ひけり。 
 + 
 +て、またの日、女、登りて見に、卒塔婆に血のおほらに付きたりければ女、うち見るままに、色をたがへて、倒(たふ)れまろび、走り帰りて、叫び言ふやう、「こ里の人々、とく逃げ退(の)きて、命生きよ。この山は、ただ今崩れて、深き海とりなんとす」と、あまねく告げまはして、家に行きて、子孫どもに、家の具足ども負(お)ほせ持たせて、おのれも持て、手まどひして、里移りしぬ。 
 + 
 +これを見て、血付けし男ども、手を打ちて笑ひなどすほどに、そのこともなくざざめき、ののしりひたり。「風の吹き来るか、雷の鳴るか」と怪しむほどに、空もつつなりて、あさましく、しげにて、この、揺ぎたちにけり。「こはいかに。こはいかに」とののしりあひたるほどに、ただれに崩もてゆけば、「女はまことしけるものを」などひて逃げたるもあれども、親の行方らず、子をもなひ、家の物の具もらずなどして、めきひたり。この一人ぞ、子・孫も引き具して、家の物の具なはずして、かねて逃げ退きて、かにたりける。
  
 かくてこの山みなくづれて、ふかき海と成にければ、これをあざけり笑し物どもは、皆死けり。あさましき事なりかし。 かくてこの山みなくづれて、ふかき海と成にければ、これをあざけり笑し物どもは、皆死けり。あさましき事なりかし。
  
 +===== 翻刻 =====
 +
 +  むかしもろこしに大なる山ありけりその山のいたたきに大なる卒都婆
 +  一たてりけりそのやまの麓の里に年八十斗なる女住けるか日に
 +  一度その山のみねにある卒塔婆をかならす見けりたかく大なる山な
 +  れは麓よりみねへのほるほとさかしくはけしく道遠かりけ
 +  るを雨ふり雪ふり風ふき雷なりしみ氷たるにも又あつくく
 +  るしき夏も一日もかかさすかならすのほりて此卒塔婆を見けり/37ウy78
 +
 +  かくするを人えしらさりけるに若き男とも童部の夏あつかりける比
 +  峰にのほりて卒塔婆のもとに居つつすすみけるに此女あせをのこ
 +  ひて腰ふたへなる者の杖にすかりてそとはのもとにきてそとはをめくりけれは
 +  おかみたてまつるかとみれはそとはをうちめくりては則帰帰する事一度
 +  にもあらすあまたたひ此すすむ男ともにみえにけり此女は何の心ありて
 +  かくはくるしきにするにかとあやしかりてけふみえは此事をとはんといひ
 +  合ける程に常の事なれは此女はうはうのほりけり男とも女にいふやうわ
 +  女は何の心によりて我らかすすみにくるたにあつくくるしく大事なる道を
 +  すすまんとおもふによりてのほりくるにこそあれすすむ事もなし
 +  別にする事もなくてそとはをみめくるを事にて日々にのほりおるるこそ
 +  あやしき女のしわさなれ此ゆへしらせ給へといひけれは此女わかきぬしたち
 +  はけにあやしと思ひ給らんかくまうてきて此そとはみる事は此比の事に
 +  しも侍らす物の心しりはしめてより後此七十余年日ことにかくのほりてそとはを/38オy79
 +
 +  見たてまつる也といへはその事のあやしく侍なりそのゆへをのたまへととへは
 +  をのれか親は百廿にてなんうせ侍にし祖父は百卅斗にてそうせ給へ
 +  りしそれか又父祖父なとは二百余斗まてそいきて侍けるその人々の
 +  いひをかれたりけるとて此卒塔婆に血のつかんおりになん此山はくつれてふ
 +  かき海となるへきとなん父の申をかれしかは麓に侍る身なれは山崩なは
 +  うちおほはれて死もそすると思へはもし血つかは逃けてのかんとてかく日毎
 +  に見侍なりといへは此きく男ともおこかりあさけりておそろしき事哉崩ん
 +  時は告給へなと笑けるをも我をあさけりていふとも心えすしてさら也
 +  いかてかは我独逃んと思て告申ささるへきといひて帰くたりにけり此男
 +  とも此女はけふはよもこしあす又きてみんにおとしてはしらせてわらはん
 +  といひ合て血をあやしてそとはによくぬりつけて此男共帰おりて
 +  里の物ともに此麓なる女の日ことに峰にのほりてそとはみるをあやし
 +  さにとへはしかしかなんいへはあすおとしてはしらせんとてそとはに血を塗つる也/38ウy80
 +
 +  さそくつるらんものやなといひ笑を里の物ともきき伝ておこなる
 +  事のためしにひき笑けりかくて又の日女のほりてみるにそとはに血のお
 +  ほらかに付たりけれは女うちみるままに色をたかへてたうれまろひはしり
 +  帰てさけひいふやう此里の人々とくにけのきて命いきよ此山はたた
 +  今崩てふかき海となりなんとすとあまねく告まはして家に行て
 +  子孫共に家の具足ともおほせもたせてをのれも持て手まとひして
 +  里うつりしぬ是をみて血つけし男とも手を打て笑なとする程
 +  にその事ともなくささめきののしりあひたり風のふきくるか雷のなる
 +  かとあやしむ程に空もつつやみに成てあさましくおそろしけにて此山
 +  ゆるきたちにけりこはいかにこはいかにとののしりあひたる程にたたくつれに崩もて
 +  ゆけは女はまことしける物をなといひてにけにけえたる物もあれとも親の
 +  ゆくゑもしらす子をもうしなひ家の物の具もしらすなとしておめ
 +  きさけひあひたり此女ひとりそ子まこも引くして家の物の具一もうし/39オy81
 +
 +  なはすしてかねて逃のきてしつかにゐたりけるかくてこの山み
 +  なくつれてふかき海と成にけれはこれをあさけり笑し
 +  物ともは皆死けりあさましき事なりかし/39ウy82
  
text/yomeiuji/uji030.txt · 最終更新: 2017/12/21 00:01 by Satoshi Nakagawa