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text:yomeiuji:uji030 [2015/01/31 14:46] – [翻刻] Satoshi Nakagawatext:yomeiuji:uji030 [2017/11/25 01:16] Satoshi Nakagawa
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 **唐、卒都婆に血付く事** **唐、卒都婆に血付く事**
  
-むかし、もろこしに大なる山ありけり。その山のいただきに大きなる卒塔婆一てりけり。+唐土(もろこし)に大なる山ありけり。その山の頂(いただき)に大きなる卒塔婆一つ建てりけり。
  
-そのやまの麓の里に、年八十なる女住けるが、日に一度その山のみねにある卒塔婆をかならず見けり。たかく大なる山なれば麓よりみねのぼるほど、さがしく、はげしく、道遠かりけるを、雨り、雪り、風き、雷り、しみ氷たるにも、あつくるしき夏も、一日もかさず、かならのぼりて、卒塔婆を見けり。+そのの麓(ふもと)の里に、年八十ばかりなる女住けるが、日に一度その山のにある卒塔婆をず見けり。く大なる山なれば麓よりるほど、さがしく、はげしく、道遠かりけるを、雨り、雪り、風き、雷り、しみ氷たるにも、また、苦しき夏も、一日もかさず、りて、この卒塔婆を見けり。
  
-かくするを人えらざりけるに、若き男ども童部の、夏あつかりける、峰にのぼりて卒塔婆のもとに居つつすずみけるに、女、あせをのごひて腰ふたへなる者の、杖にすがりて、そとばのもとにて、そとばめぐりければ、「おがたてまつるか」とれば、そとばをうちめぐりては、、帰帰する一度にもあらず。あまたたび、此すずむ男どもにえけり。+かくするを人えらざりけるに、若き男ども童部の、夏かりけるころ、峰にりて卒塔婆のもとに居つつみけるに、この女、をのごひて二重(ふたへ)なる者の、杖にすがりて、卒塔婆のもとにて、卒塔婆りければ、「るか」とれば、卒塔婆をうちりては、すなはち、帰すること、一度にもあらず。あまた度(たび)この涼む男どもにけり。
  
-女は、何の心ありてかくはくるしきにするにか」と、あやしがりて「けふみえば、此事をとはん」とひ合けるに、常のなれば、此女、はうはうのぼりけり。男ども、女にいふやう「わ女は何の心によりて、我らがすずみにくるだに、あつくくるしく大事なる道を、『すずまん』とおもふによりてのぼりくるにそあれ、すずむ事もなし、別にする事もなくて、そとばをみめぐるを事にて、日々にぼりおるるこそ、あやしきのしわざなれ。此ゆへしらせ給へ」といひければ此女「わかきぬしたちげに『あやし』と思ひ給らん。かくまできて、此そとばみる事此比の事にしも侍らず。物の心しりはじめてより後、此七十余年、日ごとにかくのぼりて、そとばを見たてまつる也」といへば、「その事のあやしく侍なり。そのゆへをのたまへ」ととへば、「をのれが親は、百廿にてなんせ侍にし。祖父は百卅斗にてぞうせ給へし。それが又、父、祖父などは二百余斗までぞ、いきて侍ける。その人々のいひをかれたりけるとて、『此卒塔婆に血のつかんおりに、なん此山はくづれて、ふかき海となるべき』となん、父の申をかれしかば、『麓に侍る身なれば、山崩なば、うちおほはれて死もぞする』と思へば、『もし血つかば逃げてのがん』とて、かく日毎に見侍なり」といへば、此きく男ども、おこがり、あざけりて、「おそろしき事哉。崩ん時は告給へ」など笑けるをも、我をあざけりていふとも心えずして「さら也。いかでかは我独逃がんと思て告申さざるべき」といひて帰くだりにけり。+この女は、何の心ありてかくはしきにするにか」としがりて今日見えば、このこを問はん」とひ合けるほどに、常のことなれば、この女、はうはうりけり。
  
-男ども「女はじ。あす又きみんに、おどてはらせてわらはん」と合て血をあやして、卒塔婆によくつけて、此男共帰おて里物どもに此麓なる女の、日ごとのぼりてそをあやしさにとへば、しかかなんいへば『あすおどしてはしらせん』とて、血を塗つ也。さぞづるらんのや」など、いひ笑を、里の物どきき伝て、おこる事のためしにひきけり。+男ども、女に言ふやう、女は、何の心によりて、われらが涼みに来るだに、暑く、苦しく、大事なる道を、『涼まん』と思りて登り来るにれ、涼むこともなし、別にることもなく、卒塔婆を見巡るをこと日々に登り降るるこそ、怪き女のしわざなれ。このゆゑ知せ給へ」とければこの女、「若きぬたちは、げに『怪し』と思ひ給ふらん。かく詣で来て、この卒塔婆見ることは、このごろのことしも侍らず。物の心知り始めてり後、この七十余年、日ごとにかりて、卒塔婆を見奉るなり」と言へば「そのことの怪しく侍るな。そゆゑをのたまへ」と問へば、れが親は百二十てなん失せ侍りし。祖父は百三十ばかぞ失せ給へりし。れがまた、父・祖父などは二百余かりまでぞ、生きて侍りけ。その人々の言ひ置かれたりけるとて、『この卒塔婆血の付かん折になん、この山は崩れて、深き海なるべき』となん父の申れしば、『麓に侍る身れば、山崩れなば、うち覆はれて死にもぞする』と思へば血付かば、逃げ退(の)かん』とて、かく日ごとに見侍なり」と言へば、この聞男ど、をこがり、嘲(あざけ)りて、「恐しきことかな。崩れん時は告げ給へ」など笑ひけるわれを嘲りて言ふと心得ずして、「さらり。いかでかは、『われ一人逃れん』と思て、告げ申さざるべ」と言ひて帰り下(くだ)りにけり。
  
-かくて又、女、のぼりみるに、ばに、血のおほらかに付たりれば、女うちみるままに色をたがへて、たうれまろびはしり帰て、さけびいふやう、「此里人々、とげのきて、命いきよ。此山はただ今崩てき海となりなんとす」とあまねく告まはして、家に行て、子孫共に家の具足どもおほせもたせて、をのれも持て、手まどひして里うつりしぬみて血つけし男ども、打て笑どす程に、そ事ともなく、ささめきののしりあり。+男ども「このは今日はよも来じ。明日また来見んに、脅して走らせて笑はん」言ひ合ひて、血をあやして、卒塔婆よく塗り付けて、この男ども、り降りて、里の者どもに、「この麓なる女の、日ごとに峰に登りて、卒塔婆見るを怪しさに問へば、しかじかなん言へば『明日、脅して走らん』とて、卒塔婆に血塗りるなり。さぞ崩るらんものや」など言ひ笑ふ、里の者ども聞き伝へて、をなることしに引、笑り。
  
-のふきくるか、雷のるかと、あやしむに、空もつつやみて、あさましく、おそろしげにてゆるぎたちにけり。「こはいかに。こはいかに」とののしりあひたるに、ただくづれに崩もてゆけば、「女はまことしけるを」などひて、にげえたるもあれども、親のゆくゑらず、子をもうしなひ、家の物の具もらずなどして、めきさけひたり。ひとりぞ、子まごも引して、家の物の具一もうしなはずして、かねて逃きて、しづかにたりける。+かくて、また日、女、登りて見るに、卒塔婆に血のおほらかに付きたりければ、女、うち見るままに、色をたがへて、倒(た)れまろび、走り帰りて、叫び言ふやう、「この里の人々、とく逃げ退(の)て、命生きよ。この山は、ただ今崩れて、深き海となりなんとす」と、あまね告げまはして、家に行きて、子孫どもに、家の具足ども負(お)ほせ持たせて、おのれも持て、手まどひして、里移りしぬ。 
 + 
 +これを見て、血付けし男ども、手を打ちて笑ひなどするほどに、そのことともなく、ざざめき、ののしりあひたり。「風の吹き来るか、雷のるかしむほどに、空もつつなりて、あさましく、しげにて、この、揺ぎたちにけり。「こはいかに。こはいかに」とののしりあひたるほどに、ただれに崩もてゆけば、「女はまことしけるものを」などひて逃げたるもあれども、親の行方らず、子をもなひ、家の物の具もらずなどして、めきひたり。この一人ぞ、子・孫も引き具して、家の物の具なはずして、かねて逃げ退きて、かにたりける。
  
 かくてこの山みなくづれて、ふかき海と成にければ、これをあざけり笑し物どもは、皆死けり。あさましき事なりかし。 かくてこの山みなくづれて、ふかき海と成にければ、これをあざけり笑し物どもは、皆死けり。あさましき事なりかし。
  
 +===== 翻刻 =====
 +
 +  むかしもろこしに大なる山ありけりその山のいたたきに大なる卒都婆
 +  一たてりけりそのやまの麓の里に年八十斗なる女住けるか日に
 +  一度その山のみねにある卒塔婆をかならす見けりたかく大なる山な
 +  れは麓よりみねへのほるほとさかしくはけしく道遠かりけ
 +  るを雨ふり雪ふり風ふき雷なりしみ氷たるにも又あつくく
 +  るしき夏も一日もかかさすかならすのほりて此卒塔婆を見けり/37ウy78
 +
 +  かくするを人えしらさりけるに若き男とも童部の夏あつかりける比
 +  峰にのほりて卒塔婆のもとに居つつすすみけるに此女あせをのこ
 +  ひて腰ふたへなる者の杖にすかりてそとはのもとにきてそとはをめくりけれは
 +  おかみたてまつるかとみれはそとはをうちめくりては則帰帰する事一度
 +  にもあらすあまたたひ此すすむ男ともにみえにけり此女は何の心ありて
 +  かくはくるしきにするにかとあやしかりてけふみえは此事をとはんといひ
 +  合ける程に常の事なれは此女はうはうのほりけり男とも女にいふやうわ
 +  女は何の心によりて我らかすすみにくるたにあつくくるしく大事なる道を
 +  すすまんとおもふによりてのほりくるにこそあれすすむ事もなし
 +  別にする事もなくてそとはをみめくるを事にて日々にのほりおるるこそ
 +  あやしき女のしわさなれ此ゆへしらせ給へといひけれは此女わかきぬしたち
 +  はけにあやしと思ひ給らんかくまうてきて此そとはみる事は此比の事に
 +  しも侍らす物の心しりはしめてより後此七十余年日ことにかくのほりてそとはを/38オy79
 +
 +  見たてまつる也といへはその事のあやしく侍なりそのゆへをのたまへととへは
 +  をのれか親は百廿にてなんうせ侍にし祖父は百卅斗にてそうせ給へ
 +  りしそれか又父祖父なとは二百余斗まてそいきて侍けるその人々の
 +  いひをかれたりけるとて此卒塔婆に血のつかんおりになん此山はくつれてふ
 +  かき海となるへきとなん父の申をかれしかは麓に侍る身なれは山崩なは
 +  うちおほはれて死もそすると思へはもし血つかは逃けてのかんとてかく日毎
 +  に見侍なりといへは此きく男ともおこかりあさけりておそろしき事哉崩ん
 +  時は告給へなと笑けるをも我をあさけりていふとも心えすしてさら也
 +  いかてかは我独逃んと思て告申ささるへきといひて帰くたりにけり此男
 +  とも此女はけふはよもこしあす又きてみんにおとしてはしらせてわらはん
 +  といひ合て血をあやしてそとはによくぬりつけて此男共帰おりて
 +  里の物ともに此麓なる女の日ことに峰にのほりてそとはみるをあやし
 +  さにとへはしかしかなんいへはあすおとしてはしらせんとてそとはに血を塗つる也/38ウy80
 +
 +  さそくつるらんものやなといひ笑を里の物ともきき伝ておこなる
 +  事のためしにひき笑けりかくて又の日女のほりてみるにそとはに血のお
 +  ほらかに付たりけれは女うちみるままに色をたかへてたうれまろひはしり
 +  帰てさけひいふやう此里の人々とくにけのきて命いきよ此山はたた
 +  今崩てふかき海となりなんとすとあまねく告まはして家に行て
 +  子孫共に家の具足ともおほせもたせてをのれも持て手まとひして
 +  里うつりしぬ是をみて血つけし男とも手を打て笑なとする程
 +  にその事ともなくささめきののしりあひたり風のふきくるか雷のなる
 +  かとあやしむ程に空もつつやみに成てあさましくおそろしけにて此山
 +  ゆるきたちにけりこはいかにこはいかにとののしりあひたる程にたたくつれに崩もて
 +  ゆけは女はまことしける物をなといひてにけにけえたる物もあれとも親の
 +  ゆくゑもしらす子をもうしなひ家の物の具もしらすなとしておめ
 +  きさけひあひたり此女ひとりそ子まこも引くして家の物の具一もうし/39オy81
 +
 +  なはすしてかねて逃のきてしつかにゐたりけるかくてこの山み
 +  なくつれてふかき海と成にけれはこれをあさけり笑し
 +  物ともは皆死けりあさましき事なりかし/39ウy82
  
text/yomeiuji/uji030.txt · 最終更新: 2017/12/21 00:01 by Satoshi Nakagawa