text:yomeiuji:uji013
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text:yomeiuji:uji013 [2014/09/27 17:18] – Satoshi Nakagawa | text:yomeiuji:uji013 [2017/10/23 15:09] – Satoshi Nakagawa | ||
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**田舎の児、桜の散を見て泣く事** | **田舎の児、桜の散を見て泣く事** | ||
- | 是も今はむかし、ゐ中の児のひえの山へのぼりたりけるが、桜のめでたくさきたりけるに、風のはげしく吹きけるをみて、此児、さめざめとなきけるをみて、僧のやはらよりて「など、かうはなかせ給ふぞ。この花のちるを、おしうおぼえさせ給か。桜は、はかなき物にて、かく程なくうつろひ候なり。されども、さのみぞさぶらふ」と、なぐさめければ「桜のちらんは、あながちにいかがせん。くるしからず。我てての作たる麦の花ちりて、実のいらざらんおもふが、わびしき」と、いひて、さくりあげて「よよ」となきければ、うたてしやな。 | + | これも今は昔、田舎の児(ちご)の、比叡(ひえ)の山((比叡山延暦寺))へ登りたりけるが、桜のめでたく咲きたりけるに、風のはげしく吹きけるを見て、この児、さめざめと泣きけるを見て、僧の、やはら寄りて、「など、かうは泣かせ給ふぞ。この花の散るを、惜しう思えさせ給ふか。桜ははかなきものにて、かくほどなくうつろひ候ふなり。されども、さのみぞ候ふ((底本「さらふ」。諸本により補った。))」と慰めければ、「桜の散らんは、あながちにいかがせん、苦しからず。わが父(てて)の作りたる、麦の花散りて、実の入らざらん、思ふがわびしき」と言ひて、さくりあげて、「よよ」と泣きければ、うたてしやな。 |
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+ | 是も今はむかしゐ中の児のひえの山へのほりたりけるか桜の | ||
+ | めてたくさきたりけるに風のはけしく吹きけるをみて此児さめさめ | ||
+ | となきけるをみて僧のやはらよりてなとかうはなかせ給ふ | ||
+ | そこの花のちるをおしうおほえさせ給か桜ははかなき物にてか | ||
+ | く程なくうつろひ候なりされともさのみそさらふとなくさめけ | ||
+ | れは桜のちらんはあなかちにいかかせんくるしからす我てての作 | ||
+ | たる麦の花ちりて実のいらさらんおもふかわひしきといひて | ||
+ | さくりあけてよよとなきけれはうたてしやな/15ウy34 |
text/yomeiuji/uji013.txt · 最終更新: 2017/12/20 23:54 by Satoshi Nakagawa