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text:turezure:k_tsurezure137.txt
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text:turezure:k_tsurezure137.txt [2018/09/08 19:00] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa
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 +徒然草
 +====== 第137段 花は盛りに月はくまなきをのみ見るものかは・・・ ======
 +
 +===== 校訂本文 =====
 +
 +花は盛りに、月はくまなきをのみ、見るものかは。雨に向ひて月を恋ひ、たれこめて春の行方(ゆくへ)知らぬも、なほあはれに情深し。咲きぬべきほどの梢(こずゑ)、散りしをれたる庭などこそ、見所おほけれ。歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありて、まからで」なども書けるは、「花を見て」と言へるに、劣れることかは。花の散り、月の傾(かたぶ)くを慕ふならひはさることなれど、ことにかたくななる人ぞ、「この枝、かの枝、散りにけり。今は見所なし」などは言ふめる。
 +
 +よろづのことも、始終こそをかしけれ。男女の情けも、ひとへに逢ひ見るをばいふものかは。逢はでやみにし憂さを思ひ、あだなる契りをかこち、長き夜を一人明かし、遠き雲井(くもゐ)を思ひやり、浅茅(あさぢ)が宿に昔をしのぶこそ、色好むとは言はめ。
 +
 +望月のくまなきを、千里の外(ほか)まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる、木の間の影、うちしぐれたる村雲隠れのほど、またなくあはれなり。椎柴(しひしば)・白樫(しらかし)などの、濡れたるやうなる柴
 +の上にきらめきたるこそ、身にしみて、「心あらん友もがな」と、都恋しう思ゆれ。
 +
 +すべて、月・花をば、さのみ目にて見るものかは。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨(ねや)の内ながらも思へるこそ、いとたのもしうをかしけれ。
 +
 +よき人は、ひとへに好けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざりなり。片田舎(かたゐなか)の人こそ、色こくよろづはもて興ずれ。花のもとには、ねぢ寄り立ち寄り、あからめもせずまもりて、酒飲み、連歌して、果ては大きなる枝、心なく折り取りぬ。泉には手足さしひたして、雪には下り立ちて跡付けなど、よろづの物、よそながら見ることなし。
 +
 +さやうの人の祭見しさま、いと珍らかなりき。「見ごと、いと遅し。そのほどは桟敷不用なり」とて、奥なる屋にて、酒飲み、物食ひ、囲碁・双六など遊びて、桟敷には人を置きたれば、「渡り候ふ」と言ふ時に、おのおの肝つぶるるやうに争ひ走り上りて、落ちぬべきまで簾(すだれ)張り出でて、押し合ひつつ、「一事も見漏らさじ」とまぼりて、「とあり、かかり」と物ごとに言ひて、渡り過ぎぬれば、「また渡らんまで」と言ひて下りぬ。ただ、物をのみ見んとするなるべし。
 +
 +都の人のゆゆしげなるは、睡(ねぶ)りていとも見ず。若く末々(すゑずゑ)なるは、宮仕へに立ち居、人の後ろにさぶらふは、さま悪しくも及びかからず、わりなく見んとする人もなし。何となく葵(あふひ)かけわたしてなまめかしきに、明けはなれぬほど、忍びて寄する車どものゆかしきを、それか、かれか、など思ひ寄すれば、牛飼・下部(しもべ)などの見知れるもあり。をかしくも、きらきらしくも、さまざまに行き交ふ。見るもつれづれならず。暮るるほどには、立て並べつる車ども、所なく並みゐつる人も、いづ方へか行きつらん、ほどなくまれになりて、車どものらうがはしさもすみぬれば、簾・畳も取り払ひ、目の前に寂しげになりゆくこそ、世の例(ためし)も思ひ知られてあはれなれ。大路見たるこそ、祭見たるにてはあれ。
 +
 +かの桟敷の前を、ここら行き交ふ人の、見知れるがあまたあるにて知りぬ。世の人数も、さのみは多からぬにこそ。この人、みな失せなん後(のち)、わが身死ぬべきに定まりたりとも、ほどなく待ちつけぬべし。大きなる器(うつはもの)に水を入れて、細き穴を開けたらんに、しただること少なしといふとも、おこたる間なく漏りゆかば、やがて尽きぬべし。
 +
 +都の中に多き人、死なざる日はあるべからず。一日(ひとひ)に一人・二人のみならんや。鳥部野(とりべの)・舟岡(ふなをか)、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし。されば、棺をひさぐ者、作りてうち置くほどなし。若きにもよらず、強きにもよらず、思ひがけぬは死期(しご)なり。今日まで逃(のが)れ来にけるは、ありがたき不思議なり。
 +
 +しばしも、世をのどかには思ひなんや。継子立(ままこだて)といふものを、双六(すぐろく)の石にて作りて、立て並べたるほどは、取られんこと、いづれの石とも知らねども、数へ当てて一つを取りぬれば、そのほかは逃れぬと見れど、またまた数ふれば、かれこれ間抜き行くほどに、いづれも逃れざるに似たり。
 +
 +兵の軍(いくさ)に出づるは、死に近きことを知りて、家をも忘れ、身をも忘る。世をそむける草の庵には、閑(しづ)かに水石(すいせき)をもてあそびて、これをよそに聞くと思へるは、いとはかなし。
 +
 +閑かなる山の奥、無常の敵(かたき)、競(きほ)ひ来たらざらんや。その死にのぞめること、軍(いくさ)の陣に進めるに同じ。
 +
 +===== 翻刻 =====
 +
 +  花はさかりに。月はくまなきをのみ
 +  見るものかは。雨にむかひて月をこひ。
 +  たれこめて春の行ゑしらぬも、
 +  なを哀に情ふかし。咲ぬべきほどの
 +  梢。ちりしおれたる庭などこそ見
 +  所おほけれ。哥の言葉がきにも。花
 +  見にまかれけるにはやく散過にけ
 +  ればとも。さはる事有てまからで
 +  などもかけるは。花を見てといへるに。おと
 +  れる事かは。花のちり。月のかたふくを/w2-2l
 +
 +http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0002.jpg
 +
 +  したふならひはさる事なれど。ことに
 +  かたくななる人ぞ此枝かの枝ちりに
 +  けり。今は見所なしなどはいふめる。万
 +  の事も始終こそおかしけれ。男女の
 +  情もひとへに逢見るをばいふ物かは。
 +  あはでやみにしうさを思ひ。あだなる
 +  契をかこち。長夜をひとりあかし。
 +  遠き雲井をおもひやり。浅茅がやど
 +  にむかしをしのぶこそ。色このむとは
 +  いはめ。望月のくまなきを。千里の外/w2-3r
 +
 +  までながめたるよりも。暁ちかくなりて
 +  待いでたるが。いと心ぶかう青みたるやう
 +  にて。ふかき山の杉の梢にみえたる。木
 +  のまの影うちしぐれたる。村雲が
 +  くれのほど。またなく哀なり。椎柴
 +  しらかしなどのぬれたるやうなる柴
 +  の上にきらめきたるこそ身にしみて。
 +  心あらん友も哉と都恋しう覚ゆれ。
 +  すべて月花をばさのみ目にて見る
 +  ものかは春は家を立さらでも。月の/w2-3l
 +
 +http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0003.jpg
 +
 +  夜は閨のうちながらも。思へるこそいと
 +  たのもしうおかしけれ。よき人は
 +  ひとへにすけるさまにもみえず。興ずる
 +  さまも等閑也。かたゐなかの人こそ色
 +  こく万はもて興ずれ。花の本には
 +  ねぢよりたちより。あからめもせずまも
 +  りて。酒のみ連歌して。はてはおほき
 +  なる枝心なく折取ぬ。泉には手あし
 +  さしひたして。雪にはおりたちて跡
 +  つけなど。よろづの物。よそながら見る事/w2-4r
 +
 +  なし。さやうの人の祭見しさま。いと
 +  めづらかなりき。見ごといとをそし。其
 +  ほどは桟敷不用なりとて。おくなる屋にて
 +  酒のみ物くひ。囲碁双六などあそび
 +  て。桟敷には人ををきたれば。わたり
 +  さふらふといふ時に。各肝つぶるるやうに
 +  あらそひ走りのぼりて。落ぬべきまで
 +  簾はり出てをしあひつつ。一事もみもら
 +  さじとまぼりて。とありかかりと物ごと
 +  にいひて。わたり過ぬれば。又わたらんまで/w2-4l
 +
 +http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0004.jpg
 +
 +  といひておりぬ。ただ物をのみ見んとする
 +  なるべし。都の人のゆゆしげなるは。
 +  睡ていとも見ずわかくすゑずゑなる
 +  は。宮づかへにたちゐ人のうしろにさ
 +  ふらふは。さまあしくもをよびかか
 +  らず。わりなく見んとする人もなし。
 +  何となく葵かけわたしてなまめかし
 +  きに。明はなれぬほどしのびてよする車
 +  どもの床しきを。それかかれかなど
 +  思ひよすれば。牛飼下部などのみし/w2-5r
 +
 +  れるもあり。おかしくもきらきらしく
 +  もさまざまに行かふ。見るもつれづれ
 +  ならず。暮るほどには。たてならべつる車
 +  ども所なくなみゐつる人も。いづかたへか
 +  ゆきつらん。ほどなくまれに成て。車
 +  どものらうがはしさもすみぬれば。簾
 +  たたみもとりはらひ。目の前にさびし
 +  げになりゆくこそ。世のためしも思ひ
 +  しられて哀なれ。大路見たるこそ祭見
 +  たるにてはあれ。彼桟敷の前をここら行/w2-5l
 +
 +http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0005.jpg
 +
 +  かふ人の見しれるが。あまた有にてしり
 +  ぬ。世の人数も。さのみはおほからぬにこそ
 +  此人みなうせなんのち。我身死ぬべきに
 +  定りたりとも。ほどなく待つけぬべし。
 +  大なる器に水を入て。ほそき穴をあけ
 +  たらんに。しただる事すくなしといふ
 +  とも。をこたるまなくもりゆかば。やがてつき
 +  ぬべし。都の中におほき人しなざる
 +  日はあるべからず。一日に一人二人のみならんや。
 +  鳥部野舟岡。さらぬ野山にも送る/w2-6r
 +
 +  数おほかる日はあれど。をくらぬ日はなし。
 +  されば棺をひさくもの作りてうちをく
 +  ほどなし。わかきにもよらずつよきにも
 +  よらず思ひかけぬは死期也。けふまで
 +  のがれ来にけるはありがたき不思議也。
 +  しばしも世をのどかには思ひなんや。まま
 +  こだてといふものを。双六の石にて作りて
 +  たてならべたるほどは。とられん事いづ
 +  れのいしともしらねども。かぞへあてて
 +  ひとつをとりぬれば。その外はのがれぬと/w2-6l
 +
 +http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0006.jpg
 +
 +  見れど。又々かぞふれば。彼是まぬき行
 +  ほどに。いづれものがれざるに似たり。兵の
 +  軍に出るは。死にちかきことを知て。
 +  家をもわすれ身をもわする。世をそむ
 +  ける草の庵には。閑に水石をもてあそ
 +  びて是を餘所に聞と思へるは。いとはか
 +  なし。しづかなる山の奥。无常のかたき
 +  きほひきたらざらんや。其死にのぞめる
 +  事。いくさの陣にすすめるにおなじ/w2-7r
 +
 +http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he10/he10_00934/he10_00934_0002/he10_00934_0002_p0007.jpg
  
text/turezure/k_tsurezure137.txt.txt · 最終更新: 2018/09/08 19:00 by Satoshi Nakagawa