text:towazu:towazu5-20
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text:towazu:towazu5-20 [2019/11/10 11:11] – [翻刻] Satoshi Nakagawa | text:towazu:towazu5-20 [2019/11/12 16:07] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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- | 御果ての日((後深草院の命日。))にもなりぬれば、深草の御墓へ参りて、伏見殿の御所へ参りたれば、御仏事始まりたり。石泉(しやくぜん)の僧正((忠源))御導師にて、院((伏見院))の御方の御仏事あり。昔の御手をひるがへして、御みづからあそばされける御経といふことを聞き奉りしにも、「一つ御思ひにや」と、かたじけなきことの思えさせおはしまして、いと悲し。次に遊義門院の御布施とて、憲基法印の弟(おとと)、御導師にて、それも御手の裏にと聞こえし御経こそ、あまたの御ことの中に、耳に立ち侍りしか。 | + | 御果ての日((後深草院の命日。))にもなりぬれば、深草の御墓へ参りて、伏見殿の御所へ参りたれば、御仏事始まりたり。石泉(しやくぜん)の僧正((忠源))御導師にて、院((伏見院))の御方の御仏事あり。昔の御手をひるがへして、御みづからあそばされける御経といふことを聞き奉りしにも、「一つ御思ひにや」と、かたじけなきことの思えさせおはしまして、いと悲し。次に遊義門院((姈子内親王))の御布施とて、憲基法印の弟(おとと)、御導師にて、それも御手の裏にと聞こえし御経こそ、あまたの御ことの中に、耳に立ち侍りしか。 |
悲しさも今日閉ぢむべき心地して、さしも暑く侍りし日影も、いと苦しからず覚えて、むなしき庭に残りゐて候ひしかども、御仏事果てしかば、還御いしいしとひしめき侍りしかば、誰(たれ)にかこつべき心地もせで、 | 悲しさも今日閉ぢむべき心地して、さしも暑く侍りし日影も、いと苦しからず覚えて、むなしき庭に残りゐて候ひしかども、御仏事果てしかば、還御いしいしとひしめき侍りしかば、誰(たれ)にかこつべき心地もせで、 |
text/towazu/towazu5-20.1573351907.txt.gz · 最終更新: 2019/11/10 11:11 by Satoshi Nakagawa