text:towazu:towazu5-12
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text:towazu:towazu5-12 [2019/11/03 13:15] – 作成 Satoshi Nakagawa | text:towazu:towazu5-12 [2019/11/12 16:08] (現在) – [校訂本文] Satoshi Nakagawa | ||
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「ここよりや、止まる止まる」と思へども立ち帰るべき心地せねば、次第に参るほどに、物は履かず、足は痛くて、やはらづつ行くほどに、みな人には追ひ遅れぬ。藤の森といふほどにや、男(おとこ)一人会ひたるに、「御幸、先立たせおはしましぬるにか」と言へば、稲荷((伏見稲荷))の御前をば御通りあるまじきほどに、いづ方へとやらん参らせおはしましてしかば((「しかば」は底本「しからん」。))、こなたは人も候ふまじ。夜ははや寅になりぬ。いかにして行き給ふべきぞ。いづくへ行き給ふ人ぞ。あやまちすな。送らん」と言ふ。むなしく帰らんことの悲しさに、泣く泣く一人なほ参るほどに、夜の明けしほどにや、こと果てて、むなしき煙(けぶり)の末ばかりを見参らせし心の中(うち)、今まで世に長らふるべしとや思ひけん。 | 「ここよりや、止まる止まる」と思へども立ち帰るべき心地せねば、次第に参るほどに、物は履かず、足は痛くて、やはらづつ行くほどに、みな人には追ひ遅れぬ。藤の森といふほどにや、男(おとこ)一人会ひたるに、「御幸、先立たせおはしましぬるにか」と言へば、稲荷((伏見稲荷))の御前をば御通りあるまじきほどに、いづ方へとやらん参らせおはしましてしかば((「しかば」は底本「しからん」。))、こなたは人も候ふまじ。夜ははや寅になりぬ。いかにして行き給ふべきぞ。いづくへ行き給ふ人ぞ。あやまちすな。送らん」と言ふ。むなしく帰らんことの悲しさに、泣く泣く一人なほ参るほどに、夜の明けしほどにや、こと果てて、むなしき煙(けぶり)の末ばかりを見参らせし心の中(うち)、今まで世に長らふるべしとや思ひけん。 | ||
- | 伏見殿の御所ざまを見参らすれば、この春、女院((東二条院・後深草院中宮西園寺公子))の御方、御かくれの折は、二御方((後深草院と遊義門院。))こそ御わたりありしに、このたびは女院((遊義門院))の御方ばかりわたらせおはしますらん御心の中、いかばかりかと推し量り参らするにも、 | + | 伏見殿の御所ざまを見参らすれば、この春、女院((東二条院・後深草院中宮西園寺公子))の御方、御かくれの折は、二御方((後深草院と遊義門院(姈子内親王)。))こそ御わたりありしに、このたびは女院((遊義門院))の御方ばかりわたらせおはしますらん御心の中、いかばかりかと推し量り参らするにも、 |
露消えし後の御幸の悲しさに昔に帰るわが袂(たもと)かな | 露消えし後の御幸の悲しさに昔に帰るわが袂(たもと)かな |
text/towazu/towazu5-12.txt · 最終更新: 2019/11/12 16:08 by Satoshi Nakagawa