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text:towazu:towazu5-03

とはずがたり

巻5 3 かの島に着きぬ・・・

校訂本文

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かの島1)に着きぬ。漫々たる波の上に、鳥居遥かにそばだち、百八十間(けん)の廻廊、さながら浦の上に立ちたれば、おびたたしく船どももこの廊に着けたり。

大法会あるべきとて、内侍といふ者、面々になど住めり。九月十二日、試楽(しがく)とて、廻廊めく海の上に舞台を立てて、御前の廊より上る。内侍八人、みな色々の小袖に白き湯巻を着たり。うちまかせての楽どもなり。唐の玄宗の楊貴妃が奏しける、霓裳羽衣(げいしやううい)の舞の姿とかや、聞くもなつかし。

会の日は、左右の舞、青く赤き錦の装束、菩薩の姿に異ならず。天冠をして簪(かんざし)をさせる、これや楊妃2)の姿ならむと見えたる。暮れ行くままに、楽の声まさり、秋風楽(しうふうらく)ことさらに耳に立ちて覚え侍る。

暮るるほどに果てしかば、多く集ひたりし人、みな家々に帰りぬ。御前ももの寂しくなりぬ。通夜したる人も少々見ゆ。十三夜の月、御殿の後ろの深山より出づる気色、宝前(ほうぜん)の中より出で給ふに似たり。御殿の下まで潮さし上りて、空に澄む月の影、また水の底にも宿るかと疑はる。

法性無漏(ほつしやうむろ)3)の大海に、随縁真如(ずいえんしんによ)の風をしのぎて、住まひはじめ給ひける御心ざしも頼もしく、本地弥陀如来4)と申せば、「光明遍照十方世界、念仏衆生摂取不捨、漏らさず導き給へ」と思ふにも、「濁りなき心の中ならばいかに」と、われながらもどかしくぞ思ゆる。

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翻刻

かのしまにつきぬまんまんたる波の上に鳥居はるかに
そはたち百八十けんのくわいらうさなからうらの上にたち
たれはおひたたしく船とももこのらうにつけたり大法
会あるへきとて内侍といふ物めんめんになとすめり九月
十二日しかくとてくわいらうめく海のうへにふたいをたてて御前/s210 k5-4
のらうよりのほるないし八人みな色々のこそてに白
きゆまきをきたりうちまかせての楽ともなり唐のけん
そうのやうきひかそうしけるけいしやうういの舞の姿
とかやきくもなつかし会の日は左右の舞あをくあかき錦
の装束菩薩のすかたにことならすてんくわむをしてかん
さしをさせるこれやそ(や歟)うひのすかたならむとみえたるく
れゆくままにかくの声まさり秋風楽ことさらにみみにたち
ておほえ侍るくるるほとにはてしかはおほくつとひたりし
人みな家々にかへりぬ御前も物さひしくなりぬつ夜
したる人もせうせうみゆ十三夜の月御殿のうしろの深
山よりいつる気色ほうせんの中より出たまふににたり御/s210l k5-5

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/210

てんの下まてしほさしのほりて空にすむ月の影又水
の底にもやとるかとうたかはる法性うろの大海にすい
えむしんによのかせをしのきてすまひはしめ給ける御心さし
もたのもしく本地弥陀如来と申せは光明へんせう
十方せかいねんふつ衆生せつしゆ不捨もらさすみちひき
給へとおもふにもにこりなきこころの中ならはいかにと
われなからもとかしくそおほゆるこれにはいく程の逗留も/s211r k5-6

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/211

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1)
宮島・厳島神社
2)
「楊妃」は底本「そ(や歟)うひ」。「そ」に「や歟」と傍書。
3)
「法性無漏」は底本「法性うろ」。
4)
阿弥陀如来
text/towazu/towazu5-03.txt · 最終更新: 2019/10/20 19:16 by Satoshi Nakagawa