text:towazu:towazu3-23
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— | text:towazu:towazu3-23 [2019/08/24 13:02] (現在) – 作成 Satoshi Nakagawa | ||
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+ | とはずがたり | ||
+ | ====== 巻3 23 改まる年ともいはぬ袖の涙に浮き沈みつつ正月十五日にや・・・ ====== | ||
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+ | ===== 校訂本文 ===== | ||
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+ | 改まる年ともいはぬ袖の涙に浮き沈みつつ、正月十五日にや、御四十九日((有明の月の四十九日))なりしかば、ことさら頼みたる聖のもとへまかりて、布薩(ふさつ)のついでに、かの御心ざしありし金(かね)を少し取り分けて、諷誦(ふじゆ)の御布施に奉りし包み紙に、 | ||
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+ | このたびは待つ暁のしるべせよさても絶えぬる契りなりとも | ||
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+ | 能説(のうぜつ)の聞こえある聖なればにや、ことさら聞く所ありしも、袖のひまなき中に、また有明の古事(ふるごと)ぞ、ことに耳に立ち侍りし。 | ||
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+ | つくづくとこもりゐて、如月の十五日にもなりぬ。釈尊円寂の昔も、今日始めたることならねども、わが物思ふ折からは、ことに悲しくて、このほどは例の聖の室(むろ)に法華講讃(ほけかうさん)、彼岸より続きて、二七日ある折節も嬉しくて、日々に諷誦を参らせつるも、誰としあらはすべきならねば、「忘れぬ契り」とばかり書き続くるにつけても、いと悲し。 | ||
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+ | 今日、講讃((「講讃」は底本「かうさつ」))も結願なれば、例の諷誦の奥に、 | ||
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+ | 月を待つ暁までのはるかさに今入りし日の影ぞ悲しき | ||
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+ | ===== 翻刻 ===== | ||
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+ | のつみふかさもかなしくあむせられてとしも返ぬあら | ||
+ | たまる年ともいはぬ袖の泪にうきしつみつつ正月十五日にや/s140r k3-54 | ||
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+ | 御四十九日なりしかはことさらたのみたるひしりのもとへまかり | ||
+ | てふさつのつゐてにかの御心さしありしかねをすこし | ||
+ | とりわけてふしゆの御ふせにたてまつりしつつみかみに | ||
+ | このたひはまつあか月のしるへせよさてもたえぬる契なりとも | ||
+ | のうせつのきこえあるひしりなれはにやことさらきく所あ | ||
+ | りしも袖のひまなき中にまたあり明のふることそことに | ||
+ | みみにたち侍しつくつくとこもりゐてきさらきの十 | ||
+ | 五日にもなりぬしやくそんゑんしやくのむかしもけふはしめ | ||
+ | たることならねとも我物おもふおりからはことにかなしくてこの | ||
+ | ほとはれいのひしりのむろにほけかうさんひかんより | ||
+ | つつきて二七日あるおりふしもうれしくて日々に/s140l k3-55 | ||
+ | |||
+ | http:// | ||
+ | |||
+ | ふしゆをまいらせつるもたれとしあらはすへきならねはわす | ||
+ | れぬちきりとはかりかきつつくるに付てもいとかなし | ||
+ | けふかうさつもけちくわんなれは例のふしゆのおくに | ||
+ | 月を待あかつきまてのはるかさにいま入日の影そかなしき/s141r k3-56 | ||
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+ | http:// | ||
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+ | [[towazu3-22|<< | ||
text/towazu/towazu3-23.txt · 最終更新: 2019/08/24 13:02 by Satoshi Nakagawa